17世紀の宗教改革

 宗教改革は、歴史の経過とともに巨大な権力と組織を持ち次第に堕落していったローマ教会のキリスト教を、再び原点に帰って本来の姿に戻そうという運動で、その原点は聖書だから、聖書を誰もが読めるように、それぞれの母語に翻訳しようという働きに直結するものだった。ルターがドイツ語に聖書を訳したのはその典型的な例である。イギリスにおいても、14世紀末に宗教改革の明けの明星と呼ばれるジョン・ウィクリフによる聖書の完訳があった。16世紀に入るとウィリアム・ティンダルが、ルター訳を参考にして初めて原典から新約聖書の全文と旧約聖書の一部を英訳し、ドイツで出版した。ティンダルはベルギーで処刑されたが、彼の翻訳を助けたマイルズ・カヴァデイルはイギリスに戻り、1568年、新旧約聖書の完訳本を刊行、国教会で採用された。1568年にはカンタベリー大主教を中心とする12人の主教が「大聖書」を改訳し、いわゆる「主教訳聖書」を刊行している。もう一つ、注目すべき訳として、いわゆる「ジュネーヴ聖書」がある。これはカトリックのメアリ女王の時代に、カルヴィニズムの中心地で、聖書研究が盛んだったジュネーヴに逃れたピューリタンの学者達が訳してエリザベス女王に献じたもので、広く普及し、シェイクスピアが読んだのもこの訳だったと推定されている。
 17世紀前半のイギリスの詩人はおおよそ二つの傾向に分かれる。一つはロバート・ヘリックなど、ベン・ジョンソンを師と仰ぐ人々で、おおむね革命に反対する立場をとり、王党派詩人と呼ばれた。
 もう一つはジョン・ダンを代表とする、いわゆる「形而上詩人」たちである。突飛な比喩、屁理屈に近い機知縦横の論法に辟易する向きもあるが、今世紀前半、T.S.エリオットらが再評価して以来、現代詩に通ずる鋭い知性、感性を持っていると絶賛され、シェイクスピアの『ソネット集』にもまさる英文学史上最高の恋愛詩集ともいわれた。
 ダンはカトリックからイギリス国教会に改宗した人、ハーバート、ヴォーンは国教会の人、クラッショーはピューリタンからカトリックに改宗した人であったが、ピューリタンとして生き抜いた詩人にジョン・ミルトンと「形而上詩人」の一人アンドルー・マーヴェルがいる。
 ピューリタン革命は王政復古によって挫折したが、それは決して旧体制への復帰ではなかった。文学においても、革命が終わって、劇場が再開され、宮廷を中心とする文芸が復活するが、革命以前のものとは質を異にしていた。この時代を代表する詩人ジョン・ドライデンはこの変化の激しい時代の潮流に身をまかせているうちに、バランスがとれ、目配りの効いた思考力を身につけていった人のように思われる。ピューリタンの家に生まれ、クロムウェルの賛歌を書いた詩人は、王政復古になるとチャールズ二世を讃えたが、『アブサロムトアキトフェル』『平信徒の宗教』『牡鹿と豹』などの詩、晩年の批評論は、新しい古典主義の時代を代表するものとなった。
 ピューリタン文学を代表する詩『失楽園』が革命の挫折後に発表されたように、ピューリタン文学を代表する散文物語ジョン・バニヤン『天路歴程』も第一部は1675-76年にかけて獄中で書かれ、1678年に出版された(第二部は1684年)。バニヤンが愛読した欽定訳聖書の文体に似た、簡潔なテンポの早い文章に、信仰生活の機微に触れるエピソードがふんだんに盛り込まれていて、読み物としても面白く、広範な読者を獲得して、18世紀のイギリス小説の発生を促した。