「アッシャー家の崩壊」
「アッシャー家の崩壊」―――恐怖を感じ取るということと、その描写

上田 滋



 この論文において私は、エドガー・アラン・ポーの「アッシャー家の崩壊」という作品について論じる事にする。この作品はいわゆるゴシック小説であり、「わたし」とだけ表記されている人物の視点から物語が進んで行く。「わたし」が少年時代の親友である、アッシャー家の主人のロデリック・アッシャーからの、会いたいという希望を述べた手紙を受け取り、アッシャー家に二週間程滞在する間の数々の出来事について書かれているが、この作品が全体を通して『恐怖』というものをテーマとしていて、それらの出来事についての表現のほぼ全てが常識から多少逸脱したような感じを受けるものであったり、出来事の異常性を一風変わった例えで言い表したりしているので、「わたし」やアッシャーが心に抱く恐怖感を、読者に独特な感じで伝えている。
 物語は「わたし」が夜にアッシャー家に辿りつき、アッシャー家のそばにある沼や朽ち果てた木々などからなる異様な景色と、外から見た家の様子を見た時の心情を語る場面から始まるのだが、この時点から既に『めいりきった心地で眺めた』や『激しい戦慄を覚えるばかりであった』の様な言い方、またはそれらに類するような、少なくとも決して明るいイメージや楽しい印象を読者に与えない、暗い感じに満ちたものになっている。そして、暗い感じに満ちた描写は「わたし」がアッシャー家の中に入った後に建物の中の様子を表すときにも用いられていて、まさにそれらの描写によって物語全体が『恐怖』をいやでも感じさせるような雰囲気に仕上がっている。特に物語後半で、アッシャーが「わたし」に窓を開けて嵐の中の巨大な雲塊に囲まれた夜景色を家の中から見せると、「特異な恐怖と美とを兼ね備えた奇異なる夜」という表現をして、「わたし」が身震いするとともに窓を閉めるという場面があるが、ここからは幻想的であると同時に恐怖という要素を含んだこの作品の特徴が強く感じ取れる。
 そして、この作品独特の恐怖を連想させるような描写の仕方はここまでで述べた様に風景などに対しても用いられているが、それらがより顕著に見られるのは人間、その中でも特にアッシャーに関しての描写においてであろう。「わたし」がアッシャーの容貌について述べるときには、アッシャーの顔の美しい部分についての言及に混じって『死者のような顔色』や『不気味な皮膚の青白さ』などの、生きている人間について言っているとは思えないような表現が必ずいくつも含まれている。病気によって肉体的にも精神的にも衰弱しきったアッシャーのこの様相を見て、「わたし」は最初はただ驚くだけだったが、日が経つにつれてアッシャーの様相がさらに青白さと不気味さを増していくのに対しては、本文中にも書かれているように心から恐怖を感じていた。つまり「わたし」はアッシャー家の中にいる間、一人の時は陰鬱な建物内に一人でいるという孤独に対し恐怖を感じ、そうでなければアッシャーの死者の様な恐ろしい様相に対し恐怖を感じるという、恐怖に囲まれた状態にあったといえる。更に、「わたし」の恐怖の対象の1つであるアッシャー自身もまた、病気によって近々と迫ってくる死に対する恐怖を抱いていたと言う事もできる。
 これまで述べた事に加えて、この話は最後の方を見ても、アッシャーが彼の妹と共に死に、家も崩れ去ってしまい、「わたし」はその場から逃げ出すというハッピーエンドとは程遠い終わり方をしているが、これによって作品全体を通してのテーマである『恐怖』が損なわれないままにして物語を終えているという風に読み取れる。

        〈1480字〉 

[使用文献]
国書刊行会 「米国ゴシック作品集」
「アッシャー家の崩壊」 八木敏雄訳
原作“The Fall of the House of Usher” 自作レポートに関する自己批判

自作レポートに関する自己批判

上田 滋


 このホームページの中に、今まで自分が英米講座の授業において作成したレポートの中から二つを抜き出して、そのまま掲載しますが、ここではそのレポートについてのコメント及び自己批判をするつもりです。
 何故、以前に書いたレポートについて今更になって自己批判をするのかというと、それは「読み書きの技法」なる本がきっかけです。二年生後期の某講義において、その講義の最初に「読み書きの技法」(他数冊)を読み、その本の内容についての詳しい説明を某先生から受けて、その内容をもとにして反省してみると、前期に作成したレポートがひどくできの悪いものだと思えてきたのです。
 どういった点において悪いのかということは、「読み書きの技法」に書かれている論文の構成についての理論を読んでない人でも、私のそのレポートを読めば(特に「アッシャー家の崩壊」についてのレポートの方)言葉で説明できるかどうかに関わらず、大体わかるのではないでしょうか。「アッシャー家の崩壊」を論じたレポートを「読み書きの技法」を経た後で見なおして改めて思いましたが、この論文はかなりできが悪いです。どこが悪いのか?それは論文としての構成です。

First:論述の概略(今から何を述べようとしているか)
今から論じようとしている作品のテーマ、主題(つまり、最も大切なこと)を述べる。
Second:概略の柱となるもの
述べたいことの中で重要なことについての論述。
Third:作品中から持ち出す細かい例証
自分の論における細かい(詳しい)、補足的な内容を述べる。

 上に表したFirstからThirdまでが、論文の構成として基本的かつ最も重要なものです。(この後に、論じてきたことの全てをまとめて結論づけることもあり。)しかし、私が今、自己批判の対象としている論文はFirstの点においてはまだ大丈夫なのですが(それでも玄人の方々の目から見れば、まだまだヌルイのかもしれませんが)、その後の構成が上に表したものとは違う形になってしまっています。概略の柱となるものを述べて、その後に細かい例証、という順序立てが成っておらず、主題を述べた後はただ作品についての事実を羅列的に並べているにすぎないのです。

 「アッシャー家の崩壊」を論じたレポートが以上のような改善点を含んでいるレポートに仕上がってしまったのも、そのまま推敲せずに提出してしまったのも、そのレポートを締切日の前日にせっぱ詰まった状態で書いたことが主な原因だと思います。そこから考えてみると、レポートを作成するにあたって絶対必要なこととは、基本的な論文の構成を意識することももちろんですが、それ以上に根本的な段階としてレポートを実際書き始める前に、その構造を自分なりに考える十分な時間を確保することだと言えます。「締切日の前日の一日だけでレポートを作成する」といっても、一日=24時間丸々全部を使ってレポートを作るわけではなく、一日のうちの数時間(一般的に、短くて3,4時間、長ければ睡眠時間を若干削ったりして10時間近く?)の中で作るのが普通です。それまでにレポートの中に書くことや、その構造を十分に練り尽くしてあるのなら話は別なのですが、その数時間を「レポートの中に何をどういった順序で書こうか」などの構成の面を考える段階から始めていては、良いレポートが仕上がることはほぼあり得ないだろうと思います。また、自分が経験したことそのままですが、仕上がったレポートを見直して改善する暇もないでしょう。とにかく、レポート(論文)を書く際には、何よりもまず十分な時間が必要だということです。


  以上が自作レポートに対しての自己批判でありますが、それと繋ぎあわせて私が心の内に抱いたことを少し付け加えて終わりにしようと思います。私たちがレポートを書く際、自分の履修している授業の単位を修得するためにはイヤでも絶対に提出しなければならない物なんだ、という意識の下で書く場合がほとんどであると思われます。そういった場合においては、一度レポートを仕上げて提出すると、提出後になってからそのレポートについてあれこれと考慮し直すというようなことは、余程のきっかけがない限りはしないでしょう。しかし、自分が作成した物を後になってから見直すということは自分にとって必ず多かれ少なかれ有意義なものとなるはずです。レポートが出来たら絶対に見直せとまでは言いませんが、時間的に余裕があるときに気が向いたらでいい、ちょっとの間だけでも悪かった部分を見直して改善しようとする気持ちを持つことが自己を高めるにあたって肝要であると私は考えます。そしてこれは当然のことながら、レポートだけにとどまる話ではありません。自分が大学にて所属しているコースにおいての研究全般、または学術の分野でなくても、自分が携わっている趣味においてでも、改善の余地があると感じられる部分に注目したり、悪い点が無いなら無いで現状からさらに発展させようと常に試みる精神を持つべきだと私は思っています。逆に今の自分に勝手に限界を感じたり、今の自分に妥協または満足していては己を高めることは出来ません。己の精神の中に「限界」という概念を抱いてしまうと、そこに一種の甘えのようなものが生じてしまい、ある程度以上に精神面、肉体面の両面において上に行くことが出来なくなります。要するに、精神に限界を考えるな、常識に縛られすぎるな、と言うことです。

 だんだん年寄りの説教みたいになってきてしまいましたが、(よく私が他人から若年寄だと言われるのが、この文章を書きながら少し解ったような気がします)とにかくこの文章において私のレポートの自己批判から発展して何としてでも言いたかった事は、「常に己を高める精神を持て」ということです。最初にこの一言を言えばそれで良かったものを、だらだらと長く書いてしまったことについては、これもまた反省の余地の考えられるところです。以上でもって、一応この文章は終了です。しかし、この文章中で述べたことは、この文章を作成した時点での私の見解・信念ですので、それ以降にその信念が更に発展するかもしれません。ただ、現実におけるほとんどの物事に関しては、はっきりと定められた「頂点」と呼べるものがない以上、できる限り上へ上へと行きたいものです。 The Strange Ride of Morrowbie Jukes</head>

The Strange Ride of Morrowbie Jukesについての作品論

      上田 滋



 この作品は、イギリス人であるジュークスという人物の、インドにおいて「死者の村」と呼ばれる通常の世界の序列が通用しない場所での原住民とのやりとりを描くことによって、イギリスがインドを支配下においていた時代における、支配者であるイギリス人と被支配者であるインド人の意識がどのようなものであったかという問題をテーマとして読者に提示している。その他にも物語の経過の中で、人間が持つ性質としての狂気や動物性といったものが表現されている部分が何箇所も見られるが、やはりこの作品の中では、それ以上にイギリス人とインド人の意識に関する問題について考えさせられる部分のほうが多い。よって、ここではその両者の意識に関する問題について論じることにする。

 まず、この物語における主要な登場人物としてイギリス人のジュークスと、死者の村で出会う、かつてジュークスとつきあいのあった身分の高いインド人であるガンガ・ダースの二人がいるが、ジュークスの特徴について考えるとなると、物語の最初の方にある“My coolies were neither more nor less exasperating than other gangs”(P4)という言い方の中で、‘other gangs’がインド人一般労働者を指していることから、彼が原地の人々を見下しているということが読みとれる。それに加え、ジュークスが死者の村に落ちてガンガ・ダースと話をしている最初の方で“I had already matured a rough plan of escape which a natural instinct of selfishness forbade me sharing with Gunga Dass”(P10)とあるが、ここからはジュークスのインド人のことなど考えない、インド人に絶対に得をさせないという自分本位の考え方が強く感じとれる。そして、これらの性質はガンガ・ダースが死者の村に来る以前に外の世界で会ったイギリス人が皆そうであったように、インド人に対する支配者としての意識を持ったイギリス人の典型的なものなのである。

 それに対してガンガ・ダースの方は、支配者に対して強大な恨みを持つ被支配者としてのインド人の代表のように描かれている。ガンガ・ダースは、ジュークスより前に死者の村に来たもう1人のイギリス人が脱出方法を完成させる直前に、その男を銃で撃ち殺し、ジュークスがその脱出方法を見つけだし、二人で一緒に死者の村から逃げ出そうと決めた後にジュークスの後頭部を銃身で殴った後で1人で逃げ出すといった行動をとる。ガンガ・ダースのこれらの行動は、表面的にはガンガ・ダースという人物がひどい悪人であることだけを表しているように見えるが、彼がこのような行動をとったのは、彼の言葉の中に“But I was afraid that he would leave me behind one night when he had worked it all out, and so I shot him.”(P23)とある部分から十分読みとれるように、彼が、ジュークス達イギリス人が先に述べたようなインド人のことなど考えてくれない自分本位の人々であるという事を、死者の村に来る前の通常の世界での経験から十分に感じとっているが故に生まれたイギリス人に対する不信感を抱き続けていたからである。つまり、単純にガンガ・ダースの人間性を示す部分としてではなく、彼がそのような行動をとるに至ったのには、彼自身だけでなく、インド人に得をさせようとは考えないといったような自分本位の本質を持つイギリス人の方にも大きな原因があるということを指摘した部分として読みとるべきなのである。

 更に、似たような形で問題を提示している部分として、物語中に次のような文がある。“...he had dropped the ‘sir’after his first sentence”(P10)この文中での ‘he’はガンガ・ダースを指していて、死者の村でジュークスと初めて会った時はジュークスのことを、インド人が白人男性に対して用いる敬称である‘sahib’で呼んでいたのに、その後は敬称の‘sir’を付けないで話しているので、いけないことだというふうに受け取れる。しかし、これもまた表面においてのみのことで、この部分は本当は、インド人がイギリス人を敬わなければいけない合理的理由などないのに、ジュークスがイギリス人はインドを支配する優れた人間だから、インド人はイギリス人を敬わなければいけないという、インド人に対する偏見・差別といった固定観念を持ってしまっていることを指摘しているのである。

 以上のことから考察すると、ジュークスとガンガ・ダースの間には決定的な意識のずれがあったと言える。ガンガ・ダースは、以前にジュークスのせいでできたという左頬にある三日月形の傷跡に象徴されるように、イギリス人に対して不信感と共に強大な怨念を持っていたのに対し、ジュークスはインド人に対し偏見・差別を持ち、インド人に対してさほど悪いことをしたとは思っておらず、そのためにインド人の怨念を軽視し用心を怠った。ガンガ・ダースの、ジュークスを殴って殺そうとした行動は、このようなイギリス人の固定観念と被支配者であるインド人が持つ支配者に対する怨念の軽視、そして通常の世界の序列が通用しない場だからこそ起きたインド人の恨みの爆発のすべてが交わった結果であると言ってもいいだろう。そして、物語の最後でジュークスは生きて元の世界に戻ることができるのだが、死者の村において一度、インド人の恨みの強さを身をもって知ってしまったからには、死者の村に落ちる以前と同じ気持ち、同じ意識の持ち方で生きていくことはもう出来ないであろうということは簡単に想像できるところである。