ロマン主義

 ロマン主義文学運動は、1798年、20歳代の若い詩人ワーズワースコールリッジの二人の共著『抒情民謡集』の出版に始まり、1830年頃には最盛期を終えた。ワーズワースもコールリッジも1830年頃までには重要な作品を発表し終えていたし、次の世代の詩人たち、バイロンシェリーキーツらは短命で、1820年代の前半には三人とも亡くなっていたからである。つまり、19世紀初めの30年間がイギリス・ロマン主義の時代である。
 『抒情民謡集』のなかでも、コールリッジの「老水夫」は神秘的な物語詩だが、ワーズワースの詩には田舎の人々の生活を題材にしたものが多い。「女浮浪者」のように、それなりに社会の実態をえぐりだそうとした詩も含まれている。
 つまり、ロマン主義文学運動は、一面において、社会のあり方に対する意識、あるいは社会革命への切実な願望に支えられていたのであって、詩人がつくりだした想像力の世界と、社会革命の願望は、いわば盾の両面をなすものであった。
 18世紀のイギリスの詩は、一時代前のドライデンの時代と同様、古典主義を特徴としていた。これは、ギリシアやラテンの文学を典型として、規範や秩序を重視する態度である。この古典主義的文学風土を代表する詩人が、アレクサンダー・ポープである。
 王政復古期に続いて18世紀前半も、諷刺文学が栄えた時期であった。ジョナサン・スイフト『ガリヴァー旅行記』がこの時代の散文の分野での諷刺文学の頂点にあるとすれば、詩の分野での諷刺文学の最高傑作は、当時の文壇を扱ったポープの『愚人列伝』である。
 ポープに続き、18世紀後半の文壇に君臨したのは、サミュエル・ジョンソンである。彼は、ポープの古典主義を引きつぎながらも、英語辞典の編纂評伝旅行記作詩批評などと、多方面に精力的に活躍した。
 18世紀的観点からすると、子供は、大人より一段階価値が劣るもの、大人に比べて未熟なもの、道徳的、理性的観点からしても大人に劣るものと考えられていた。
 ところが、18世紀中葉から、それとは正反対の子供観が現れてきた。それは、同時代のフランスの文筆家ジャン・ジャック・ルソー『エミール』に代表される子供観で、文明に汚されない自然な状態に価値をおく考え方である。
 ワーズワースは、子供の持っている無垢な魂を賛美する気持ちに、プラトン以来の霊魂に関する考え方を融合させ、哲学詩「幼時を回想し霊魂の不滅を知る」に作りあげた。
 18世紀後半から今日にいたるまでのイギリス文学の特徴として、作家自身の自我意識がそれまでと比べて拡大してきたという点を挙げることができる。バイロンは、劇詩『マンフレッド』において、肥大化した己れの自我意識を呪わしく思いながらも、その自我を捨てることを潔しとせず、いかなる権威にも屈せず、この自我を保っていかねばならない、近代人の英雄的な姿を描いた。
 このように自我が拡大した場合、詩人は、時と場合によっては、その自我を脱却したい気持ちに駆られることもある。作用が大きくなれば反作用も増大するのと同じである。キーツは書簡のなかで、望ましい詩人について述べ、ちょうどカメレオンが周囲の環境に応じて自在に自己の体の色を変化させられるように、詩人も個性があってはならない、と主張している。こうした考え方のもとには、先鋭化する自我意識の問題と、反対の自我滅却願望がある。
 拡大と縮小を繰り返すこうした自我意識の揺れは、大局的に見ると、次世代の詩人たちに受けつがれ、「劇的独白」における主体と客体の混淆へと向かうことになる。