『ピーターラビット』(Peter Rabbit,1902)
作者:ビアトリクス・ポター(Beatrix Poter, 1866-1943)



 いたずら好きなウサギピーター・ラビットやその仲間の特徴ある動物たちが湖水地方で冒険を繰り広げるシリーズです。
 1912年に外国語の翻訳本としてオランダ語版が出版されて以来、フランス語やスペイン語など、三十ヶ国語以上で翻訳されています。日本では1971年に日本語翻訳版が出版され、百三十万冊以上の本が購入されました。
 絵本、塗り絵、ぬいぐるみやCDのが発売されたり、ミュージカルやバレエ、アニメ映画にもなりました。
 ビアトリクスが生前に知人や友人に送った手紙やスケッチブック、ピーターラビットの原画はナショナル・トラストやピーターラビットの出版社フレデリック・ウォーン社、個人の収集家や世界中の公共の博物館が保存しています。



  ☆ピーターラビット誕生☆

 1893年9月、ビアトリクス・ポターとうさぎのピーター・パイパーがスコットランドで休暇を過ごしている時に、ロンドンの知人の幼い子供ノエル・ムーアが病気で寝ていることを知りました。ビアトリクスは彼を元気付けようと思い、ピーターの話を手紙に書いて送りました。手紙で送ったピーターラビットの話は、ノエルとムー明けの人々に大好評でした。
 年月がたつにつれ、ビアトリクスは自分で絵本を作ろうと思い立ち、1900年ノエルから絵手紙を借りて小さな白黒の本を作りました。
 その後、フレデリック・ウォーン社が全ての絵に色をつけて描いてくれれば出版すると約束し、ビアトリクスは承諾します。そして1902年10月、『ピーターラビットのおはなし』が出版されました。


  ☆ビアトリクスとマザーグース☆

 ビアトリクスは、ずっと伝承されてきたイギリスの詩を愛していました。イギリスの代表的な画家たちが人気のある詩を選び、絵を描いて出版してきたようにビアトリクスも、ピーターラビットの話の中で詩を紹介しています。
   ビアトリクスが絵本の中で紹介した詩の中には、マザーグースにも入っているものがあります。小さな赤りすナトキンの物語、『りすのナトキンのおはなし』ではHumpty Dumpty sat on a wallが紹介されています。小さな茶色のねずみアプリイ・ダプリイが主人公の『アプリイ・ダプリイのわらべうた』では、There was an old woman who lived in a shoeをもとにした詩を書いています。


☆作者:ビアトリクス・ポター(Beatrix Potter)☆

 ヘレン・ビアトリクス・ポターは1866年7月28日、ロンドンのケンジントンの裕福な家庭にに生まれました。ビクトリア女王時代の社会では、育ちのよい女性にとって絵を描くことと手紙を書くことは必要な教養であると考えたれていて、ビアトリクスの家庭でも幼い頃から教えられていました。
 ビアトリクスと弟のバートラムはめったに同じ年頃の子供と会うことはなく、二人は子供部屋でウサギ、コウモリ、ハツカネズミ、カエル、トカゲといったさまざまなペットを飼っていました。特にベンジャミン・バウンサーとピーター・パイパーの二匹のウサギはビアトリクスのお気に入りでした。
 16歳のときに初めて湖水地方を訪れたビアトリクスは、湖水地方の魅力を感じ取ります。やがて湖水地方はピーターラビットの話の舞台になります。
 1920年に『ピーターラビットのおはなし』を出版し、大きな反響を得ます。1904年には『ベンジャミンバニー』を出版、1909年には『プロプシーのうさぎたち』を出版します。1929年、ビアトリクスの最後の本、『ピーターラビット年鑑』が出版されます。
 湖水地方を愛したビアトリクスは、イギリスの歴史的に重要な史跡や美しい自然の景観の保護を進める団体ナショナルトラストに関わっていました。トラストのために湖水地方にいくつもの農地と土地を購入し土地を分割されないように管理をしていました。ビアトリクスが亡くなったとき、千六百ヘクタールにのぼる所有地はナショナル・トラストに寄贈されました。