ヴィクトリア時代の最盛期、裕福ではあるけれど、厳格な両親の元で育ったポターは、他の子どもたちと遊ぶこともしませんでした。
そんな孤独をまぎらわすためにできた唯一のことは、5歳年下の弟バートラムと一緒にペットを飼って、観察することくらい。
やがて弟は寄宿学校へ、ポターは家に閉じこもったまま、勉強や絵を家庭教師に習います。
その後ポターが親から離れて精神的にも経済的にも独立するために、絵本作りという世界に夢中になっていったのです。
ポターの一家は、休暇になるといつも田舎に出かけていました。
初めて彼女が湖水地方を訪れたのは1882年、16歳のとき、そしてソーリー村を訪れたのが1896年7月。
ポターはこの村の「古風ですてきな人たち」が気に入り、いつかこの村に住みたいと思うようになります。
ピーターラビットのおはなし』がベストセラーになると、ポターは次々と小さな絵本を出すようになります。
そして1905年7月25日、編集担当者のノーマン・ウォーンにプロポーズされます。
両親の反対にもかかわらず、ポターは結婚を受け入れました。
39才にしてようやく自らの意思を貫いた・・・・と思いきや、結婚式を目前にしてノーマンが白血病で急死。
その年、絵本の印税や親戚からの遺産で、念願のソーリー村にあるヒル・トップ農場を購入していたポターは、
婚約者の死をまぎらわすためもあって農場の仕事に精を出し、家も好みにあわせていきます。
ロンドンでは体が弱かったポターも、見違えるように元気になりました。
そんな環境の中、絵本作家としても波に乗り、次々に作品を発表していくようになります。
さてソーリー村で8年が経ち、47歳のポターは地元の弁護士ウィリアム・ヒーリスと結婚します。
農牧業に夢中になり、視力も弱って細かい絵が描けなくなったこともあり、ポターはしだいに絵本作りには興味を失っていきます。
そして湖水地方やソーリー村の自然の美しさや静けさを後世の人々に残すために、ナショナル・トラスト運動(保全する対象の土地や建物を購入して破壊から守る運動)に積極的に関わっていきました。
1943年、77歳のポターは気管支炎をわずらって病の床へ、やがて心臓も衰弱、12月22日にこの世を去ります。
それまでにポターが絵本の印税で少しずつ購入してきた土地は40エーカー(4万9000坪)、農場は14カ所、家は8件。
遺書には、夫ウィリアムの死後は、これがそっくりナショナル・トラストに寄贈されるように明記されてありました。
100年前から変わらぬ美しさのこの自然は、そんなポターの魂と、その遺志を受け継いだナショナル・トラストによって守られているのです。