平成15年度後期 英米言語文化特殊講義課題  草薙先生担当

 

                       アメリカ言語文化コース2年

                       0210030626  三浦 章代

課題1

(1)    シェイクスピアの生れ故郷であるストラトフォード・アポン・エイボンという所は、町並みと自然の調和が大変美しい、古き良きイギリスの風情を今も残している町だと思った。彼が生涯にわたってこの町を愛し続けたのも納得出来ると感じた。

(2)    The Shakespeare Centre Library

(3)   glover, glove-maker

 

(4)私は、この学生が言う「シェイクスピアの関連サイトには、彼の生涯や時代背景は詳しく記載されているのが、作品に対する批評はあまり為されておらず、シェイクスピア自身やその作品が少しぼやけてしまっている」というコメントをきいて初めて確かにそうかもしれないと思った。あと、「シェイクスピアのことを熟知している人の間でのみ楽しんでいるような反感さえ覚えた。」ということも、わかる。ただ、「シェイクスピアに浸る人はあたかも上流階級であるかのような雰囲気が漂っていて、近づきがたかった。」とそこまで思う必要はないと思う。なぜなら、シェイクスピアをよく知る人はそれがいいと思っているから、勝手に自慢げになっているのではないかと思うし、近づきがたいと思うなら、まず読んでみておもしろいかどうか自分で考えて、崇拝できるかどうか決めればいいわけで、べつにはじめからおそれる必要はないと思う。

 

課題2

(1)    フランシス=ベーコン Francis Bacon

                         (フランシス=ベーコン)

      クリストファー=マロエ  Christopher Marlowe

                           (クリストファー=マーロウ)

    エドワード==ベラ  Edward de Bella

                          (エドワード==ベラ)

 

(2)    シェイクスピアの作品を書いたのではないかと上げられている人物について・・・

フランシス=ベーコン(15611626)

イギリスの哲学者、政治家。Idol(イドラ)人間が備え持つ誤った考え方 について言及デカルトと並んで近代の自然科学の基礎を築いた人物。

クリストファー=マーロウ(1593)

エリザベス朝を代表する劇作家・詩人の一人で、無韻誌形による演劇の先駆者。1593年に29歳の若さでデットフォードの酒場での喧嘩がもとで殺された。

     この2人についての記述はとても多く、そこから考察したところによると、確かにこの2人がシェイクスピアの作品を書いたのではないと論ずる際の理由は間違ってはいないと思われる。エドワード==ベラについてはあまり記述を見つけられなかったので、定かかどうかは言い難い。

 

(3)       シェイクスピアは世界のいろいろな知識人にも愛され、多数の本や、映画など、有名な意味のこもった台詞は引用されることが多く、しかもその言葉は知識人たちが深く考えさせられることが多く、このようなことをただの教養があまりなかった男がどうして考えついたのか、天性の才能か、それとも人々にわざと深く考えさせるためなのか、彼の生い立ちを考えると学業を必死でつんできた知識人たちにとっては否定したいことが多いからなのではないかと思う。

 

課題3

 「ライオンキング」は「ハムレット」に登場する王族がライオンになっている動物版ハムレット。主人公の王子シンバのモデルはハムレットで、シンバの父ムファサのモデルは亡霊となってハムレットの前に現れる故デンマーク王、ムファサを死に至らしめた悪役の叔父スカーのモデルはクローディアスというように。

 例えば(ハムレットにて)クローディアスにハムレット暗殺の陰謀により、ハムレットは表面上使節としてイングランドに送られるところと、(ライオンキングで)シンバはスカーの陰謀で父の死が自分のせいだと思いこまされ、プライドランドを追い出されるというところは、叔父の陰謀によって自分の王位を揺るがす邪魔者を自分の国から追放するという点で似ている。

 あと、一番注目したいのは、結末が幸、不幸とそれぞれ違うが、父の亡霊が現れ敵討ちをするところが似ている。ハムレットでは、夜中ハムレットの前に国王の亡霊が現れ、自分は実の弟のクローディアスに殺されたことを告げ、復讐を誓わせる。一方ライオンキングではプライドランドを去り、成長したシンバの前に、父ムファサの霊が現れ、正統な王の血を受け継ぐ息子を励まし、奮い立たせる。自分のおかれた立場を自覚し、とるべき道を悟ったシンバは、かつての光り輝く王国を取り戻すべく、プライドランドに戻る。

 というような点から、「ハムレット」を下敷きに「ライオンキング」ができあがっていることがわかった。 

 

課題4

 「タイタス・アンドロニカ」では舞台は古代ローマで、登場人物がほとんど殺されてしまい、殺した人間をパイにして母親に食べさせたり、謀略、レイプ、手首の切断など、ものすごく残酷な作品で、映画「タイタス」では実写でどれほどの恐怖を味わうか、また非現実的すぎる作品をどのように再現するかが気になった。映画でも舞台は古代ローマなのだが、冒頭で少年が登場し現代から古代ローマへ入り込んでしまう設定、また、バイクや車、ゲームセンター、さらには裸の男女たちが登場するところからは、混沌としていて、暴力が日常に氾濫する現代との接点がうかがえる。こういったところから、原作は非現実的だが、暴力性やそういう恐怖を、映画を通して共感まではいかないが、原作よりもより理解できやすいのだろうと思った。

 

課題5

私も改作の方は、現代の人の感覚にあわせて作り直されたのだと思う。今の世の中は、金儲けもからんでいるので、今の人たちがドラマチックだと思え、おもしろいと思うものでなければ、映画は赤字になってしまうから、古典の良い作品を映画にしたいが、あっさりと終わってウケ悪いといけないから、改作したのではないかと思う。けれど、この監督が本当にシェイクスピアの作品を、おもしろさを伝えたかったのなら、改作しないで、なんとかそもそものおもしろさを伝えようとするべきだったのではと思う。けれど、改作したのも、現代風ロミオとジュリエットというように考えれば、その「悲劇」ということだけはわかるし、おもしろいなら、それはそれでいいと思う。古典もいいが、新しくなった古典もそれは1つの作品としておもしろいと思う。