平成15年度後期 

英米言語文化特殊講義 課題

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人文学部 言語文化学科 

アメリカ言語文化コース

0210030386

橘 まゆ香

 

課題1.

課題の例にもあるように、ストラトフォード・アポン・エイヴォンは、非常に美しい町だ。木組みの家や石造りの建物、草ぶき屋根のコテージなどが立ち並んでいる姿は、歴史と伝統の重みを感じさせる。その中でも、私の目に最も留まったのは、こういった建築物よりもやはり、美しい自然の数々といえる。昔ながらの緑の丘や林、そしてその中央を流れるゆるやかなエイヴォン川の流れ。想像以上に穏やかでのんびりとしたシェイクスピアの生誕地の絵や写真を見ながら、こういった豊かな自然環境がシェイクスピアの文体に見られる美しく、繊細な言葉の数々を生み出す源となったのかな、と感じた。同時に、シェイクスピアが作品で描く華やかな舞台とはうらはらに、彼ら、この町に住んでいた人々は非常に素朴で堅実な暮らしを営んでいたのではないかと思われた。それはある意味で、貴族のように豪華で裕福な生活を送っていただろうと思っていた私の予想を裏切るものであり、少し意外な発見でもあった。

 また、こういった美しい自然の中でも特に際立っていたのが、町全体に見られる「花」の多さだ。町のいたる所に花の植え込みや花飾りが見られたほか、シェイクスピアバースプレイスのノットガーデンや妻のアン・ハサウェイのコテージガーデン、更には彼の娘の家であるホールズ・クロフトの裏庭などには、白、赤、ピンク、紫といった色とりどりの花が咲きほこっている。確かにイギリスといえばガーデニングの国、というほど庭を大事にする風潮はあるだろうが、その多さに若干驚きを感じた。そして考えてみればシェイクスピア作品には、この生まれ故郷同様、数々の花が登場することに気付いた。あの有名な『ロミオとジュリエット』のセリフ、「名前なんかに何があるの?薔薇と呼んでいるあの花を別の名前で呼んでも同じようにかぐわしいことでしょう。」に登場する薔薇などがその良い例だ。逆に言えば、こういった多くの花に囲まれた環境に育ったからこそ、作中にあれだけ多くの自然描写が描かれたのであり、彼が幼い頃、花に深い愛情を持ってそれをよく観察し、親しんでいた情景が目に浮かんできた。だからこそ、彼の作中で「花」は、前述した『ロミオとジュリエット』におけるセリフのように、登場人物に胸のうちを語るといった重要な役割をしばしば担っていたのではないかと考えた。

 

the Shakespeare Center library

 

a glover

 

この学生が言うように、シェイクスピアの生まれ故郷や作品が生まれた歴史的背景などは、どのサイトにもたいてい詳しく書かれているのに、肝心の文学作品そのものについては、ほとんど触れられていないという事実に、私もある意味で驚きを覚えた。確かに、シェイクスピアは、格調高く、孤高な存在として私達一般人が気軽に読むことを許さない、「インテリ文学」といった雰囲気が漂っているように感じる面もある。授業で触れる以外は、自分から積極的に作品を読もうとすることはなかったのだが、このように私がシェイクスピアを何となく敬遠していたおおもとの理由は、どこにあったのだろう。

 一つには、シェイクスピアの文体自体が古典的で難しすぎるという単純なり理由があった。彼が作品で述べた言葉は確かに美しく、音の響きも良いが、それは私にとっては「耳あたりの良い甘い言葉」としか聞こえてこず、あくまでも「現実世界とはかけ離れた美しい世界」としてしか捉えられなかった。

 二つ目に、彼の作風が全体を通して「教訓的ではない」ということが挙げられる。それは、シェイクスピア作品が、悲劇であろうと喜劇であろうと、決して彼自身が自分の考えを上から押し付けてこようとはせず、私達読者にしみじみと何かを共感させようという狙いのもとに作り上げたということを意味している。多くの研究者達は、だからこそ彼の作品は、時代や国境を越えてみんながそれぞれ楽しめる文学として良さがあるのだ、と言う。しかし、この「万人が楽しめる」といった要素こそが、所詮自分には向かない文学と捉えるようになった原因になっていると感じた。なぜなら、それぞれがそれぞれのレベルでいろいろな風に解釈できるということは、シェイクスピアを熟知している人にとっては、「シェイクスピアの本質とはこうである」などと彼らの内輪だけで楽しむわけで、自分のようなシェイクスピアをよく知らない人間とレベルの違いをありありと感じさせることを意味するからだ。そうなると、自分はこういった解釈をしていいのだろうか、と常に不安に思いながら読んでいくことにつながるのだ。文学作品とは、そもそもそうやって自分なりの解釈を加えながら読んでいくものなのであろうが、殊、美しい文体で成り立っているシェイクスピア作品においては、解釈の幅が広がりすぎて、そのように自分の考えに自身をもてなくなったり、一種の疎外感のようなものを強く感じさせられたりするような気がする。

 更に、シェイクスピア研究者達の論じ方そのものに対しても、疑問を感じることがあった。それは、彼らがシェイクスピア文学について批評する際、最初から妙に論理的に分析していこうとする点だ。例えば『ロミオとジュリエット』の場合、あの場面でこれだけの時間のずれが生まれて、もしこの事実が伝わっていたら悲劇は起こらなかっただろう、と皆が皆、競うようにして、まず根拠を並べようとする。その時点において、自分たちの感情は、一切排除されていて、その方法は、あれだけ話し言葉を多用して情熱的に描いている彼の作品とは、全く反するものとなってしまっているように感じるのだ。

 このようないろいろな要素が組み合わさることで、いつの間にか私はシェイクスピア文学を敬遠するようになっていったのかもしれない。

 

これが具体的な場所と言えるかどうかは分からないのだけれど、シェイクスピアは、いくつかの公衆劇場や自分が所属する劇団まで持っていたことが分かった。シェイクスピアが生まれた頃の当時のイギリスは、そういった多くの公衆劇場が競って観客を動員しており、代表的なものが「劇場座」と呼ばれる場所であった。その後、「劇場座」が閉鎖され、その代わりに建てられた新しい劇場が「地球座(ザ・グローブ)」であって、ここがシェイクスピアの劇団が主に活動の拠点としていた場所だと言われている。そして、この劇場こそが、彼のエンターテイナー的、大衆を楽しませようとする要素が多かったという事実を物語っている場所だと考えられる。なぜなら、シェイクスピアが『ジュリアン・シーザー』から、『お気に召すまま』、『十二夜』、『ハムレット』などの名作品を書いたのは、この劇場で上演するためだったという事実があるからだ。更には、その後建てられた私設劇場である「黒僧座」も、実際は『ペリクトリーズ』から『あらし』の四篇のロマンス劇を上演するためのものだったと言われている。

 また、シェイクスピアの属した劇団は、国王の芝居好きもあって、庇護を受けており、そのおかげで劇団はますます繁栄、シェイクスピアは演劇人として時代の頂点を極めていたようだ。

 このように、彼が庇護を受けながら特定の劇場を持っていた事実は、裏を返せば、国王から「良くしてやっている分、結果で返せ」というように、売れる作品を書くように要求されていたことを意味するのではないだろうか。

 

課題2.

クリストファー=マロエ ➞ クリストファー=マーロウ

  エドワード=デ=ベレ  ➞ エドワード=ド=ヴィア

 

➁において

  雄弁術 ➞ 論理学

 

  ➃において

  フランシスコ=ベーコンは、ラテン語と英語の両方を駆使して、膨大な作品を書いた勤勉な政治家且つ法律家であり、分析的な考え方を示す彼の作品は全て、シェイクスピアの作品を生み出す精神性とは全く異なっている。

 ➞確かに彼は政治家であり、法律家でもあり、分析的な考え方を好んでいたかもしれない。両者の精神性が完全に一致していたとは言えないが、全く異なっていたとも言えないようで、両者には共通点も多くあったようだ。

    私が調べたところによると、フランシス=ベーコンとシェイクスピアはどちらも、気質としては古典の教養を好み、法律を重視するところがあったと同時に、二人はともに保守的伝統主義者であり、法の権威と、序列の明確な秩序ある世界を支持したという事実があるようだ。これらのことから、「シェイクスピアの作品を生み出す精神性とは全く異なっていた」という文は間違いであると考えられる。

 

様々な説が飛び交っている理由の一つとして、シェイクスピアが日記や自筆の手紙、原稿など、自分の文学作品以外の記録といえるものを全く残していない、謎に包まれた人物であったことが挙げられる。彼の伝記は全く不完全といわれているのだ。

  しかし、根本的原因は別にあったのではないか、と私は考える。なぜなら、彼の生涯に関する記録がほとんど残っていなかったからといって、あまりにも多くの研究者達がそのことに関心を寄せすぎだからである。つまり、シェイクスピアには、「文学作品」だけでは研究者達の心を満足させられない、別の何かがあったと思うのだ。そしてその何かとは、彼があまりにも高貴で、洗練された、完成度の高い誰も手の届かないような作品を書いてしまった事に対するあらゆる人々の「嫉妬心」が呼び起こしたものだと考えられる。

  シェイクスピアは、大学を出たという記録は一切なく、今のところ、グラマースクールに通っていたとされる説が有力である。それは、名門大学を出た、多くの先輩作家達にとっては、許しがたいことであり、「無学」であるはずのシェイクスピアが当時活躍した事実は、非常に屈辱的であったに違いない。彼らの目に、シェイクスピアは一人の「成り上り者」としてしか映らなかったのだろう。このように、学歴を何かにつけてその人物の価値と結びつけたのは、階級意識がとりわけ強いイギリスという国柄も、大きく関係しているとも言えるかもしれない。

  したがって、研究者達も、この先輩作家と同様の心理が働いていたといえる。また、研究者の中でも、シェイクスピアが好きでたまらず、尊敬・崇拝している派と、単にシェイクスピアの経歴に疑問を抱き続ける派の二つに分類できると考えられる。その場合、前者は、「あれほどの作品を書き上げる人なのだから、シェイクスピアはさぞかし高貴で篤学な作家であったに違いない」という期待像ばかりが増し、その歴史的背景が示す現実との違いに落胆してしまい、どうにかして彼が本物であるという証拠を探し出そうと、更に調査を続けるのかもしれない。後者の場合は、シェイクスピアが本当は違う人物であったということは、非常に魅力的な研究対象であり、その謎を暴き、解明していくことは、やりがいのある、楽しいものであったに違いない。こういったことが、研究者達を今なお必死に、彼の文学作品そのものでなく、彼の生涯について調べさせている理由なのではないだろうか。

 

課題5.

  原文の最後のシーンは、一人残されたジュリエットが、その耐え切れない悲しみの気持ちを表現しようと、彼女のセリフで埋め尽くされており、ジュリエット自身によって、ラストシーンを盛り上げようとしている一生懸命感のようなものが伝わってくる。それに対して、改作の方は、ロミオとジュリエットが実際に言葉を交わすことで、私達読者に自然と悲しみの感情を募らせることができる。また、原文の方は、ロミオとジュリエットが別々に死んでしまう一方、改作では、ほんの一瞬だけお互いの姿を確認し合う二人の姿が、非常に切なく描かれている。ロミオが死んでいく過程を目の当たりにしたジュリエットの絶望感は、原作よりもずっと大きく、したがって私達読者の衝撃度は、さらに強くなり、読み終わった後も、いつまでも心に残るものとなるだろう。そういった意味で、演出としては、やはり改作の方が成功しており、一般人も改作のほうをより好む傾向が強いのではないだろうか。

  こうやって考えていくと、改作では、ジュリエットがロミオから直接毒を飲んだことを聞き、彼の死の真相というものを本当に知ることになるが、逆に原文では、特に何の確証もないけれど、毒が置いてあったことでジュリエットが勝手に、ロミオは毒をあおって死んだものだと判断していると言える。つまり、原文では、ジュリエットは本当の真実を知ることなく、彼女自身が自ら死を選ぼうとしているのだ。誰からも真実を知らされることなく、自ら毒を飲もうとし、探検を刺すジュリエットは、改作の真実を知らされて死ぬことのできるジュリエットよりもかわいそうであるが、本当の意味で幸せに死ぬことのできたのは、原文の方だと私は感じる。それは、世の中には知っておいた方がよい事実と知らなくてもよい事実があるもので、ロミオがジュリエットの死に様を見て、彼女の跡を追ってわざわざ死を選んだという事実は、正に後者に当てはまると思うのだ。したがって、原文のラストシ−ンの方が、ジュリエットに様々な死の理由の可能性を想像させる余地を与えており、彼女にとっては、自分の一番理想的な想像を持って死ぬことができたので、それが最も幸せな最期だったのではないだろうか。

 

〇おわりに

  今回この課題に取り組むまで、シェイクスピアが本物であったかどうかという論争がここまで巻き起こっていることを全く知らなかった。それは、今まで純粋にシェイクスピア作品を読んできた私を、少しがっかりさせる事実でもあったが、同時に、彼がいかに偉大な人物であったかということを改めて思い知ることにもなった。膨大な数の情報について調べることは大変だったけれど、非常に充実感をもたらす課題であった。今後は、今までとはまた違った視点で彼の作品を読んでいけそうな気がするので、ぜひ積極的に作品に触れていこうと思う。