☆イギリス児童文学史☆
イギリス児童文学の成立・冒険物語
ファンタジー文学
1950年代〜第二次黄金時代〜
60年代から80年代へ
●イギリス児童文学の成立・冒険物語●
伝承文学を視野に入れなければ、文学として自立できる作品の成立したヴィクトリア時代を、イギリス児童文学の成立期と見るのが常識となっている。
子供が小説の成立期にその本棚に引き入れ、今日まで読み継がれている作品に、『天路歴程』(1678)、『ロビンソン・クルーソー』(1719)、『ガリヴァー旅行記』(1726)がある。寓意物語、冒険小説、諷刺小説とそれぞれジャンルは違うが、いずれも冒険に満ちた旅行記の形式をとっているのは興味深い。なかでも『ロビンソン・クルーソー』は近代的なリアリズムの手法による作品で、海、船、漂流、無人島、冒険的な事件といった海洋冒険小説の要素をふんだんにもっており、冒険小説の元祖となった。そして、旅行記の流行に乗って、意識的に子どもを対象とした作品が出現するようになっていった。
海洋小説の多くが、航海術や地理学からみてでたらめであることに反発したキャプテン・マリアット(F.Marryat,1792-1848)の『老水夫レディ』(1841-42)が、さしずめ「少年小説」の最初の作品であり、以後、キングストン(W.H.G.Kingston,1814-80)、バランタイン(R.M.Ballantyne,1825-94)、ヘンティ(G,A,Henty,1832-1902)と続々と当時の人気作家が輩出してくるが、いずれの作品も冗長で教訓臭が強く、今日では読まれることがない。実体験のある作家たちの波が去った後で、そうした作品を子どもの頃から愛読して育った病身のスティーヴンソン(R.L.Stevenson,1850-94)が完璧な冒険小説といわれる『宝島』(1883)を残したのである。
●ファンタジー文学●
グリムやアンデルセンが英語に翻訳され、愛読者を得たのは、19世紀前半であった。ドイツのロマン主義作家によるメルヘン愛好の影響や、理性の時代の行き詰まり感などから、イギリスにおいても想像力が見直される時期に入り、若き日のラスキンがグリム童話風のフェアリー・テイル『黄金河の王さま』(1841年に執筆、発表は51年)を書いたり、サッカレーが『バラと指輪』(1855)という空想の国を舞台とする作品を発表するような時代に入った。想像による文学が理性や津特に反するものとして否定されてきた歴史への反動ででもあるかのように、19世紀の半ば以降、空想に基づく作品が飛躍的に発展することになる。特に1860年代から70年代にかけて、イギリス児童文学を代表する作品となった数々の長編のファンタジー文学が成立している。
☆『アリス』の誕生☆
世界児童文学の中でも最もよく知られており、また、様々なレベルの研究対象ともなっている『不思議の国のアリス』(1865)が、オックスフォード大学の数学講師の趣味――女の子と遊ぶこと――から生じた作品であることはつとに有名である。時代を開く作品が職業作家の手になるものではなく、身近にいる子どもを喜ばせようという動機から生じるのは、児童文学の一つの特徴でもあって、その時代が持っている児童感の制約をあまり受けないで特定の子どもだけを念頭に置くがゆえに、普遍性を持ちうるという逆説的心理が働くのである。
『不思議の国のアリス』の作者キャロル(L.Carroll,1832-98)は、内向的な性格を持った学者であった。キャロルにとって、現実生活では強烈に抑圧されている自我を解放する場として、子どもという存在はなくてはならぬものであったし、また、大人の論理によって未熟なもの、しつけられるべきものとして絶えず抑圧されている子どもにも、思い切り現実世界の制約をはずして遊べる場が必要であった。アリスという常識あるしつけの行き届いた子どもをウサギの穴に突き落とす必然性がそこに生じる。一章ごとに、変わった生き物が登場し、常識の世界の論理では通用しない奇妙な出来事の中で論理がナンセンスに変わり、合理と不合理が逆転現象を起こし、固定観念は不調和を起こすものになっている。また、『不思議の国のアリス』の新しさは、特に言葉遊びに発揮されている。言葉を意味あるものから無意味な音だけにしたり、地口、駄洒落、パロディーを使って、秩序あるものや調和しているものを次々と壊していく。
読者は、『意味あるものって何なのだろう?わたしって誰なのだろう?、何なのだろう?」という不安につきまとわれ、怖いけれどもおもしろい哲学的体験をすることになる。引用されるような語句を数多く生み出したこと、作品を離れてひとり歩きできるキャラクター(たとえばチェシャ猫など)をたくさん創造したことでも、特筆できる作品である。
1871年の『鏡の国のアリス』は、『不思議の国のアリス』が自然な成り行きから成立したのに比べ、考え抜き、綿密な計算に立って構成されている分だけ、分析的にも読もうとする読者を挑発する。
〜その他の文学作品〜
・キングズリィ 『水の子』(1863)
・マクドナルド 『北風のうしろの国』(1871)
<学校物語・動物物語>
・ヒューズ 『トム・ブラウンの学校生活』(1857)
・シューエル 『黒馬物語』(1877) など
●1950年代〜第二次黄金時代〜●
第二次大戦後は、優れた作品が輩出したため、ヴィクトリア時代に次ぐ第二次黄金時代といわれている。それは、史観によっては、ヴィクトリア時代から続いてきた、良くも悪くも、中級の作家の手になる、中産階級の子弟のための児童文学時代の最後を飾るものともいえよう。
C.S.ルイスは、マクドナルドの影響や、研究対象であった中世寓話、北欧神話などの文学体験と、信仰からくる世界観の吐露を盛るのに、自分のいわんとすることを最もよく表しうる文学形式として児童文学を選び、1950年の『ライオンと魔女』に始まり、1956年の『さいごの戦い』に至る、七巻から成るナルニアという架空の国の興亡史を描いたファンタジーを作り上げた。一巻ごとに完結しているが、七巻すべてを読めば、ナルニア国の始まりから滅びまでを扱っていることがわかるという壮大な構想になっている。冒険物語としてプロットを楽しみ、なめらかな語り手に乗って作品世界にやすやすと連れ込まれ、やがて、そこで起こる事件の数々が深い寓話を秘めていることに気づかされる。その国の王はアスランと呼ばれるライオンであるが、そのライオンはキリストを表しており、神の国へ導く宗教書でもある。物語がおもしろければおもしろいだけ、読後、その中に塗り込められているキリスト教信仰に共感できないことに思いを致す読者も多いことであろう。
児童文学の中で歴史物語が文学的地位を確立したのも50年代であった。それはおそらく、「児童」という枠が広がり、青少年をも読者対象として意識し始めたことにも関連しているのであろう。
歴史物語をイギリス児童文学のジャンルとして確立することに最も重要な役割を果たしたのは、サクトリフ(R.Sutcliff,1920-1992)である。彼女はキプリング(R.kipling,1865-1936)の伝統を受け継ぎ、イギリスの歴史を大きな構想の中で次々と作品化していった。なかでもローマ時代のブリテンという歴史書の中の空白の時代に着目した三部作『第九軍団のワシ』(1954)、『銀の枝』(1957)、『ともしびをかかげて』(1959)は代表作といえる。それらは、種族の混合、征服者の撤退といった変動の大きな時代に生きた人々を描き、色や匂いが伝わってくるような細部の繊細な描写、その時代の王や征服者をちらりと提示する巧みさ、歴史という大きな力の中での個人意味を説得力をもって描くなど、抜群の力量を示している。
●60年代から80年代へ●
冒険物語、ファンタジー、歴史物語と、世界に先駆けて豊かな量と質の作品を生み出してきたイギリス児童文学の世界に疑問を投げかける作家たちが出現してきた。それは、イギリスという「帝国」を誇示した国への疑問であると同時に、アメリカや北欧の児童文学が次々と紹介され、他国に照らされて映し出された自国文学のゆがみの発見でもあった。
タウンゼンド(J.R.Townsend,1922- )が、「衛生無害なブルジョア生活」しか描いてこなかった歴史に反発して、『僕らのジャングル街』を書いたのは、1961年であった。『僕らのジャングル街』は、大人の助けの得られない貧困の中で、なんとか子どもたちだけで生活していこうとする苦闘物語であるが、作者は意識的に(「ジャーナリストの感覚で」と言い換えてもよいが)、それまでのイギリス児童文学に登場することのなかった階層を選び取っている。
また、カーター(P.Carter,1929- )は、『黒いランプ』(1973)で、1819年、手織工が議会に自分たちの代表を送ろうとして選挙権獲得のデモに立ち上がり、圧殺された「ピータールー虐殺事件」に光を当てて、職人とその息子の歴史を描き、なんとか自分たちの生き延びる道を探ろうとした先人の姿を浮き彫りにしている。サトクリフとは異なる視座に立つカーターの歴史物語には、今後のイギリス児童文学の方向への一つの示唆があるし、『機関銃要塞の少年たち』(1975)の作者ウェストール(R.Westall,1929- )は、一作ずつ読みごたえのある作品を出し続けており、リアリズム児童文学の深化に大きな役割を果たす作者となろう。
いずれにせよ、児童文学に第三次黄金時代が訪れることは、ここ当分ないであろう。