Heien Beatrix Potter の世界

富山大学人文学部言語文化学科イギリス言語文化コース2年中村佳代のホームページです

1.ビアトリクス・ポターの生涯


2.作品紹介


3.作品の特徴


4.ナショナル・トラスト


5.おわりに・・・



1.ビアトリクス・ポターの生涯

<年譜>
1866年7月28日  ビアトリクス・ポター、英国ロンドンのケンジストンのボルトンガーデンズ2番地で、父ルパート・ポターと母ヘレン・リーチの
長女として裕福な中産階級の家庭に生まれる。
1871年 弟バートラム誕生。
1881年      「暗号の日記」を書き始める。(〜1897年)
1882年       初めて家族と英国の湖水地方を訪れ、その豊かな自然に魅せられ、自然研究に情熱を傾けるようになる。
これ以来、毎年、 この湖水地方を訪れ、後に絵本になる小さな動物達の世界に興味を持って行った。
  父がナショナル・トラストの会員1号になる。
1892年      「ピーターラビット」シリーズの原点となるウサギを飼う。
1895年      ハードウィック・ローンズリー牧師らとナショナル・トラストを設立。
1901年12月   『ピーターラビットのおはなし』を白黒刷りで自費出版する。
1902年2月    ビアトリクス自身の描いた水彩画を載せて『ピーターラビットのおはなし』初版をロンドンのフレデリック・ウォーン社から出版。
一年間で5万部を売る大ヒット。
ここから、絵本作家としての人生が始まる。
1905年      両親の反対を押し切り、フレデリック・ウォーン社のノーマン・ウォーンと婚約するが、結婚式を目前にしてノーマン・ウォーン
は白血病で亡くなる。
湖水地方ニア・ソーリー村にあるヒルトップ農場を購入。
1909年      ヒルトップ農場近くのカースル農場を購入。このとき、弁護士ウィリアム・ヒーリスと出会う。
1913年       ウィリアム・ヒーリスと結婚し、ソーリー村のカースル・コテージに住む。
1914年       父ルパート死去。
1932年       母ヘレン死去。
1943年12月22日 ビアトリクス・ポター、持病の気管支炎のため死去。享年77歳。「ジマイマの森」近くに遺骨の灰が撒かれた。

<子供時代>
ビアトリクスは、当時の名家の娘が皆そうであったように、学校へは通わず、女家庭教師に勉強を習いました。ポター夫妻は、二人の子供が外に友達を作
ることを認めなかったので、ビアトリクスは弟バートラムと一緒に動物を集めて、勉強部屋で飼っていました。彼女にとって友達は、動物だけだったのです。
彼女は、ペットを観察し、よくスケッチしました。彼女の作品に登場するキャラクターのほとんどは、実際に飼っていたペットがモデルです。ちなみに、ブ
ロンズガエル、トカゲ、イモリ、ヤマガカシ、カメ、ウサギなどを飼っていたそうです。
彼女は15歳の時から、「秘密の日記」を書き始めました。これは、あるアルファベットの文字を他のアルファベットの文字に置き換えた日記です。後に、
彼女はその日記を読み返そうとしたのですが、書いた本人も理解できなくなっていました。しかし、彼女の死後、15年経って、この暗号が解読され、196
6年に『ビアトリクス・ポターの日記1881−1897』として出版されました。日記には、当時の芸術家や作家、政治家に対する批評が述べられています

<絵本作家への道>
1893年4月4日、ビアトリクスは元家庭教師アニー・ムーアの5歳の息子ノエル・ムーアにお見舞いの絵手紙を書きました。ムーア君は、この時、病気
療養中でした。何を書いたらよいかわからなかったビアトリクスは、4匹の小ウサギの絵入りの話を手紙に書きました。
1901年、ビアトリクスの絵の才能に気づいたローンズリー牧師は、彼女に絵本を書く事を勧めます。
そこで、彼女はムーア君への手紙に書いた話を絵本にして出版しようと考え、『ピーターラビットのおはな
し』という題をつけて6つの出版社に原稿を送りました。しかし、どの出版社にも断られ、仕方なく彼女は
自費出版することにしました。翌年、ようやくフレデリック・ウォーン社が出版に同意し、『ピーターラビ
ットのおはなし』は大好評を博しました。
<湖水地方>
ビアトリクスは1882年の夏、家族と共に初めて湖水地方を訪れました。そして、その時、地元の牧師
であるハードウィック・ローンズリー氏と親しくなります。彼はビアトリクスと父ルパートに自然保護運動
の大切さを語りました。それが、きっかけとなり、ビアトリクスと父はナショナル・トラスト(→4.ナショ
ナル・トラスト参照)に賛同するようになりました。
ビアトリクスは幼い頃から湖水地方を愛していました。「ピーターラビット」シリーズの出版で得た収入
で、彼女は湖水地方のニア・ソーリー村にあるヒルトップ農場を購入しました。彼女は、そこに移り住みた
かったのですが、ロンドンに住む両親の世話があるため、ヒルトップには時々、訪れる程度でした。彼女は
ヒルトップ農場を舞台にした多くの作品(『ひげのサムエルのおはなし』など)を残しています。
彼女は湖水地方にさらに土地を購入することにしました。その時、土地の売買について助言を受けるため、後に彼女の夫となるウィリアム・ヒーリスを雇
いました。そして、彼女はヒルトップ農場の側にあるカースル農場を購入し、彼との結婚後、カースル・コテージに移り住みました。
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2.作品紹介

(1)「ピーターラビット」シリーズ
ONCE upon a time there were four little Rabbits, and their names were-Flopsy, Mopsy, Cotton-tail, and Peter.
という出だしで始まるこの作品は、4匹の小さなウサギが主人公です。ピーター家は母子家庭で、子供の名前はフロプシー、モプシー、カトンテール、そして
ピーターです。ビアトリクスは実際に「ピーター」という名前のウサギを飼っていました。
『ピーターラビットのおはなし』(The Tale of Peter Rabbit)
『グロスターの仕立て屋』(The Tailor of Gloucester)
『りすのナトキンのおはなし』(The Tale of Squirrel Nutkin)
『ベンジャミンバニーのおはなし』(The Tale of Benjamin Bunny)
『2ひきのわるいねずみのおはなし』(The Tale of Two Bad Mice)
『ティギーおばさんのおはなし』(The Tale of Mrs.Tiggy-Winkle)
『パイが二つあったおはなし』(The Tale of the Pie & the Patty-Pan)
『ジェレミー・フィッシャーどんのおはなし』(the Tale of Mr.Jeremy Fisher)
『モペットちゃんのおはなし』(The Story of Miss Moppet)
『こわいわるいうさぎのおはなし』(The Story of a Fierce Bad Rabbit)
『こねこのトムのおはなし』(The Tale of Tom Kitten)
『ひげのサムエルのおはなし』(The Tale of Samuel Whiskers)
『あひるのジマイマのおはなし』(The Tale of Jemima Puddle-Duck)
『フロプシーのこどもたち』(The Tale of Flopsy Bunnies)
『「ジンジャーとピクルズや」のおはなし』(The Tale of Ginger and Pickles)
『のねずみのチュウチュウおくさんのおはなし』(The Tale of Mrs. Tittlemous)
『カルアシ・チミーのおはなし』(The Tale of Timmy Tiptoes)
『キツネどんのおはなし』(The Tale of Mr. Tod)
『こぶたのピグニン・ブランドのおはなし』(The Tale of Pigling Bland)
『まちねずみジョニーのおはなし』(The Tale of Johnny Town-Mouse)
『こぶたのロビンソンのおはなし』(The Tale of Little Pig Robinson)
『ずるいねこのおはなし』(The Sly Old Cat)
『ピーターラビットの手紙』(Yours Affectionately, Peter Rabbit)
*日本では1971年に「ピーターラビット」シリーズが出版されました。

(2)その他
『アプリイ・ダプリイのわらべうた(Appley Dapply's Nursery Rhymes)
『セシリ・パセリのわらべうた』(Cecily Parsley's Nursery Rhymes)

など
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3.作品の特徴


<ミレーとビアトリクス>
ジョン・エヴァレット・ミレー(John Everett Millais)といえば、「オフィーリア」などで
有名なラファエロ前派の代表的な画家ですが、実は、ポター一家はミレーと親交がありました。
ミレーは父ルパートの親友だったので、ビアトリクスは幼い頃から父に連れられてミレーのアト
リエへ通っていたのです。ミレーは彼女に絵の描き方を教えたそうです。
ビアトリクスはミレーの影響で、王立美術院へ通いました。彼女はゲーンズボロー、レイノズル、
ラファエロ、ティツィアーノの作品が好きだったようです。ビアトリクスの作品に出てくる絵には、
どことなくミレーに共通する部分があるように思われます。
ビアトリクスのスケッチブックの多くは、ロンドンのビクトリア&アルバート美術館とナショナル・ 「オフィーリア」
トラストに収められています。彼女は、多種多様なものをスケッチしていますが、変わったところでは
、キノコのスケッチが挙げられるでしょう。彼女は、1897年にリンネ学会に菌糸の発生に関する科
学論文を提出するほど、一時期キノコの研究とスケッチに熱中しました。
<マザーグースとビアトリクス>
マザーグース(Mother Goose)とは英米で広く親しまれているイギリス伝承童謡の総称です。私たちにも馴染みのある「きらきら星」や「ロンドン橋落ちた
」もマザーグースです。マザーグースは、新聞や映画、小説など多方面に引用されています。例えば、ディズニー映画『トイ・ストーリー』(Toy Story)では
「ハンプティ・ダンプティ」が、ビートルズの『Lady Madonna』と『I Am The Walrus』では「3匹の盲目ネズミ」が引用されています。
ビアトリクスもマザーグースを引用した1人でした。ビアトリクスの絵本には、マザーグースがたくさん登場します。例えば、『こぶたのピグニン・ブラン
ド』もマザーグースの唄を元に作られた作品です。
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4.ナショナル・トラスト


「歴史的名勝および自然的景勝地のためのナショナル・トラスト」(略称ナショナル・トラスト)は1895年、イギリスで発足した民間組織です。その目
的は、自然環境や文化的遺産の保存。世界各地に広まった同趣旨の運動もナショナル・トラストと呼びます。ナショナル・トラスト運動は、破壊されていく自
然環境を住民が買い取ることによって自然環境を保存していく運動です。
ビアトリクスは、湖水地方の美しさを守ろうと、「ピーターラビット」シリーズで得た収入で、ナショナル・トラストのために土地を購入していきました。
そして、彼女の死後、遺言により、農場など4000エーカーもの土地がナショナル・トラストに寄贈されました。これにより、ビアトリクスの作品に描かれ
ている自然を今もなお、私たちは見ることができるのです。
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5.おわりに・・・



今回、ホームページのテーマをビアトリクス・ポターにした理由は2つあります。1つは、私が中学・高校時代にビアトリクスの作品を読んだことがあり,
興味があったから。もう1つは、「ピーターラビット」が世界中の子どもたちに親しまれている(28種類の言語に翻訳されています)理由を知りたかった
からです。
彼女の生涯を辿ると、彼女が本当に自然や動物を愛していた事がわかります。彼女の作品が世界中で今もなお愛されている最大の理由は、絵本の文や挿絵に
自然や動物への愛が表れている事にあるのではないでしょうか。


<参考文献>
『カラーワイド英語百科』大修館書店
『ビアトリクス・ポターの生涯ーピーターラビットを生んだ魔法の歳月ー』マーガレット・レイン著 猪谷葉子訳 福音館書店
『ピーターラビットの絵本1〜24』ビアトリクス・ポター作・絵 福音館書店
ピーターラビットオフィシャルページ
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ご覧いただきありがとうございました