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· イギリス文学史
ここで私はケンブリッジ英米文学史のページから一つの英文を選んで訳したものを載せたいと思います。以下にそれを記します。
〜19世紀の演劇〜
メロドラマ
19世紀の前半は演劇活動がとても活発な時代であった。劇場娯楽に対する市民の要求という圧迫が多くの制作を生み出した。一般大衆の娯楽が比較的低級な状態にあったり、無免許の劇場の保有が危険であったために少ない費用での制作が起こるようになった。
演劇の種類は豊富であった。コメディや笑劇、狂想曲や戯作、オペラ、メロドラマといったものがあった。演劇の作者というのは、彼らのうちの多くがある劇場に所属しており、どんな種類の劇が要求されようとも制作を行うために決まった給料を受け取って、急いで全種類の演劇作品を書いた。これらの状況の下では、構想の独創力というのはほとんど期待できるものではなかった。劇の内容はあらゆるところから引っ張り出された。特にフランスやドイツの演劇、フランスやイギリスの小説から取り出された。ScottやDumas, Dickensの作品は構想を主として他から取ってきたもののなかでも特に人気の作品である。当時の著作権の法律は劇作家に対する小説家に何の保護も与えていなかったのである。その時代はささいな目的や不十分な達成の混乱を示している。それらはコメディから笑劇への堕落と、今ではメロドラマとして知られているものの発展という二つの最も重要な特色から脱するかもしれない混乱であった。メロドラマという名前はフランス語のmelodrameからきたものであり、英語で「世間をあっと言わせるような出来事」や「幅のきいたユーモア」、「歌やダンスを交えて変化を添えられた」演劇の意味であった。イギリスでは音楽は市民の趣味を喜ばせるだけではなく、舞台を上演することによって法律から逃れるために音楽の娯楽を装って広く紹介された。メロドラマの特徴と趣意は多種多様である。それにはIssac
Pocock や Henry Bishopの オペラ、Fitzball の脚色、Shirley Brooksの狂気じみた想像、T. P. Cookeによって人気になった航海のドラマが含まれていた。俳優で言えばAstley's
の乗馬ドラマやTom Taylor の家庭ドラマ、そしてDion Boucicaultのアイルランドドラマがメロドラマの多種多様性を含んでいた。Taylor とBoucicaultについては、開業医の技術と感覚が持ち合わされていた。反対に、極端なものは作者の血であった。劇場というものを離れて上演された作品が凝縮されていたのである。この異種混合した作品のために、多くの負担がかかった。メロドラマがイギリスの伝統から離れてしまった限り、それはfairy
plays やJohn Richの壮観に由来されるのかもしれない。これらはオペラ歌手抜きのオペラであるからメロドラマなのである。しかし音楽的要素は演劇の要素へと運命づけられた。The
Miller and his Men (1813)の時代までの作者、もしくはむしろ改作者のPocock は作曲家や司教と同じくらい重要な人物である。そしてフランスのmelodrameから音楽が消えたのにつれて音楽はまもなくすっかり消えてしまった。めざましい出来事やいつまでも変わらない幅の広いユーモアを離れつつ。ロマン主義運動は、The
Mysteries of Udolphoや"Monk" Lewisの作品を制作したのだが、めざましい要素の発展にも少なからず貢献した。そして新しい劇場社会は、刺激され、バラッドや印刷によって楽しまされ続けてきた恐怖という鑑賞とともにもたらされた。フランスのドラマの出来事や大評判は、革命の後に生じたものであるが、Pixerecourtの演劇やCaigniezやCuvelier
de Tryeの演劇など何かに借用された。ショーや壮大な見せ物、動物を演じることやアクロバットの見せ物は、劇場とともに認可され「正当な」ドラマに対して自分たちに欠けているものを取り戻し、Surrey劇場やSadler's
well、もしくはAstley's wellという場所で世俗に流れ出た。そしてその世紀の中頃までに、メロドラマはそれからずっとほぼ変わることのない状態を確立した。メロドラマは人間性というものを完全によい部分と完全に悪い部分とに分割し、その二つの存在は、改善の可能性(二流の有名人に限る)に基づいた不安定な構造や活動の決定的な時期における突然の変換によって二間のすきまを埋められた。つまりメロドラマにおける出来事と状態は登場人物ではなく、その目的なのである。それはくっきりと民主主義者と同盟し、貴族とは同盟しなかった。金持ちや良い生まれであることは不道徳への道を避けることがほとんどできないものであり、身分の低い者は美徳だけが保証されているのである。これらの特色は突然具体化されたのではなかった。それらは非常に多くの劇作家の作品を通した段階によって養われてきたものなのであり、その劇作家の中には有名な人物もいるかもしれない。
以上が訳文でした。一生懸命訳をしたつもりですが文と言葉の両方が難しくて、なかなか手の至らないところも多々あります。すいません(>o<)
この訳をしただけではメロドラマ自体が何なのかよく分からなかったので少し私なりに「メロドラマ」について調べてみました。
まず、メロドラマとはイタリア語で「音楽劇」のことをさしているのだそうです。歌劇では、語りと音楽で劇を進める部分を言うようです。登場人物のしぐさや表情などを音楽で表すようなことを示す場合もあるということです。また、メロドラマの語源は、ギリシア語のメロス(melos)とドラマ(drama)の合成語だということが分かりました。
今現在私たちの間で知られている「メロドラマ」とは波瀾に富んで感傷的な部分のあるドラマのことをさしていると思われますが、もとはこういった19世紀頃に盛んだったヨーロッパの音楽を伴奏としてセリフの朗誦を行う劇を言っていたのだということでした。