メアリー・シェリーの生涯
1797年8月30日、ロンドンに生まれる。父親は急進的革命思想家で文学者、母親は婦人解放運動家だった。
同年9月10日、産後の肥立ちが悪く、母親がこの世を去る。
1801年12月21日、父親が再婚する。継母に苛められ、父親からは相手にされず、孤独で愛情に飢えた子供だった。
1814年3月30日、パーシー・ビッシェ・シェリーと出会う。パーシーは既婚者だったがメアリーに惹かれ、メアリーもまたパーシーに好意を寄せた。
同年7月28日、パーシーと駆け落ちする。2人は不倫関係にあったため、正式な結婚はできなかった。
1815年2月22日、女児を出産するが2週間後に死亡。
1816年1月24日、長男ウィリアム出産。
同年5月、ジュネーブのレマン湖畔に避暑に出掛ける。パーシー、継母の連れ子クレア、そこで知り合ったバイロン卿、彼の侍医ポリドリとの文学談義の中、『フランケンシュタイン』を思いつく。
同年8月29日、ロンドンに戻る。
同年10月、異父姉、服毒自殺。
同年12月、パーシーの正妻、入水自殺。これを受け、メアリーとパーシーは12月30日、正式に結婚する。
1817年4月、『フランケンシュタイン』脱稿。
同年9月2日、女児を出産するが9月24日に死亡。
1818年3月11日、『フランケンシュタイン』出版。この時は作者不詳で出版され、メアリーの名が出るのは1931年から。
この頃、パーシーの病気療養の為、イギリスを離れ、イタリアへ行く。そこで長女クララが高熱を出し死亡。ロンドンに戻る。
1819年6月7日、長男ウィリアムが疫痢のため死亡。
同年11月12日、次男パーシー・フローレンス誕生。一家はピサに落ち着く。
1821年12月、ポリドリ服毒死。
1822年4月、バイロンとクレアの間の娘アレグラが病気により死亡。
1822年7月8日、夫パーシーがヨットの遭難により水死。
1823年8月、ロンドンに帰り、その後再婚はしない。
1824年4月19日、バイロン卿戦死。
1836年4月7日、父親が死亡する。
1848年、息子パーシー・フローレンスが結婚する。
その後、数々の作品を発表、1851年2月1日、メアリーは53歳でその生涯を終える。
『フランケンシュタイン』の概要
ジュネーブの科学者フランケンシュタインは、生殖と生命の起源を発見し、無生物に生命を与えることまで可能になった。そしてある晩、彼は命のない体に生命を与えた。それは、彼の長い間の夢であったが、失敗に終わった。誕生したのは、死骸のような怪物だったのだ。あまりの恐ろしさに、彼は怪物をおいて立ち去る。
弟ウィリアムと召使いジュスティヌが、怪物の策略により死んでしまったと知ったフランケンシュタインは、自分への嫌悪感、そして罪悪感でいっぱいだった。怪物と再会し、話し合いをした結果彼は、怪物が孤独から脱することが出来るように相棒の女の怪物を創ることを約束する。フランケンシュタインに捨てられた後の怪物の身の上話を聞き、彼は怪物の悪事を責める前に、怪物を幸せにしてあげようと思ったのだ。怪物の話はこのようなものだった。存在の始まりは人間と同じようにとても優しいものだった、人間を観察して多くの事を学んだ、そして自分の境遇を知り孤独に悩んできた、やがて創造者フランケンシュタインを呪い、人間を哀れむようになってきた…。
しかし、恐ろしい怪物を繁殖させることは、人間を恐怖に脅かすと考え、フランケンシュタインは怪物との約束を破る。復讐心に燃えた怪物は、彼の親友クレルヴァルと、恋人エリザベートを殺し、彼の身内は次々と殺され、ついにフランケンシュタインも孤独になってしまう。
フランケンシュタインは怪物に復習しようと、超人間的なスピードで逃げる怪物を追いかけるが、荒海で漂流する。ウォルトンという探検家の船に救出されるが、亡くなってしまうのだった。それから、ウォルトンの前に怪物が姿を現すが、船室の窓から飛び降り、暗闇の中に消えていった。