★☆★スウィフトと宗教☆★☆





  『ガリヴァー旅行記』第1篇で登場する「卵論争」の話には,新教と旧教の対立が反映されていた。これをより深く理解するために,当時のイギリスの宗教事情を振り返ってみる。

[イギリスの宗教事情]
■ イギリス国教会の成立
  イギリス王ヘンリー7世(1485-1509在位)は,当時の強国スペインとの同盟政策を進めるため,スペイン王フェルナンド5世(1479-1516在位)の王女キャサリンを,第一子アーサーの妃に迎えたが、アーサーは結婚後5ヶ月足らずで病死。ヘンリー7世はすぐに8才下の第二王子ヘンリーに彼女をめあわせた。
  二人の間には,メアリという王女が生まれたが,その後は後継者となる王子には恵まれなかった。キャサリンが42才に達し,子どもを望めなくなった1517年頃から,ヘンリーは彼女との離婚を考え始めた。王はキャサリンと離婚し,恋愛関係にあったキャサリンの侍女のアン・ブーリンを王妃にしようと考えた。
  元々カトリック教会では離婚を認めていなかったのであるが、ヘンリーは問題にしなかった。もともと兄嫁であったキャサリンとの結婚も,法王が特免を発して認めており,当時の教会は,金を出せば近親結婚も認めていた。ヘンリーの場合,先の特免は無効であり,キャサリンとの結婚は非合法である,という宣言を出してもらうだけでよかった。そこで王はローマに特使を派遣するが,ローマ法王はそれを拒否した。
  ヘンリーは反ローマ的な法律を次々と議会に認めさせて法王に圧力をかけたが,功を奏せず,1533年キャサリンとの離婚と,アン・ブーリンとの結婚を強行した。結婚後3ヶ月でアンは出産するが,王女でエリザベスと名づけられた。1534年,国王は「国王至上法」を議会に認めさせ、ローマから独立したイギリス国教会を成立させた。
  しかし、内容的にはカトリックとほとんど同じであった。唯一プロテスタントにならったのは,広大な修道院領の接収であった。まもなくその領地は,貴族や新興の地主などの手に渡り、当時盛んになりつつあった羊毛業の影響で高騰していた土地を転売し,大きな利益を上げるものが続出した。

■ 国教会のプロテスタント化
  ヘンリー8世の治世が終わると,イギリスでは急速なプロテスタント化とそれに対するカトリック反動の時代がつづいた。ヘンリーを継いだのはわずか9才だったエドワード6世であった。彼は幼少の時から新教派的な教育を受けており,政治の実権を握った側近政治家たちも,新教的な色彩の強い人々であったため、この時期に整備された教会の儀礼などは,僧侶の結婚を認めるなど,ルター派的な要素を色濃く持つものとなったが,民衆にとっては新しい信仰内容や礼拝の仕方はなじみにくいものであった。

■ 再カトリック化
  エドワード6世が16才で死去すると,ヘンリー8世の遺言でヘンリーの長女メアリが即位した。メアリは熱心なカトリックの信奉者で,不遇のうちに育ったこともあって,反動は激しいものとなった。メアリは即位するとすぐ,国民には強制はしないといいつつも,国教会のカトリック化を推進した。
  国民にとってはプロテスタントよりむしろカトリックの方がなじんだものであったため,大きな反対は起こらなかったが,法王権の承認,修道院領の回復は国民の強い反発を買い,特に後者についてはメアリもあきらめざるを得なかった。続いてメアリは,イギリスに野心を持っていたスペイン王フェリペ2世と結婚,国民の不信を買った。さらに,イギリスがスペインとフランスとの戦争に巻き込まれ,唯一大陸に持っていたカレーを失ったため,一層国民の反発を招くこととなった。
  メアリはカトリック化を進める過程で,エドワード時代にプロテスタント化の中心となった人々を処刑し,その数は300名にのぼった。そのため,人々は彼女を「血のメアリ」と呼び,ローマへの憎悪が高まっていった。

■ エリザベス時代
  メアリが即位後5年で世を去ると,アン・ブーリンの娘エリザベスが即位した。エリザベスはエドワードやメアリの失敗を繰り返さぬよう,「中庸」を心がけ,教義面ではプロテスタント,教会儀式の面ではカトリック的なものを取り入れ,教義の中でも,プロテスタントの諸流派の立場を折衷するなど,きわめて妥協的な宗教政策を採った。
  エリザベスはローマからの独立と国民の非カトリック化を進め,メアリ時代に大陸に亡命していた新教徒が多数帰国して活動し始めた。この新教徒にはカルヴァン派の人が多かったが,彼らはエリザベスの折衷的な立場に不満を持ち,国教会に対して批判的であった。彼らは「清教徒」と呼ばれ,やがて彼らが清教徒革命の担い手となっていくことになる。

■ ピューリタン革命
  エリザベスの死後,スコットランドのジェームズ6世がジェームズ1世として迎えられる。彼は議会に結集し始めたピューリタニズムの勢力に対して,王権神授説と国教会の立場から,強圧的な姿勢をとった。彼の跡を継いだチャールズ1世も議会と対立し,11年にわたって議会を開くことなく独裁政治を行った。やがて,彼がカルヴァン派の強いスコットランドに国教を強制しようとしたため,スコットランドで反乱が起こった。王は戦費調達のため,やむを得ず議会を招集するが,ピューリタンが優勢であった議会は国王と対立し,ついに内乱へ発展する。内乱で主導権を握ったのは,議会派であり,中でもクロムウェル率いるピューリタンの独立派であった。クロムウェルは国王を倒して共和制を確立し,長老派や平等派を抑えて独裁政権を樹立するが,彼のピューリタニズムにもとづく政治は民衆の支持を得られず,王政復古につながっていく。

■ ピューリタン弾圧
  王政復古後,新たに選び直された議会は,真っ先に一連のピューリタン弾圧法を可決した。4つの法律によって非国教徒は,政治からも都市行政からも,大学からも閉め出され,国教を拒んだ2000人もの聖職者が追放された。
  1670年チャールズ2世はフランスのルイ14世と密約を交わした。ついで,1672年,チャールズ2世は「信仰自由宣言」を発表する。
  議会はこうした一連の決定が議会の関与なしに行われたことに反発し,王に「信仰自由宣言」を撤廃させ,次には「審査法」を成立させた(1673年)。公職に就こうとする者はイギリス国教会に宣誓を行うべし,という法律であった。
  これに対して国王は,カトリックから国教会に乗り換え,国教会と協力することで王権強化を図った。これはかなり成功したが,カトリック信者であった王の弟の後のジェームズ2世がジェームズ1世の後継者となることについては,それを防ごうとする一派との対立が起こった。結局,ジェームズ2世が王位を継ぎ,カトリックが優位となった。軍隊でもカトリック信者が士官として任命された。国教会の聖職者の思想取り締まりを始める一方,大学にも干渉した。1687年には,カトリックの復活をめざしてふたたび「信仰自由宣言」が出され,国教会の説教壇からそれを読み上げるよう強制した。それを拒否した7人の主教が逮捕されたが,ロンドンの裁判所は無罪を宣告し,群衆はこれを歓迎した。1688年ジェームズに男子が生まれると,カトリックの支配が今後も続くことを不満とした人々は,オランダのオレンジ公ウイリアムを王として迎え入れることにした。名誉革命である。
  このように,イギリスでは,新教と旧教の対立に国教会が絡んで,非常に複雑な宗教事情が展開された。スウィフトは,カトリックの強いアイルランドで国教会の牧師をしていたわけだから,こうした宗教的な対立には敏感にならざるを得なかった。


[『桶物語』]

  『ガリヴァー旅行記』同様,スウィフトが匿名で書いたものに,『桶物語』という本がある。この本は1705年に出版されたもので,執筆されたのは1690年代ごろと見られている。1696年にはほぼできていたらしいが,詳細は不明である。この本が出るとその過激な内容が物議をかもし,当然スウィフトは死ぬまでこれが自分の本であることを公式には認めなかった。
  『桶物語』(A tale of a tub)というのは「与太話」「戯れ言」を意味するが,スウィフトが序文で,

   「船員たちは鯨に出会ったときに空の桶を投げ与え,鯨をそれで遊ばせて,船に危害が及ぶのを食い止める習慣である」

  と語っているように,口やかましい才人たちが国家社会を悩ませることのないよう,彼らの気を逸らせるために桶の物語を著したという側面もあったようである。
  『桶物語』は序文+11章+結語からなっている。その主題となっている話は,「上衣と三人兄弟」の寓話である。これは,宗教改革当時のキリスト教会の歴史を痛烈に皮肉ったものである。

  昔あるところに三人の息子を持った男がいた。彼らは三つ子で,どの子が長子か産婆もはっきり決められなかった。男は息子がまだ幼い頃に亡くなった。男は死の床で息子をそばに呼んで三人に上衣を与え,それを大切にするよう遺言した。また,三人は常に一緒に暮らすよう言い残した。三人は初めは一緒に行動し,上衣を大切に手入れしていたが,やがて世間の流行に流され,上衣に肩章や金モールといった飾りを付け始めた。それは父の遺言に違反するのではないかと不安も覚えたが,さまざまな工夫を凝らして遺言の中から自分たちの行動を正当化する表現を見つけだした。
  ある時,兄は,ある貴族から住み込みの家庭教師となるよう要請され,貴族の死後,策略を巡らして子孫を追い出し,貴族の家を乗っ取ってしまう。弟たちを呼び寄せると,兄は自分を父親の跡取りと考えるように言い,さらにピーター様,ピーターのお父さんなどと呼ぶよう弟たちに要求するようになった。ピーターは保険会社を考案し,万能酢を考案するなど,次々と事業を起こして成功し,大儲けするが、だんだんその横暴ぶりが目に余るようになり,ついに弟たちは兄と決別を宣言する。ピーターは怒って弟たちを家から放り出し,以後,二度と家には入れなかった。  弟たちは父の残した遺言をもう一度読み直し,父のいいつけに立ち返ろうとするが,マーチンは上衣の飾りを丁寧に取り除いてもとの形に戻していくが,もう一人の弟ジャックは途中で面倒くさくなって力任せにむしり取ったため,肝心の上衣がぼろぼろになってしまう。ジャックはそれがおもしろくなく,マーチンとの仲も険悪になっていくのであった。

上衣 キリスト教の教義と信仰を意味する。
飾り 教会(特にカトリック教会)でものものしい儀式などを持ち込んだことを示している。
父の遺言 聖書を意味している。
ある貴族から住み込みの家庭教師となるよう要請され,貴族の死後,策略を巡らして子孫を追い出し,貴族の家を乗っ取ってしまう ここでいう貴族とはキリスト教に最初に帰依したローマ帝国の皇帝コンスタンティヌスを指し,その屋敷を乗っ取ったというのは,法王が,コンスタンティヌスから聖ピエトロ寺院の領地を贈与されたとして,後の皇帝たちをローマから追い出したことを指しているといわれる。
ピーター様,ピーターのお父さんなど ピーター(Peter)とは12使徒の一人ペテロの名に由来する名前だが,カトリックではローマ教皇はペテロの後継者とみなされている。
保険会社 免罪符を意味している。
万能酢 聖水を意味している。
弟たちは兄と決別を宣言する 宗教改革を意味している。
マーチン ルターの名Martinに由来し,国教派を示す。
ジャック カルヴァンの名Jeanに由来し,プロテスタントを指す。
力任せにむしり取った カルヴァンたちが行った急激な改革を指している。

[結論]

  『ガリヴァー旅行記』では,宗教関連の話題は多くないが,『桶物語』では旧教と新教を痛烈に皮肉っている。国教側に立っていたスウィフトにとって,旧教か新教かの争いは,所詮卵の大きい端から割って食べるか,小さな端から割って食べるかと言った些細な違いであり,それをかたくなに守ろうとして争う姿はいかにも愚かしく映ったのかも知れない。