特殊講義課題(平成16年度金曜1限)

以下はベッカム論をたたかわした記録。それが、どうシェイクスピアと関係するかは、

(1)田舎と都会の関係
(2)男性の自我の成長と、世界でもまれな女性が発言力がある国
(3)マスメディアの発達にのった芸術、

といった点である。

(1)についていえば、シェイクスピアはストラトフォード・アポン・エイヴォンの田舎からロンドンに出て活躍し、その芸術は田舎と都会の中間であり、イギリス文化そのものが大陸の都会への田舎意識を持つ。ハムレットは、フランス風の宮廷文化への批判を口にする。

(2)についていえば、シェイクスピアほど女性を生き生きと描き、その力が男性と拮抗する作品を残したものはない。

(3)についていえば、シェイクスピアは大英帝国の発展にのって、植民地支配という直接的手段、繁栄することによる影響力、そして活字文化の浸透と英文学教育にのって、今日マスメディアにのって広まる芸術運動的なものの先駆けといえる。そうしたハムレットの悩み、ロミオとジュリエットの恋愛の悩みが大英帝国の発展という「世界の舞台」のったことが、そのままベッカムの成長やヴィクトリアとの恋愛、それがマスメディアにのることの分析などと、強く関連し、全体がベッカム論であると同時にシェイクスピア論になりうる。

以下、ベッカムが爵位をもらったことに始まり(シェイクスピアが成功して紳士階級を獲得したことの含意あり)家族関係、メディアとの関係、生い立ちなど、ベッカム論がそのままシェイクスピア論になりうるように誘導しつつ学生と議論した記録である。


「ベッカム夫妻が爵位をもらったことについて」

爵位とは、貴族の称号であり、公爵・侯爵・伯爵・男爵・子爵・準男爵・士爵などがある。また、準男爵・子爵は準貴族であり貴族ではないとされる。

ベッカム夫妻が受けた称号は、KnightとDameであるが、子爵(先生から士爵でしょう?)のことである。よって、爵位は受けたものの、貴族とは呼べないことになるが、準男爵や子爵は領主でないものに対する爵位であり、両親が一般人であるベッカムに対しては、当然のことと考えられる。

ワールドカップの活躍が認められ、爵位を受けることになったのだが、イングランドは優勝したわけではないし、彼はまだ十分若いと思う。よって、二人がこうした名誉を受けるのは早すぎたのではないかと考えられる。

   学生(男子)の意見


先生から。ベッカムはOBEではなく、GBE(あるいはそれ以上)ではないでしょうか。勲章として第五位、タイトルとしてはそれ以上ですから63位ということはないと思います。


 世襲されない一代限りの爵位のひとつで位全体としては63位となっている。OBE勲章とは、Officer of the Order of British Empire の略で、直訳すれば「大英帝国"公務員"勲章」。庶民出身でUK(英国)国民の手本たる抜きん出た功績を残し(ひいては外貨獲得にも大きく寄与し)た人々に与えられる、一種の名誉称号である。平たく言えば「英国民の誇りと認められた特別名誉公務員」なわけで、ある意味では「今後は英国民を辱めるようなめったなことはできませんよ」と一応くぎを刺されたようなものだと述べている人もいる(webサイトから 東本貢司 2004)。多いときには年間1500人くらいが授与されることもある称号でそんなに地位が高くないようにも思えるが、今後名称にナイトの「サー」が付くことから特別なものであるといえる。 この称号に値するかどうかは良く分からないが、サッカー界における功績とイギリスのイメージアップに貢献したと認められたのか?しかし、一方であまりのメディア進出で、王室をしのぐ注目度に、こうして称号を与え規制をする意味があったのかもしれない。王室から称号を授与することで、自分たちのほうが上であると権力を誇示したかったのかもしれない。

   学生(女子)の意見


先生から。ベッカム夫妻はエリザベス女王から爵位をもらいました。ベッカムがKnight Grand Cross of the Order of St.Michael and St Georgeでヴィクトリア夫人が Dame Commander of the Order of the Bathです。イギリス、爵位などのキーワード検索で、どのくらいのものかWEBで調べ、まとめとして、二人はこうした栄誉に値するかどうか、値するとしたらどういう点でか、述べてください。


先生から。子はかすがいと日本では言う。かすがいとは木造建築物強化のための道具なのだが、その道具が巨大なものに成長したら、木造建築物はかえって壊れてしまう。前回のファーガソン監督とベッカムとの諍いにも適用できるのではないかとも思う。来週はまとめの課題を出して、それで終わりにしましょう。


「ベッカムの両親の離婚について」

普通に考えれば、息子がスターになり、豊かになっても、家族の仲、両親の仲は悪くはならないと思う。しかし、離婚したという事実がある限り、そこには何らかの原因があったと考えられる。例えば、父親は、ベッカムが成功することを望み、熱心に指導したが、母親は、別に彼が成功しなくても良いと考えていて、息子への指導に熱が入る夫に、多少呆れていたのかも知れない。そのような微妙なすれ違いが重なって、とうとう離婚することになったのではないだろうか。

   学生(男子)の意見


 有名人になるならないは別にしても、両親の離婚を自分のせいだと考えて悩む子供は多い。そして、そのことが子供をもっとも辛い立場に立たせるのだと思う。 ベッカム家のように、貧しい家から億単位の年俸を稼ぐ息子が育ったとしたら、育てたと思う父親は息子を自分のものにしたがるかもしれないし、もっと稼いで来いと欲が出てきて、そういう思いから母親が息子に注ぐ純粋な愛情とかけ離れたと考えてもおかしくない。あるいは、サッカー選手として育てなかった母親が彼を金づるだと考えたためかもしれない。 もし、離婚の原因がベッカムがスターになったことと関係があるとするならこう考えてみてもいいのかもしれない。

   学生(女子)の意見


先生から。ベッカムの両親の離婚について。

ベッカムの父親は自営のガス配管業者。母親は美容師。ロンドンの北に住んでいた。

一般にロンドンの東は貧民地区。西は高級住宅街。北は、あわよくば成功した西に住めるようになりたい人が多い。南はテームズ川の南岸なので、少し複雑。概して西が高級、東は雑多。

父親は日本でいえばサッカー・パパ。日曜リーグなどで息子を活躍させたがる。プロテストに落ちても落ちても挑戦させ、あたたかく、熱心に息子のサッカー練習の相手をして育てた。

この父親のサッカー熱と、母親の美容師としてのファッション感覚がなければ、今日の「ベッカム現象」はなかっただろう。日本のマスコミは、こうしたことに節度があるので、あまり話題にならなかったが、この両親が最近離婚した。ベッカムの兄弟の親権や、会う会わないの問題でベッカムも苦しむ。離婚した夫婦の子供としての辛さ以上に、「自分が原因ではないか」という想いもある。頑張る労働者階級の人が、息子がスターになり、豊かになって、それまで息子に注いできた愛情のリズムが狂うのかもしれない。

こうした点についてどう思いますか。


先生から。お二人の回答。それはそうでしょうけど、プロの監督が試合中まで「あいつは子供の世話で練習に遅れた」などと思うものなのでしょうか。来週は、ベッカムの両親の離婚問題を話題にします。この監督との諍い問題と関係します。


「ファーガソン監督とベッカムのいさかいについて」

ティーンネイジャーの頃からベッカムを育ててきた監督は、彼を十分に理解していて、彼の才能に期待している。だからこそ、子どもの世話よりも練習を優先させて欲しいと思っているが、子を世話するのは親の役目でもあるし、非難したのは不当であったと気付き、あとで謝る。

ベッカムの方は、子どもを育てるのは楽じゃないし、自分は有名なチームの中心選手なのだから、少しくらいのわがままは許して欲しい、なんでそれくらいのことで非難されるのか、と思っている。

ベッカムがティーンネイジャーの頃からの付き合いとなると、二人は親と子のような関係になっていて、監督は、彼がサッカー以外のことに余計な時間を使うことを快く思えず、このようなことが起こるのではないだろうか。


先生から。マンチェスターユナイテッドの監督といえばプロ中のプロです。試合で選手がとった行動、どこへ走ったか、どこへパスを渡したか、どのタイミングでシュートしたかなどについての判断は、常に正確であるべきです。その判断が狂って、不当にベッカムを非難し、あとで謝るといったことに陥るのも「マイホーム・パパ」の迫力なのでしょうか。


ティーンネイジャーの頃から知っていてサッカー選手として育てたのに、これまでの選手像と違って家事をこなしたりするマイホームパパになってしまってそんなふうに育てた覚えがないから非難してしまうのでは?けど、それが一家のパパとして、人間として間違っているわけではないし、ベッカムが家族を大事にして、その上に選手としての基盤を広げていることをこれまでそばでみてきた監督自身が知っているからではないか。
 監督が自分が思う選手像から離れて彼が成長したようで怒りがたまったのではないか。

   学生(女子)の意見


先生から。ファーガソン監督とベッカムのいさかいについて。

ベッカムが有名になるにつれ、監督とのトラブルが発生する。ブルックリンやロミオといった世界的に有名な赤ちゃんの世話で、練習に遅れたりするたびに怒りを蓄積させ、ついに、監督がロッカールームでスパイクを投げつけてベッカムに怪我をさせる。互いの話し合いで理解しあえるようになるが、亀裂は深まってゆく。監督はベッカムをティーンエジャーの頃から育て、互いの信頼は深く、問題はない仲であったのに、なぜか、監督は不当にベッカムを非難し、後で、その不当さに気づいて謝るといったことを繰り返す。こうしたことが発生する理由は何だと思いますか。二人の心理を分析してください。


先生から。ベッカムの人柄、日本の共同体主義、好意の表現としてイギリスのアイドルへの傾倒(ダイアナ妃来日の際も日本の過熱ぶりは異常ともいわれた)は、今後も検討すべき課題です。さらに発展させてゆきましょう。


「ベッカムについて、日本独特の現象が起こるのはなぜか」

1)日本は人柄を重視する国だからだと思う。その人を評価する時、職業も重要であるが、その人自身の人柄も、大いに影響する。もし、ファンに対して、冷たい態度や心無い発言をするような人だったら、どんなにカッコよくても、日本人は受け入れられないだろう。

2)日本では、夫婦はいつも仲良くあるべきだとされ、ひとつの共同体と考えられているからだと思う。片方を批判することはもう片方のことも批判するということであり、仕事を片方にしかオファーしないというのもその考え方に反するからではないだろうか。

3)日本では、その人に対する好意、尊敬の表現方法として、その人の容姿を真似るということをするからだと思う。流行に流されてのにわかファンもいると思うが、彼らも少なからず好意なり、尊敬なりの思いは持っていると思う。それをベッカムが感じ取ってくれて、このようなことが実現したのではないだろうか。

   学生(男子)の意見


先生から。ベッカムにとって日本は「もの珍しい」対象なのでしょうか。「家族主義」はむしろアングロ・サクソンの伝統で、最近、それを息苦しく感じる人々が出てきていて、一方、日本は長く「家」で統制された儒教的世界であったものの、その「家族主義」は義理人情で「縛る」もの、欧米的な暖かい愛情を強調するものではなかったから、欧米的「家族愛」に憧れるのでは。それにしても、他国の国旗を振ってサポートするのは、いくら「海外で有名なスター」でも異常ではなかろうか。


日本ではまだまだ野球に比べてサッカー選手の知名度が低いからではないだろうか。本人も言っているようににわか仕立てのサポーターは彼を一選手としてみるより、'海外で有名なスター'としての知名度の方が高いから、彼のサッカー選手としての成績や活躍は二の次でいいと考えるのではないか。 夫婦一緒のCMというのは、日本では家族のつながりとか父親像を大事にする'古い考え方'があるからでは?仲がいいといわれている夫婦は日本人でもよく一緒に出ていると思う。ベッカムたちも夫婦のもあるがそれと同じくらい一人ずつのもあると思うし、日本以外でオファーがくることがないからもの珍しく印象に残ったのだろう。

   学生(女子)の意見


先生から。来日したベッカムの日本について本人の見方を紹介します。

1)サッカー選手を離れた人気がある。イギリスでは自分をサッカーと切り離して考える人はいないのに、日本人はサッカーを離れても好もしく思ってくれる。
2)夫婦を切り離さない。イギリスではヴィクトリアを悪くいうメディアもある。広告の仕事などは夫婦別々に来る。日本では、夫婦ご一緒に、といわれることが多い。常に、良き夫、良き父親であることを期待されているようで、日本人の「古さ」を感じるが、好もしくも思う。
3)にわか仕立てのイングランド・サポーターが出来て、幼児まで自分と同じ髪型をしてくれたことに感激し、小学校訪問を申し入れた。

以上のような日本独特の現象が起きるのはなぜだと思いますか。1)以外については、他の国では(欧米、アジア、アフリカを含め)、おそらく考えられないことです。1)について、多少指摘されることが欧米メディアでもありますが、日本ほどの現象ではありません。


先生から。「個人競技なら自分がどれだけ強くなれるか、速く走れるか、うまくなれるかを、団体競技ならチームメイトとどれだけ息を合わせられるか、対戦相手より強くなれるかを、競うことが目的」というのを突き詰めれば昔の武士か軍隊かになりませんか。また宝塚は「女の軍隊」ともいわれています。軍隊は社会心理分析では「ホモ・エロティックな集団」ということになってしまうのですけれど。また、来週、こうした説を紹介してゆきます。


「スポーツ競技はホモ・エロティックな世界だという説について」

確かに、スポーツ競技は、男女が峻別される世界ではあるが、それは、身体的な面で男女に差があるからだと思う。幼少期ならともかく、身体的に大人になってから一緒に競技するのは、危険な面があるからではないだろうか。

また、スポーツは、肉体美を追求するものではなく、個人競技なら自分がどれだけ強くなれるか、速く走れるか、うまくなれるかを、団体競技ならチームメイトとどれだけ息を合わせられるか、対戦相手より強くなれるかを、競うことが目的だと私は思うので、(2)や(3)のような考え方についてはあまり理解できない。

   学生(男子)の意見


鍛えた肉体で自分の極限を超えてその競技に挑む選手たちはスポーツ選手としても人間としてもすばらしいと純粋に思う。そんななかでその選手たちに惹かれることがあっても不思議ではなく、ある人がたまたまかっこいいとか、すごいと思った選手が同性だっただけだと思う。日本において言えば、宝塚なんかもそうだと思う。一度生で見た人は一般の男性に魅力を感じなくなると聞いたことがある。 スポーツ選手全員が同性愛者じゃないし、たまたまそこがクローズアップされたに過ぎないと思う。選手同士はどのサポーターより近いところでかっこいい選手のプレーを見れるのだから、好きになっても当然といえば当然な気がする。

   学生(女子)の意見


先生から。スポーツ競技は、そもそもホモ・エロティックな世界だという説がありますが、どう思いますか。
スポーツをホモ・エロティックとする説の根拠。
(1)男女が峻別される世界。混合ダブルスなどは、あまり盛んでない。
(2)男性のスポーツは、男性が強さと男性的な肉体美を追及する世界。女性の観客を排除し、一糸まとわぬ姿で行われた古代オリンピックの例がある。( 現代も強さと筋肉質の肉体美が魅力であることに変わりはない。)
(3)女性のスポーツも、例えば、フィギュアスケートなどは、選手と女性の観客が一体化し、精神的には男性を排除して、女性としての肉体美を提示し、褒め称えられるレズビアン的陶酔にひたっている。


先生から。英国のサッカーは、男の子が男になる訓育の象徴、軍隊のように思われていました。めめしいことは、たとえ真面目な文化的なことでも排除され、そうした教養を持つサッカー選手も、それを隠していたといわれます。ガスコイン時代までそうでした。日本の大相撲も、歌謡曲歌手になったりする人が出るタレント化現象があるのは戦後のことです。軍隊であったサッカーに、はじめて文化の香りのするキャラクターがあらわれたのはベッカムが最初です。その「やさしさ」の延長としてゲイのサポーター容認になりました。可愛い女の子を「可愛い」とはっきり言えるサッカー選手も、ベッカムが初めてとさえ言われます。しかし、そこまで厳しい「軍隊」であったサッカーの精神性のようなものが、英国でホモを多く生む背景ですから、皮肉なものです。



(1)どうして画期的なのでしょうか。 他のサッカー選手はプライベートな話をマスコミにしないし、自分が家事をしていることを公にはしない人が多いからだと思う。そういう点で稀有な存在だと思う。
(2)また、このことと、ベッカムがはじめてゲイのサポーターを容認したことが関係しているといわれます。どう、関係しているのでしょうか。  
  家族を持って大切にするようになって、すべてのサポーターを差別しないで接しようと思うようになったから。また、これだけの人気者になってしまって差別したファンからの中傷や家族への被害を考えるようになったから。だと思う。

   学生(女子)の意見


「ベッカムが子供の養育について話すことがなぜ画期的か、また、ゲイのサポーターを容認したこととどう関係しているか。」

人前に出るようなスター選手は、イメージを気にして、そのような生活臭あふれたことは、普通は、言わないと思う。しかし、あえて口にすることで、大衆に親近感を与え、評判をあげることにつながっているのではないか。サッカー以外での自分をさらけ出すという、他の選手がやらないようなことをするという点で、画期的である。

また、このことと、はじめてゲイのサポーターを容認したことの間には、彼は、自分が良いと思ったことは、周りがどう言おうと、正直に述べる、すべてさらけ出す、という考えを持っていて、あくまで自分の信念に従って行動した結果、このようなことになったという点で関係があるのではないだろうか。

   学生(男子)の意見


先生から。
本日の課題
ベッカムはブルックリンやロミオといった子供の養育で、おしめを換えようととして失敗した話などをして、それが評判をあげています。これはサッカー選手としては画期的だといわれます。
(1)どうして画期的なのでしょうか。
(2)また、このことと、ベッカムがはじめてゲイのサポーターを容認したことが関係しているといわれます。どう、関係しているのでしょうか。


先生から。来週も、こうした話題の周辺を問題にしてゆきます。


日本では大衆紙、高級紙という分け方がないのであまりピンとこない。けど一般的な知識を広くのせ、興味があれば自分であとは調べてね、というスタンスはニュースに人をひきつけ考えさせるという点ではいいのでは? 新聞から教養も得たいが今どきのゴッシプも知りたいとなったら両方買わなくちゃいけないから日本のように一緒でいいと思う。

   学生(女子)の意見


「大衆紙と高級紙の違いについて、イギリスと日本、どちらの状況が良いか」

二方面から国民を刺激することで、騒ぎを大きくし、話題を集めることができるので、メディアにとっては、イギリスの状況の方が良いと思う。

また、日本では、スポーツ紙と全国紙で、扱う話題がほとんど違うため、それぞれの書き方でしか、それらを知ることはできない。その点、物事を二方面から見ることができるので、読み手にとっても、イギリスの状況の方が良いのではないかと思う。

 心理コース 学生(男子)の意見



1)はとても好ましいと思う。けど、選手にとっては少し物足りなさを感じる人もいたかも知れない。メディアとのつながりが薄くサッカー好きの人は詳しいけど知らない人はまったく知らないという状況だったのでは? 
2)はあまり好ましくないように思う。メディアの進出があり、サッカーが広く知れ渡ったことは好ましいかもしれないが、記事になるからと選手たちのプライベートはメディアにおもしろおかしく取り上げたりされたのではないか?有名になるのはいいがメディアに追っかけられる日々は苦痛ではないだろうか。それがストレスにもなり成績がふるわなかったり、アルコールに走ったりの原因になったとも考えられるのでは? 
3)は特に何も不快はないように思える。サッカーが一般うけしたことの証だと思う。アルコールがはいって荒々しくプレーするというサッカーの印象を、紳士も行うスポーツなのだとイメージを変えてくれたのでは?きっと女性のファンも増えるしますますサッカーへの注目が高まっていくと思う。

   学生(女子)の意見


「どれがサッカーあるいは世の中にとって好ましい状態か」

メディアやクラブ(あるいは選手)にとって、好ましい状態はもちろん3)であると思う。ベッカムをとりあげれば、メディアは儲かるし、彼の商品などを売り出せば、クラブ側も儲かり、本人の収入にもなる。

また、サッカーにとって好ましい状態もやはり3)であると思う。注目されれば、多くの人々がプレイを見に来る。その期待に応えるため、選手は努力し、クラブ側も良い選手を揃えようとする。その結果、サッカーのレベルそのものが上がる、と考えられる。

   学生(男子)の意見


先生から。もう一問。大衆紙と高級紙の違いについて。次の説明を読んで、イギリスの状況と日本の状況とどちらがいいと思いますか。

内容より表現で違いがはっきりします。高級紙は読者が大学を出ていることを前提にしていますから、シェイクスピアの引用などは頻繁で、ある程度知識がないと読めません。そのかわり先般なくなったシェイクスピア学者の高橋康成氏の追悼として、各誌が長文の弔辞を掲げました。日本のメディアでは英語青年以外、そんなことはなかったと思います。朝日新聞で、高橋氏の追悼記事がイギリスの高級紙ですごかったということに触れた社説があって、死に至るまでを記したコンパクトで感動的な短い記事があっただけです。日本では、スキャンダルを大々的に乗せるスポーツ紙がイギリスの大衆紙になぞらえられるように思われがちですが、ちょっと違います。

表現に注目してみると、たとえば蓮池さんのおじいさんが孫が帰ってきたので禁酒をやめ、二十何年ぶりに飲んだ酒が「五臓六腑に染渡るとはこのことじゃ」といった表現をしました。これなど、日本が大衆紙と高級紙にわかれていたら、高級紙の見出しになったでしょう。しかし、日本の朝日、読売、毎日といった全国紙は、決して大学出の教養ある人だけを対象にしたものではないので、「五臓六腑」は表現が難しすぎるとして見出しには出来ません。スポーツ紙も同じ配慮をしています。それに、日本のスポーツ紙はエッチな小説などを載せて大衆受けは狙ってはいますが、作家は芥川賞作家を起用したりして、結構、表現には気を使う、やはりプロのメディアです。一方、イギリスの大衆紙「サン」などの英語はやさしく、内容が過激でなければ、日本の英語教材に最適です。いわば、スキャンダルが載っている小学生新聞なのです。日本は高級紙も大衆紙もなく、誰でもわかりやすくをモットーにしたため、表現が一般的になりすぎて、漫画などは特に面白くないともいわれます。その代わり、何か話題になることを徹底的に追求することもないのです。

さて、ルパート・マードックというイギリスのメディア王は、高級紙「タイムズ」と大衆紙「サン」と両方を傘下におさめ、「タイムズ」の赤字を「サン」の黒字で埋めるという作業をしています。「タイムズ」は19世紀以来、経営難で苦しんでいます。その最大の理由が、普通教育の普及で労働者階級も新聞が読めるようになり、大衆紙が台頭したせいだということは皮肉な話です。イギリスは大衆紙と高級紙と二つあるので、ダイアナ妃もベッカムも、二方面からフルに国民を刺激した巨額収入源にメディア王はもっていけるわけです。日本では、なかなかそうはいきません。最近の皇太子の発言も、イギリスなら大衆紙がかなり下品に誇張し、高級紙が政治の深層に掘り下げた問題提起などをして、騒ぎを大きくできますが、日本では、全国紙もスポーツ紙も、一般的な書き方しかできませんから、イギリスほどは、すぐには騒ぎを大きくしてメディアの金儲けの対象にはなりにくいのです。


先生から。近年のイギリスのサッカー状況は三期にわけられます。
1)サッカー選手もバスで通勤したりして、地元に愛される健康なスポーツであった時代。
2)1961年にサッカー選手の収入の上限を規制する規則が撤廃され、マードックが大衆紙「サン」を買収、売り上げ一位にもってゆく。ガスコインという暴力的だが幼児っぽく憎めない酒飲みのキャラクターが大衆紙をにぎわす。無意識の喧嘩騒ぎがニュースになる。メディアを憎んでいるが記事になって広告になり収入になる。
3)ガスコイン時代は1998年で終わり、ベッカム登場。メディアを必要とするクラブ(マンチェスター・ユナイテッド)とともに台頭。絶対に世のセレブリティーに不快感を与えないキャラクター。収入はガスコインの十倍以上。何十万ポンドから何百万ポンドの時代へ。

1)2)3)の状態で、どれがサッカーにとって、あるいは世の中にとって、好ましい状態だと思いますか。


先生から。「メディアに積極的に関わり、取り上げてもらうことで、人気を増やし、スタジアムの入場者数を伸ばしたり、海外にも市場を広げることで、ファンを増やすことに成功している」というので正解ですが、実態はもっとすさまじく、ルパート・マードックというメディア王と、マンチェスター・ユナイテッドのチェアマンがテレビの放映権などをめぐって熾烈な戦いをやった結果です。テレビを制すれば広告主としての企業が関わります。来週は、イギリスのメディア事情、大衆紙と高級紙の違い、そこでのサッカーとスパイスガールズなどポップミュージックスターとの関係を考えてゆきます。


「マンチェスター・ユナイテッドの方がもてはやされるのはなぜか」

リヴァプールの方が成績が良いにもかかわらず、マンチェスター・ユナイテッドの方がもてはやされるのは、戦略の違いが影響しているのではないだろうか。メディアに積極的に関わり、取り上げてもらうことで、人気を増やし、スタジアムの入場者数を伸ばしたり、海外にも市場を広げることで、ファンを増やすことに成功していると考えられる。その中で、ベッカムという選手が注目され、相乗効果で双方がもてはやされるようになったのではないだろうか。

   学生(男子)の意見

----------------------------------------------------- 先週、時間を過ぎてしまった分のメールを以下に載せます。

「ベッカム夫妻の注目度」

大衆の目をひくのはベッカムのようなカッコいい人や、綺麗な人なのだと思う。ダイアナ妃は綺麗な人だったが、エドワード王子はそうでもない、そのようなことが影響しているのではないだろうか。

   学生(男子)の意見


先生から。でも、1990年代は、ベッカムはやっと一部のサッカーファン(それもイギリスの)に知られただけでした。1980年代は暴力沙汰などが頻発して、サッカー全体の人気にかげりがあるときでした。ポール・ガスコンという選手が第一人者でした。それを1990年初頭に何かが起こって事態が逆転したのです。チェアマンの収入がうなぎのぼりになったのも、そのためです。そのことに乗って、やがてベッカムがあらわれ、スパイスガールズの一人との交際で、さらに相乗効果があったのです。知り合った当初はヴィクトリアの方が有名で、ベッカムはその愛人男性の一人で、長続きするかどうかわからない感じで、ほとんど注目されていませんでした。さて、1990年初頭に起こった大きなサッカー界の転換は何だったと思いますか。


 スポーツ界においても必ずしも強いところが最も注目を浴びるとは限らないし、最も有名になるとも限らない。負けてばっかりのチームを応援しようという人だっていると思う。結局、スター性のあるチームが脚光を浴びファンを集め、有名になっていくのだと思う。スター性の中には、勝負の世界だし強いということも含まれるけどそれだけではダメだとおもう。自分たちファンを大切にしてくれてるとか、自分たちのチームだと思えるような親近感とか、親しみやすいキャラクターの選手がいるとか、カッコイイ選手がいるとか・・・。色んな要素が必要だと思う。 

   学生(女子)の意見


先生から。マンチェスター・ユナイテッドの名門性について。8っつのプレミアシップ(サッカーにはプレミアリーグというものがあって、選ばれたチームで覇を競う)ヨーロッパチャンピオンも一回とっている。しかし、リヴァプールはヨーロッパチャンピオンは二回、リーグ優勝は11回も果たしている。にもかかわらずマンチェスター・ユナイテッドの方がもてはやされるのはなぜだと思いますか。マーティン・エドワーズというマンチェスター・ユナイテッドのチェアマンの年収は1990年ごろからうなぎのぼり、当初3万ポンドだったのが、10万ポンドに、98年には60万ポンドになっています。平行してベッカムの名声も高まっています。参考として、F1レースのフェラーリは1979年以降20年以上チャンピオンシップはありません。にも関わらずもっとも注目されています。


先生から。王室だと人々との「距離」が問題。また注目される人の「かっこよさ」が問題ということになったと思う。この点は、あとで立ち返ることにして、来週はマンチェスター・ユナイテッドの「名門性」を考えます。


やっぱりみんなの目を惹くのはかっこいい、すてきな人なのだと思う。王室の人でも皇太子でない人とかの人気度はぐっと下がると思う。王室にそういう目を惹くニュースがなかったからベッカム夫妻がマスコミの注目を一身に浴びたのでは?

   学生(女子)の意見


先生から。エドワード王子の結婚が私の留学中(1998−1999)にありました。しかし、これよりベッカム、ヴィクトリア夫妻の方が注目を集めていました。1997に自動車事故でダイアナ妃が亡くなるまでは、ダイアナ妃の注目度がベッカムやスパイスガールズより上でした。王室の座にベッカム夫妻がついたという意見は、マスコミ、特に大衆紙の扱いからは実証できます。こうした情報を得た上で、さらに意見があればメールください。


「ベッカムとヴィクトリアが、「一般人のための王室である」という意見について」

王室と一般の人との間にどのくらいの隔たりがあるのかは正直検討がつかないが、そう簡単に接触できるような存在ではないことは確かだと思う。その点、ベッカムらは、「尊敬(もしくは崇拝)できるが、王室より近い存在」という意味で特別な存在なのではないか、と思う。ここから「一般人のための王室である」という意見が生まれるのではないだろうか。

   学生(男子)の意見


先生から。スパイス・ガールズがあまり日本では馴染みがないからかもしれない。このグループは、上手な宣伝で、とくにアメリカのペプシコーラとの結びつきで英米では有名になった。コカコーラに対抗し、ペプシがトップの売り上げである地域の宣伝のためにスパイスガールズのライヴをやったりした。ベッカムと恋におちたころはともかく、結婚の直前には、英米ではもっとも稼げるグループであった。


 「彼らは、一般人のための新しい王室である」というのは、王室も一種のスターのようなところがあるし、反対にベッカム夫妻も近寄り難い高貴なイメージがあるからそう感じる人がいてもおかしくないと思う。けど、「かつてダイアナ妃が占めていた感傷的な領域」というのはどういう意味なのか分からない。ダイアナ妃にあたるのがヴィクトリアだとしても、わたしにとってはヴィクトリアは"ベッカムの奥さん"にしかすぎないので、ダイアナ元皇太子妃ほどスター性が感じられない。

   学生(女子)の意見


先生から。この前あげた六項目のうち(4)スパイスガールズの一人、ヴィクトリアと恋におち、結婚

について考察します。ベッカムとヴィクトリアは「かつてダイアナ妃が占めていた感傷的な領域」に入り込もうとしている。「彼らは、一般人のための新しい王室である」という意見がありますが、これについて、どう思いますか。


先生から。来週は休みです。再来週から、項目6っつについて、もう少し詳しく検討してゆきます。


「ベッカムがなぜメディアの注目を集めるようになったか」

ベッカムがメディアに注目される理由として、まず、個人的に有能な選手であることが挙げられる。実力のない選手にメディアはここまで注目しないと思うからである。マンチェスター・ユナイテッドに所属して出発したことや、イングランド代表としてワールドアップに出場したことなどは、有能さの延長線上にあると見て良いだろう。

また、女性ファンを魅了するキャラクターも注目を集める要因であると思う。正直、ベッカムと同等、もしくはそれ以上の実力を持っている選手は他にもたくさんいる。それにもかかわらず、それらの選手は一般的にはあまり認知されない。このことから、実力とルックスの良さの双方を兼ね備えた人の方が注目を集めると言える。

   学生(男子)の意見


先生から。全部だといわれたら、ちょっと授業になりにくいのですが、(1)〜(3)があてはまる選手は過去にもいたはずです。(4)って、それほど大事ですか。不可欠としたら、スパイスガールズが注目されますが、私の見解では、他のグループに属するタレントでもよかったのではないですか。そもそも、タレントと結婚する必要が不可欠というほどありますか?また一般にイギリスのスポーツ選手は女性にはやさしいのですが、それでは不足ですか。他のイギリスのスポーツ選手にはない、女性からみたベッカムの魅力とは何なんでしょう。(6)は不可欠ですか。むしろ世界的なメディアの寵児になったから、勢いで付け加わった感じがしますが。それともベッカムの資質に不可欠な何かなのでしょうか?


どれかひとつでも欠けていたら今日の彼への注目度は変わっていただろう。サッカープレイヤーとしての十分な素質、そしてそれに見合うだけのパフォーマンスがあるからだと思う。サッカーに詳しくない私でも、マスメディアに出てくるナイスガイの彼には惹きつけられる。ルックスもいいし、画面を通じて優しそうな雰囲気が伝わってくるし、本業のサッカーがうまいとなれば世間の人はほっとかないだろう。 サッカー選手としての素質でサッカー通を、そのルックスと人柄でそれ以外の人を、そして、彼を応援したいと思う人なら誰でも(ゲイであっても)受け入れてくれる、そのすべてが彼にはあるからこんなにも注目されるのだと思う。

   学生(女子)の意見


先生から。ベッカムがなぜメディアの注目を集めるようになったかを、根本から考えてみましょう。ベッカムについての要点は

(1)マンチェスター・ユナイテッドという名門クラブに所属して出発
(2)個人的に有能な選手
(3)イングランド代表としてワールドカップに出場
(4)スパイスガールズの一人、ヴィクトリアと恋におち、結婚
(5)女性ファンを魅了するキャラクター
(6)サポーターを差別しない、

などです。このうち、どの要素が(複数回答可)今日の名声の原因だと思いますか。また、その理由を述べてください。


ベッカムの特異な資質が、後に注目を集める要因となったという考え方に賛成する。もし彼が、イギリスの乱暴で服装には無頓着な少年達と、同様な育ち方をしてきたとしたら、ここまで世界(サッカーに詳しくない人達を含める)で注目されなかったし、日本でも人気は出なかったと思う。彼のサッカー選手としての技術もさることながら、そのルックスやファッションセンスが人気の要因のひとつと考えられるからだ。

ゲイのサポーターを容認したということについては、正直あまり分からない。彼には、そのような言動をとっても余りあるほど、サポーターがいるから、だろうか。

   学生(男子)の意見


先生から。信念で片付くかどうかは、また来週議論しましょう。


どんな立場や考え方の人であれ、自分を応援してくれるサポーターを大事にしたいと思ったからできた発言なのではないだろうか?彼以前には他のサポーターからの非難を考えて受け入れる選手がいなかったそうだが、ベッカムは自分の思うことを素直に表現できる人だったからこそ前例のない行動もとれたのだと思う。だからヴィクトリアとの恋も結婚まで行けたのではないだろうか?好きなものを好きと言えることが彼にとっては当たり前でそこがいろんな言動の出発点になっているのでは?それに向かうために日々の努力ができるし、周りのことも気にしないで突き進めるのだと思う。

   学生(女子)の意見


先生から。イギリスのサッカー少年は、かなり乱暴で、服装には無頓着。荒いマッチョのひよっこといった感じが普通。その中で、ロンドン育ちとしてもベッカムは特異といわれる。こうした少年時代の資質が、後にゲイのサポーターを容認したり(これはマッチョのサッカー選手には珍しい)ヴィクトリアとの恋がダイアナ妃なみの注目を集めたりした原因ともいわれる。こうした考え方には賛成しますか?


「都会性」や「擦れた」といった表現は、世の中でもまれて純真さを失ってしまうことだと考えられるので、服装にポリシーを持つことや、料理や片付けをきちんとやることとは、あまり関係性は無いと思う。どちらかと言うと、本人の性格や家庭の影響が強いのではないだろうか。

ただし、服装自体について、流行の最先端のものや、都会でしか売っていないものを身に着けようとする場合は、「都会性」の表れと考えても良いかも知れない。

   学生(男子)の意見


 こまめに片づけをする子供が擦れていることはないと思う。擦れている子は家にあんまりいないとか 家族とのコミュニケーションがない子のことだと思う。サッカーを通じて父親との交流もあり、「擦れた」というのは彼にはあてはまらないのでは? 自分の好きな服装をしていたというのは、どちらかといえば都会性なのかもしれない。自己主張ができる人で個性的だったのではないだろうか?都会には個性的な主張をする若者が多い気がする。しかし、一方で友人と同じ服装で群れる若者もいるのでその当時の彼の友人がどうだったのかが分かるとよりはっきりするのではないだろうか?

   学生(女子)の意見


先生から。ベッカムについて。ベッカムはローンティーンの頃から、服装にポリシーがあって、家族に笑われても、自分の好きな服装で身を固めて外出したそうです。また、サッカー少年にしては珍しく料理が好きで、こまめに片付けもしたと回想しています。これは「都会性」でしょうか。また「擦れた」といった表現で良いでしょうか。


先生から。ではベッカムについて「進んだ」「擦れた」「人生観」「生活のリズム」などの具体例を、次回までに調べてきます。みなさんも調べたり考察を深めたりしてください。


「故郷が一生の仕事を選ぶ時にどう影響するか」

故郷が都会にある場合、良く言えば「進んだ」、悪く言えば「擦れた」文化に幼い頃から接することになると思う。田舎の子供より、都会の子供の方が大人っぽい、あるいは、知能が進んでいる、などと言われることがあるが、確かにその通りだと思う。

このように、思春期を都会で過ごした人は、田舎育ちの人とは、人生観や生活のリズムなどが微妙に異なると思う。一生の仕事を選ぶ時、そのことも考慮して選ばなければいけないので、その点で、故郷は大きな影響を与えていると思う。    学生(男子)の意見


 思春期において都会に憧れを持ち上京する若者が多くいるのは地方にはないと思う何かに惹かれるからだと思う。自分は地方出身者なのでよく分からないが都会に育った人は地方への憧れを持って職を探しに行ったりしないと思う。そういう点で都会に育つことは回りに必要なものや目を引くものが溢れていてとても恵まれているのでは?田舎出身者から見ればハングリー精神に欠けていると思われたりするかもしれない。

   学生(女子)の意見


3課題ベッカムはマンチェスター・ユナイテッドに属してから、仲間のほとんどがマンチェスターの田舎育ちなのに対して、自分はロンドンっ子なので、うまくゆくか心配になったそうです。「故郷」「都会を故郷に持つこと」が一生の仕事を選ぶときにどういう影響があると思いますか。特に、思春期の場合について考察してください。


2「都会はふるさとになり得るか?」

都会に生まれて、そこで育った人にとっては、その場所はふるさとになると思います。例えば、東京都内で生まれ育った人にとっては、騒がしくて雑多な街並みも、安らげる場所となり得るのではないでしょうか?      学生(男子)の意見


2都会はふるさとになりうるか

 ふるさとを感じることのできる人っていうのはふるさとを離れたことのある人だと思う。だから都会で生まれてずっとそこで育ったら離れることもなくてふるさとを感じることもできないのでは?もし、都会を離れて生活するようなことがその人にあればその人は都会をふるさとと感じることはできるだろう。結局どこに生まれて育っても、その人自身が自分の原点(ふるさと)を思う強さとか大切にしているかどうかだと思う。    学生(女子)の意見


1生まれ故郷について

私は福井県の田舎で育ちました。田舎といっても私の場所は新興住宅地です。敦賀ですが、海があり、山があり、なおかつちょうど程よく買い物の場もあり。住み心地のよいところです。人間関係は。隣同士、本当のその中の田舎とかは、うるさい部分、そういうものもあるかもしれませんが、その分、仲良くやっていこうと思えば、又、助け合いや奉仕の精神もあります。結局、いい感じです。気分的にスペースがあって、いいと思います。  

岸本 静香富山大学人文学部言語文化学科E−mails030461@ems.toyama-u.ac.jp


生まれ故郷というのは、その人にとって特別な場所だと思う。引越しなどでその場所を離れても、そこで過ごしたことは(物心ついてから)、忘れられない出来事と言えるだろう。

学生(男子)の意見


 故郷というのは自分と切っても切り離せないものだと思う。どんな人にも少なからず影響を与えるものだと思うし、結局は帰る場所かなと思う。 けどそこにいるときは故郷の良さが分からないものだと思う。離れて初めて分かる自分の原点だと思う。

学生(女子)の意見


先生から

シェイクスピアの故郷はロンドンから一時間くらい車でかかる田舎町。美しい風景が、今も世界から観光客をひきつける。ベッカムの場合はロンドン北部、生活臭と近代的な向上心と古き良きロンドンがいりまじったような場所。そのうち、伝説の地にはなる。今はまだ観光客がおしかけるほどではない。