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ルネサンス期 |
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16世紀のイギリスは、思想的、文化的には大きな変動の時代だった。それまでは戦争に向けられていたエネルギーがより生産的な活動、知的、精神的な冒険の方に向けられたためであろう。まず地理上の探検があった。世紀の終わりには大西洋を横断してアメリカ大陸の探検に乗り出す者があいつぎ、東方への進出もめざましく、1600年には東インド会社が設立された。このような地理的視野の拡大は、文学にも影響を与えずにはおかなかった。リチャード・ハクルートがこれらの航海記、探検記を集めて出版し、その後たびたび増訂版を世に送ったことも、影響を広めるのに貢献をした。
この時期に大陸からイギリスにもたらされた文学形式の一つにソネット(sonnet)がある。ソネットはわずか14行の短い詩型であるが、一連としては行数が多く、1行の長さもイギリスのソネットならふつう10節で、長い方である。小さいけれども緊密な枠組みの中に、かなり複雑な感情、思想を詠み込むことが出来る抒情詩型と言えるだろう。
初めてイギリスにソネットが導入されたのは、イタリア・ルネサンスの大詩人ペトラルカを通してだった。ヘンリー八世の宮廷に仕えたトマス・ワイヤットとサリー伯ヘンリー・ハワードがそれぞれにペトラルカのソネットを翻訳、翻案し、創作も試みている。
ワイヤット、サリーのソネットは、『トテル雑纂』の中でその一部が、修正された形で出版されただけで、すぐには大きな反響を呼ばなかったが、1590年代に入るとソネットの爆発的な流行が起こる。そのきっかけとなったのがフィリップ・シドニーのソネット集『アストロフィルとステラ』だった。これはダンテの『新生』、ペトラルカの『カンツォニエーレ』と同じように、連作の形で書かれたソネット集で、ソネットとは違う形式で書かれた詩も挿入されている。
シドニーは『詩の弁護』という書を著し、文芸は人を堕落させるという、ピューリタンからの批判に応えて、詩がいかに人を楽しませると同時に品性を高めるのに役に立つものであるかを説き、当時のイギリスの恋の詩については批判している。
『アストロフィルとステラ』の出版をきっかけにしてその後10年くらいの間に、イギリスではたくさんのソネット集が出版された。サミュエル・ダニエルの『ディーリア』、マイケル・ドレイトンの『アイディアの鏡』、エドモンド・スペンサーの『アモレッティ』、そしてだいぶ遅れてシェイクスピアの『ソネット集』がその主なものであるが、注目すべきは、やはり、イギリス・ルネサンスを代表する二人の大詩人スペンサーとシェイクスピアのものである。
イギリスのルネサンス文学の頂点を示す詩は、スペンサーの『妖精女王』であろう。一方でホメロスやヴェルギリウスの、いずれも12巻から成る大叙事詩の枠組みを模倣し、他方、アリオストの『怒れるオルランドー』、タッソーの『エルサレム開放』など、イタリアの華やかなロマンス詩の語り口を取り入れて、絵巻物のような世界を延々と繰り広げている。しかも全体にアレゴリー(allegory)としての性格が与えられ、それぞれの美徳を体現する騎士たちの武勇伝を読むことによって、読者もまた立派で優雅な紳士となるようにという教育的意図が盛り込まれている。
散文に目を転じれば、16世紀の新しい時代思潮が生み出した最初の作品の一つにトマス・モアの『ユートピア』がある。
ユートピア人たちはキリスト教を知らないが、聡明な人間ならば誰でもそういう結論に達するはずだという、霊魂の不滅と、歴史を導く神の摂理を信仰し、その二つを信じない者は人間性の尊厳を汚す者として罰せられる。これは人間に生来備わっている正しい理性と、キリスト教の信仰の調和を示すもので、ルネサンスの人文主義の根本的な考え方である。
この頃の公の著述は、詩などの文学作品を除いてラテン語で書くのが普通であった。そのほうが、広くヨーロッパの知識人に訴えることができた。しかし活版印刷の発達で、書物の読者層が広がると、母語での著作が盛んになり、ラテン語やヨーロッパの各言語からの英訳も盛んに行われるようになった。その中でもトマス・ホービーによるカスティリオーネの『廷臣の書』の訳、アーサー・ゴールディングによるオヴィディウスの『変身物語』の訳、ジョン・フローリオによるモンテーニュの『エセー』の訳等はイギリス文学全般に大きな影響を及ぼしている。
この時代の散文物語の代表作、フィリップ・シドニーの『アーケイディア』もまたヨーロッパ文学の牧歌物語の長い伝統を受けついでいる作品である。シドニーは、修辞学の技巧を駆使し、装飾句の多い、テンポの遅い文体で、複雑な筋書きのロマンスを、たびたび脱線しながら悠々と物語っていく。
この『アーケイディア』とは文体においても、内容においても対照的なのがフランシス・ベーコンの散文であろう。ベーコンの著作は膨大な量に上り、多岐にわたっていて、扱った主題により文体にも変化がみられるが、シドニーに比べると、ベーコンの文章は、彼の著述の中で最も文学的な『随想集』においてさえ、簡潔で明快である。モアの『ユートピア』の系譜に連なる未完の著作『ニュー・アトランティス』になると、さらに平明で、淡々と事実を叙述するだけの文章は、ルネサンス文学の文体とは異質なものが感じられる。