一巻でよく主人公ダレンがほのめかしているのが、「もしあのときああしていたら」という後悔だ。
確かに読者から見てもなんであんなことをしたんだ、とはがゆい場面がいくつもある。 これが年齢のわりに聡いダレンの子供らしい一面であり、皮肉を織りまぜた言葉の対極に位置して物語が展開するうえで絶妙のユーモアとなっている節がある。 それでも暗い気持ちのままで終わらないのは、やはり何事にも屈しない彼本来の強さだと思われる。 半バンパイアとしての誇りが芽生えたから、という理由だけにとどまらず、そこにはダレン本来の打たれ強さが読み取れるのだ。 作中でよく描かれるのは、思いもよらない人々(特に親しいひと)との別離だ。 しかも、大抵は死という形で。 児童文学にしては酷な展開ともいえる。涙を誘われることもしばしばだ。 ダレンもときには泣き、怒り、落ち込んで、それでも前に進み続ける。それが彼の、読者をひきつける最高の魅力なのだろう。 |
まず共感できるのは、ダレンの親友であるスティーブの感情変化だ。 はじめに物語のあらすじを追うことにする。 元々異様なほどバンパイアに興味があったスティーブは、ダレンとともに訪れたサーカス『シルク・ド・フリーク』の団員ラーテン・クレプスリーが実はバンパイアだと見破る。 その事実を盾に、彼は自分をバンパイアにしてくれるようクレプスリーに頼み込む。 しかしスティーブに悪人の血を感じたクレプスリーは、それを拒否する。 おもしろいのは、ダレンもまた蜘蛛に異様なほどの興味を持っていたことだ。 偶然スティーブとクレプスリーのやりとりを目撃してしまったダレンは、クレプスリーがバンパイア(イメージとして恐怖の対象)であると知りながら、彼とともにサーカスで芸をしている大毒蜘蛛、マダム・オクタを手に入れたくてたまらなくなる。 マダムほしさに、とうとうダレンは盗みを働いてしまうのだ。 それから数日、クレプスリーがマダムを取り返しにきやしないかとダレンはびくびくした生活を送る。 その間ダレンは、クレプスリーがサーカスでマダムにさせていたように芸をしこんでいた。 これがうまくいくと自慢したくなるのが人間の性で、親友であるスティーブを部屋に呼んでマダムにしこんだ芸を披露する。 けれどもささいな事故から、スティーブがマダムに刺されてしまう。 このままでは死に至るのが目に見えていた。ダレンはマダムの元の飼い主であるクレプスリーの元へ助けを乞いにいく。 クレプスリーにはこの展開がわかっていたようで、後戻りできないダレンに自分の手下になるよう持ちかける。 そうなればスティーブに解毒剤を与えるというのだ。 当然のことダレンは躊躇した。バンパイアの手下になるということは、人間の生活を破棄するということだ。 半分だけバンパイアの血を流し込んで半バンパイアになるということは、人間としての死を意味する。 よく『ダレン・シャン』のあおり文句で「あなたは親友のために死ねますか?」というものを見るが、これは実によく一巻を表している。 結局ダレンはクレプスリーに従い、スティーブは回復した。 けれど、命の恩人であるダレンに対するスティーブの反応は予想外のものだった。 嫉妬と憎悪である。 自分にバンパイアの血を流し込むことを拒否したクレプスリーが、ダレンには血を流し込んでいる。 それはクレプスリーがダレンにヴァンパイアとして生きるための心的強さや正義感を見込んだからなのだが、スティーブの嫉妬ももっともだといえる。 何より、自分の羨望の座を奪ったのは親友だったのだから。冷静を欠いた彼はもう何も聞いてくれない。 スティーブは憎しみのままに、将来バンパイアハンターになってダレンとクレプスリーを殺すことを宣言する。 バンパイアの血ゆえにもう故郷にはいられないと痛感したダレンは、クレプスリーについて町を出ることで愛する人々、人間としての生活に別れを告げた。 と、ここまでが一巻のあらすじである。ダレンとスティーブのすれちがいは、その内容が現実味を欠いている一方ひどくリアリティーにあふれている。 誰もが経験したことがあるのではないか、と思うような人間のあいだでのすれちがいだ。とりあえず、一巻を読む限り完璧な悪人は存在しない。 悪人といえばダレンも欲のために盗みさえ働くような少年だが、親友のためには自己の犠牲もかえりみない勇気あふれる少年である。 スティーブも、生活面では不良だが友達思いのよい少年だ。終盤の怒りも筋が通っているといえば通っている。クレプスリーにしても、最初は悪人らしくみえるけれど、ダレンを半バンパイアにしてしまった後で「本当に悪いことをした」と自責の念を示すやさしさがある。 さらに言うと、二巻以降でよく読み取れるが、仲間内でも尊敬されている「バンパイアの中のバンパイア」なのだ。 そしてダレンも、しだいにクレプスリーに対して心を開くようになる。 |