p1.l5 He was very much admired indeed.“He is as beautiful as a weathercock,”remarked one of the Town Councillors who wished to gain a reputation for having artistic tastes;“only not quite so useful,”he added, fearing lest people should think him unpractical,which he really was not.
→芸術的なことを全然分かっていない政治家が、幸福な王子の像に対して「彼は、風見鶏と同じくらい美しい。ただ、風見鶏ほどには役には立つまいが。」と言っているシーンです。この時代は、産業社会で、芸術無有論が叫ばれていました。しかし、Wildeは、芸術があくまでも「芸術のための芸術」であり、他の役に立つための物でないことを主張しています。Wildeは、小説の中で何度も自分の「芸術」に対する想いを書き連ねています。【参考】→The Picture of Dorian Grayより
p2.l11“Shall I love you?”said the Swallow,who likes to come to the point at once
→川辺にはえている葦に恋をしてしまったツバメが、ストレートに告白するシーンです。このツバメは、Wildeらしい性格の持ち主で要点を言うのが好きでした。これに対して周りのツバメたちは「それはバカげた恋だ。彼女はお金を持っていないし、親戚が多い(親戚つき合いが煩わしい)。」と、俗物的見方で言いました。Wildeが、男と女の恋だけが当たり前のことで、同性愛を認めようとはしない世間に対する批判を込めているような気がします。またヴィクトリア期は、結婚する相手にお金があるかないかが、非常に重要視されていたようです。【参考】→The Importance of Being Earnestより
p3.l4 “You have been trifling with me,”he cried.“I am off to the Pyramids.Good-bye!”and he flew away.
→秋が来て仲間のツバメたちが去っていった後、ツバメは孤独を感じ、そして恋人である葦に飽き始めた。さらに、話ひとつできやせず、いつも風といちゃついている彼女に失望して、至ったのです。
これには、「女性に失望する」という同姓愛者らしいワイルドの考えが含まれているように思われます。
p4.l8 When I was alive and had a human heart,”answered the statue, “I did not know what tears were, for I lived in the Palace of Sans-Souci, where sorrow is not allowed to enter. In the daytime I played with my companions in the garden, and in the evening I led the dance in the Great Hall. Round the gardenran a very lofty wall, but I never cared to ask what lay beyond it, everything about me was so beautiful. My courtiers called me the Happy Prince, and happy indeed I was, if pleasure be happiness. So I lived ,and so I died. And now that Iam dead they have set me up here so high that I can see all the ugliness and all the misery of my city, and though my heart is made of lesd yet I cannot choose but weep.”
→幸福な王子は、生きていた時は人間の心を持っていたが、悩みを感じることがない安楽宮で暮らしていたので人々の苦しみを知ることはありませんでした。しかし、死んでから街の全ての醜いことや悲惨なことが見ることができる場所に銅像として建てられ、鉛の心臓を通して涙を流しているシーンです。
ワイルド自身貴族でしたが、貧富の格差を感じていました。この作品で、幸福な王子を通して、「貧富の格差」という社会問題を読者に訴えています。ここに、ワイルドらしい社会派的考え方が現れています。
p.11,l17 There iss no Mystery so great as Misery.
→「困窮ほどたいそう不思議なものはない」と幸福な王子に言わせることにより、Wildeはこの時代の「困窮」を人々にといかけています。この後、ツバメは王子の頼みによって、大きな街の上を飛び回り、王子に街の様子を伝えました。
ツバメは、「美しい邸でお金持ちが浮かれ騒いでいる一方、乞食が門の所に座っていた」「橋の下で二人の子どもが身を寄せ合って暖め合っているところへ橋の番人がやってきて、その場からどこか他へ行くように怒鳴りつけていた」という話を王子に伝えました。これらから、街の自治(ヴィクトリア期の自治)が、非人情的に行われていたことが伺えます。
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