五福


  富山大学の所在地は「富山市五福」である。五福は神通川の西岸、呉羽山の東麓の中心地で、富山市民にはなじみの深い地名であるが、よその人には「五福」という字面はかなり奇異に映るらしい。ある時大学を送り先に指定して通信販売の品物を注文したら、通販会社から「送り先は漢数字の五に福でいいのか」と確認の電話が入ったことがある。「五」の字を少しくずして書いていたため、相手は確信が持てなかったらしい。「五条」とか「五木」とか「五本松」とかいった地名なら間違えようもないだろうが、「五」と「福」の字が結びつくのは全く予想外なのであろう。
 五福から呉羽山を越えた向こう側には「呉羽」の町がある。この「呉羽」は古代に大陸から機織りの技術を伝えた渡来系職能集団「呉織(くれはとり)」に由来するものとされる。呉羽山も古くは「御服山(ごふくやま)」とも呼ばれていて、これは呉織に「呉服」の字が当てられ、それが「ごふく」と音読みされて、さらに「御服」と替え字されたものとみられる。現在の「五福」も、この「御服」の替え字であろうという。
 つまり呉羽山を挟んだ「呉羽」と「五福」は親戚同士のような地名ということになるが、実は「五福」と着物の呉服も思いのほかつながりが深い。京都市では結婚祝い金を贈る際に、新婦側に贈る祝い金の名目を熨斗・末広・呉服とするが、目録では「呉服」に「五福」と当て字される。呉服屋が縁起をかついで「五福」と当て字をすることは、近世以前には普通に行われていたようで、落語の「かつぎ屋」もこれを背景にしたものである。正月に験かつぎの好きな呉服屋の主人が、通りかかった宝船売りを呼び止めると、彼は次々と縁起のいいことを言ってはご祝儀をせしめ、娘さんには「弁天様」とほめ、主人には「まるで大黒様」と持ち上げ、あげくに「この家には七福神がおります」と言いだす。主人が「弁天と大黒では二福ではないか」と言うと、宝船売り曰く

 「五福屋だからしめて七福」

というおちである。
 ところでこの「五福」は中国の古典にもちゃんと出てくる由緒正しい漢語であり、『尚書』洪範に

 五福、一曰壽、二曰富、三曰康寧、四曰攸好徳、五曰考終命。
 五福、一に曰く寿、二に曰く富、三に曰く康寧、四に曰く好む攸(ところ)は徳、五に曰く終命を考(な)すと。

と見える。長寿、富貴、健康、徳を好むこと、天寿を全うすることが人生の五つの幸いであるということである。ここで注意したいのは、「徳を好む」という、人間が主体的に行う倫理上の事柄が、長寿や富貴といった天運に左右されることに混じって入っていることで、興膳宏先生の指摘にある通り、「徳を好む」ことが幸福の条件となるのが儒教の倫理体系なのである。徳行をせずに人を騙したりして富貴や健康や長寿を得ても、それは決して「福」ではないというわけである。
 この「五福」の考え方は、日本でも近松門左衛門の浄瑠璃「浦島年代記」に

 人間の五福をそなへ、三万里の蓬莱指顧の中、すべて兜卒に到るが如く……

というくだりがあるところを見ると、江戸期にはかなり広まっていたようであるが、中には変形して伝えられているところもある。ある呉服屋のホームページには、京都の呉服商の間では「呉服屋の商いは、呉服の五福を買って頂く心だ」と言い伝えられているという記述があるが、その「五福」の内容は「繁栄、長寿、健康、開運、出世」であり、一番肝心の「徳」が完全に抜け落ちている。もちろん商人に「徳」が不要であったわけはあるまいが、庶民には小難しい道徳よりも、開運や出世といった現世利益の方が教訓として心に響いたのかもしれない。ただこれが一般の呉服屋に言い伝えられていることなのか、たまたまこの店だけに誤って伝えられたものなのかは定かではないので、ぜひ専門の方のご教示を乞いたい。
 こうしてみると、五福とは縁起がいいばかりではなく、道徳的教訓をも含んでいて、なかなかいい地名である。富山大学は2005年10月には富山医科薬科大学・高岡短期大学と統合されることになっているが、新大学の名称はまだ決まっていない。冗談で「立山大学」「雷鳥大学」などという声もあるが、いっそ「富山五福大学」というのはどうだろうか。他の2大学から反発が出るだろうから、これも冗談で終わってしまう可能性が高いけれども。

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