恋する京都


 NHKで今度始まった月9ドラマ「恋する京都」は、京都もののドラマの常とはいえツッコミどころ満載である。
 鶴田真由の京都弁があまりにも不自然だとか、いくら草履の鼻緒が切れたからといっても、通りかかった男が八坂神社から八坂の塔まで芸妓さんを抱きかかえて送って行くのは無理過ぎるといったことは、所詮ドラマだからまあいいとしよう。しかしこの鶴田真由扮する芸妓が、古生物学専攻の大学教師と人形職人の娘との縁を取り持つという設定には、さすがに「そんな幸せな先生がいるものか」と毒づかずにはいられなかった。しかもこの芸妓さんはこの先生の研究室にまで着物のままで入ってくる。それも個人の部屋ではなく、動物の骨がごろごろしている大部屋である。恐らく彼の上司や学生も出入りすることであろう。そこに着物姿の麗しい女性が足しげくやって来れば、たちまちあらぬ噂が広がること必定である。
 戦前なら三高の学生にも祇園のお茶屋で遊んだりする者がいたらしいが、今では京大の教授クラスの人でも、芸妓さんと遊べるような粋人はそう多くはなかろう。いわんや若いぺーぺーが、どうやって芸妓さんとお近づきになれようか。第一芸妓さんと仲良くなれるくらいなら、自分で伴侶を見つけることも難しくはないはずである。このドラマの作者にとっての大学教師とは、依然として戦前の大学教師のような「若くても祇園で遊べるお偉い御方」なのであろうか。
 戦前とは言わず、戦後もなお大学教師の社会的地位がずっと高かったことを裏づける文章が、今から四半世紀近く前の1980年に出版された河出書房新社人生読本シリーズ『結婚』という本の中にある。ここに収められている読売新聞社会部の「選択のチャンネル」という文には、上流階級専門の仲人の話として、次のようなことが書かれている。

 「……たとえばですね、医者とか弁護士のようにエリート職業の場合は、同じ職業の”同類婚”を好まれます……。一方、学者、高級官僚、旧華族のように、将来性とか血筋は申し分ないが、経済的にはもう一歩という方々と、財界や地方名士のように財産があって、それによい血筋をプラス・アルファしたいという方々との結びつきもございます。……」

 なんと学者は「高級官僚」や「旧華族」と同列なのであり、「血筋は申し分ない」のだそうである。これを読んで、一体どこの世界の話かと目を疑わずにはいられなかったが、しかしこれが四半世紀前の現実だったのである(但し「成婚率は1割」とも書いてあったが)。
 これにひきかえ今の学者の何と落ちたことか。財界や名士の娘を世話してくれる人などどこにも居はしないし(私は別に構わないけれども)、そんな御方と結婚したという同業者の話もついぞ聞かない。私も言うに言えぬ苦労の末にやっと伴侶に恵まれたが、結婚できればまだ御の字で、伴侶を得られずに四苦八苦している、あるいは諦観してしまった学者など掃いて捨てても捨て切れないほどいる。しかし「恋する京都」の作者は、疑いなくこの四半世紀前の学者のイメージをいまだに抱き続けているのであり、今の学者の凋落ぶりなどつゆ知らないのであろう。
 「恋する京都」第一話の結末は、この先生がオーストラリアの大学に招かれたことで、人形職人の娘の方が結婚をあきらめようとするが、芸妓さんの手回しで再び話し合った二人は、「オーストラリア行きはやめる」「いや自分がオーストラリアまでついて行く」と互いに譲らない。そこで芸妓さんが「遠距離恋愛したらええやないか」とまとめて一件落着というものであった。しかし普通の大学の先生なら、わざわざ人に言われなくても迷わず遠距離恋愛の道を選ぶであろう(それで相手が納得するかどうかは別問題だが)。研究者同士の夫婦なら、遠隔地の大学に別れて勤めている「七夕夫婦」は全然珍しくないし、そうでなくても異動などで単身赴任状態になっている人はたくさんいるからである。この点でもこのドラマの作者は、大学教師の現実を全く御存じないと見える。
 とはいえ祇園や八坂の塔の界隈は、私にはいささか思い出のある場所であるから、ツッコミを入れつつ懐旧の情に浸るには、このドラマも悪くはない。学部生の頃に清水寺のすぐ近くに二年ほど住んでいたが、朝早い時間に祇園のお茶屋街をよく自転車で通り抜けたものである。舞妓さんや芸妓さんに出会うことは時間のせいかほとんどなかったが、お茶屋の戸口で男衆が掃除をしていたり、時には撮影のロケをやっていたりと、お上りさん向けではない街の顔を垣間見ることができた。
 しかしこのお茶屋の敷居をまたぐのは容易ではない。10年以上前に又聞きした話だが、ある男が酔っ払って祇園を歩いているうちに、よせばいいのにあるお茶屋の戸を開けてみた。するとおかみさんが出てきて、一見さんお断りと追い出されるだけかと思いきや、迷惑料だか何だかで5万円ふんだくられたという。とにかくしがない庶民がうかつに近寄れるような場所ではない。
 もっとも最近は不景気のためか、この辺りにも「一見さんお断り」ではない小料理屋が出てきた。もちろん舞妓や芸妓は出てこないが、祇園のお茶屋街で飲み食いしたというだけでも十分自慢の種にはなろう。ほんのわずかでも雰囲気を味わいたい方にはお勧めである。同じ花街でも先斗町あたりになると、もっと気楽に入れる小じゃれた居酒屋が多くなっている。
 大学教師の格も落ちたが、祇園の格もその何割かは落ちたのかも知れない。私がお座敷に上がれるほど偉くなるか、あるいはそこまで祇園がおちぶれることは恐らくないだろうけれども。

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