勘違いなメール
先日学内の某教授から、「***アドレスは読みません」というタイトルのメールが届いた。「***」は大学のアドレスのサブドメインである。私はこの教授とは面識がないし、宛先を見るとほとんど全部の教員に宛てて送っているようである。???
と思いつつ内容を見ると、別のフリーメールらしきアドレスを掲げたあとで、「***アドレスは迷惑メール到来のため間もなく停止。返事はこちらへ願います。」とあった。
そういえば私のところにもこの数日前に、東京都港区高輪の某有限会社を名乗るところから「学術シンポジウムお手伝いします。」というタイトルのメールが来ていた。ヘッダのTo:部分と内容から判断するに、大学関係者のアドレスに手当たり次第送りつけたものと見られる。あるいはこの某教授もこのメールが来たことに憤慨して、大学のアドレスの使用を中止したのかも知れない。
何と神経質な、と思う人もいるかも知れない。しかし頼みもしないのに勝手に広告メールを送りつけられる不快さは、受け取った者でなければわからない。その不快さは郵便のダイレクトメールの比ではないのである。
郵便ならざっと目を通して、あるいは開封せずに中身を透かしただけでゴミ箱に投げ捨てるのも大した手間ではないし、封筒や紙の裏を再利用することも可能である。また「受取拒否」と書いて捺印し、ポストに入れれば差出人に返送してくれる。
しかし電子メールはそうはいかない。読まない限り内容は判断できないし、毎日何十通も広告メールが届いたら、それを読んで削除する手間は並み大抵ではない。重要なメールがその中に埋もれてしまう恐れもある。しかもネットワーク資源は有限である。仮に10万社の会社がそれぞれ1万人に向けて毎日広告メールを発送したら、一日に10億通のメールが飛び交うことになる。各地のメールサーバーにかかる負担は相当なものであり、重要なメールの停滞を招くことにもなりかねない。それに不要な広告メールは再利用もできないし、ゴミ以上の役割は決して果たさない。
こうした理由から、無差別大量に発信される広告メールは「spam」と呼ばれ、インターネット上では忌み嫌われる行為であり、広告手段としては決して行なってはならないというのがネット社会の常識である。だから名の通った企業はspamによる宣伝は絶対に行わないし、それでもspamを送ろうとする業者は、他に宣伝手段がないような怪しげな商売をしているか、そうでなければネットのネの字もわかっていない単なるド素人である。
spamメールは携帯電話に出会い系サイトの宣伝メールが急増したことから、一気に社会問題となり、不完全ながら経済産業省令による法規制が行われるようになった。許可を得ていない相手に広告メールを送る際には、タイトルの先頭に「未承諾広告※」と表示し、文面に正しい住所と名前を記さなければならない、というものである。
最初に掲げた「学術シンポジウムお手伝いします。」のメールは、この表示義務を守っていない時点で既にアウトである。平然と違法行為を行う業者に、誰が大事な仕事を任せるものか。しかもこのメールに記してあったリンク先をクリックしても、エラー画面が出てくる。リンク先をよくよく見ると、何と
http:www.(以下略)
と書いてあるではないか。発信者はhttp://という記号さえ知らない弩級のトーシロであるらしい。肝心の宣伝サイトにすぐ行き着けないとは間抜けもいいところである。そのくせ何とかたどり着いてみたら、やたらとフラッシュを使ったクソ重いページで、深い考えもなく業者に丸投げして作らせたこと丸わかりである。大方このメールを発信した人は、「アイテー? なんかカッコよさそう、うちも時代の先端を行けるかも」と能天気に考えたのであろう。しかしその結果は、自分で自分の信用を落とし、無知をさらけ出す「大いなる勘違い」に終わってしまった。この業者には、
「インターネットのイロハからもっと勉強せい!」
と唾を吐きつつ言うしかない。
もしくだんの業者がこのページを見ているのなら、「そんなつもりはなかった、神経質に騒ぐな」などと言うのは甚だ筋違いである。たとえどんな崇高な理想を持っていようと、spamという手段に頼れば、こんなふうにしか思ってもらえないという厳しい現実をこそ、十分肝に銘じていただきたいのである。たとえ送り主が浜崎あゆみだろうと、イチローだろうと、小泉首相だろうと、許可を得ていない相手に手当たり次第広告宣伝を送りつければ、それはspamとしか認識されないのである。(そういえば以前に某参院議員が自らの政治信条を無差別にメールで送り付け、国会議員がspamとは何事かと批判を浴びたことがあった。この人はその後千葉県の知事に当選したが。)
このメールを受け取ってから、このサイトのトップページに、次の一文を書き加えた。
「このアドレスに広告・宣伝を目的とするメールを送ることは、内容にかかわらず厳禁します。私は頼みもしないのにメールを送りつける業者は業種に関係なく「迷惑業者」として一切信用しません。それでも「わが社のすばらしさをどうしても知っていただきたい」とお思いの方は、送信ボタンを押す前にこのページやこのページを御覧下さい。」
ところが豈図らんや、これを変に誤解する輩が次々と現れた。まず台湾から大型叢書『古今図書集成』の売り込みのメールが来て、次に宮崎・都城の某書店から洋書の売り込みらしきメールが来た。このHPに書いてあるアドレスは、エンティティを使っているから、メールアドレス収集ソフトに拾われる可能性は低い。このHPを見た上で送りつけたとみて間違いないであろう。後者のメールは何とも呆れたことに、表示義務を守っていないばかりか、本文を一行も書かず、ただWordの添付文書を付けていただけであった。「見知らぬ人からの添付ファイルは、ウィルスの恐れがあるので開くな」というのは、これもネットの常識である。よって私はこのメールを開封していないし、今後も見るつもりはない。そもそも私がもしWordを使っていなかったらどうしろというのか。
こういう輩の「勘違い」は、もはや「病膏肓に入る」であろう。「厳禁」とわざわざ赤字で書いて、「どうしてspamはいけないか」を諄々と説いたサイトを見るように勧めているのに、「見さえすれば送ってよい」と曲解する厚かましさ。「自分だけは特別」「自分のメールだけはspamには当たらない」と思い込む、自信過剰の混じった無知と無恥。Word以外のワープロソフトはどうでもよいと言わんばかりの配慮のなさ。どれを取っても商売人の風上にも置けない。人のいやがることをわざわざするのが「正当な広報活動の一環」だという道理がどこにあろうか。こういう行為は自分で自分の首を絞めているに等しいということに、早く気づいてもらいたいものである。
私は以前から、インターネットへの参加を免許制にすべきだと考えているが、こういう事例を見るにつけ、ますますその思いを深くしている。「ユーザーのモラル」に期待し、自覚を促すだけでは、もはや立ち行かないところまで事態は進んでいる。運転者が交通ルールを学ばなければならないのと同じように、インターネットユーザーも「ネチケット」をきっちり学ぶ機会を設けなければならない。それは決して「表現の自由の侵害」とは矛盾しないはずである。
今のインターネットはアマチュア無線の草創期と似ている。無線通信に初めて成功したマルコニーは全くのアマチュアであり、その後多くの無線家が現れて好き勝手に通信していたが、業務用の通信の発達により、電波の発信は免許で規制されるようになったのである。今日でもアマチュア無線は国家試験を通るか、定められた講習を受けなければできないし、暗語の禁止や、破防法に触れる内容や猥褻な内容の通信の禁止など、通信の内容まで電波法で規制されているが、これを「表現の自由の侵害」だと言う人はいないし、アマチュア無線の免許制撤廃を主張する運動も聞いたことがない。ネット犯罪の根絶や、ネット社会の健全化・円滑化を図りたいなら、最低限の規制はやはり必要なのではあるまいか。
自由は大切である。しかし何もかも野放しの社会に住みたいとは断じて思わないし、「規制性悪説」には私は与しない。公共の福祉の実現には、適度な規制が不可欠なのである。
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