美歎・美談・美甘


 「美歎」「美談」「美甘」。中国古典の語彙の話をするのではない。これらはすべて日本の地名である。それぞれ「みたに」「みだみ」「みかも」と読む。美歎は鳥取県岩美郡国府町の大字、生協直営の牧場があるので、生協利用者にはよく知られた地名である。普通なら「三谷」と書かれるところであるが、美歎とは美しい字を当てたものである。美談は島根県平田市の町名、地内に一畑電鉄美談駅がある。美甘は岡山県真庭郡の村名。

 これらで注目したいのは「歎」「談」「甘」の読み方である。普通に音読みすると「タン」「ダン」「カン」で、おしまいはどれも「ン」である。ところが「歎」は「タニ」と読み、「談」「甘」は「ダミ」「カモ」と読んでいる。同じ「ン」が、ある時はナ行になり、ある時はマ行になるのである。

 そこで韻書を引いてみる。すると「歎」は去声十五翰又は上平声十四寒、「談」と「甘」は下平声十三覃の韻である。「ン」がマ行になる「談」と「甘」は同じ韻で、ナ行になる「歎」とは違う韻である。

 中国語学を多少なりともかじった方ならもうお気づきであろう。中古音においては去声十五翰・上平声十四寒はn韻尾であるが、下平声十三覃はm韻尾である。「歎」を「tani」と読むのは韻尾がnだからであり、「談」「甘」を「dami」「kamo」と読むのは、日本の漢字音にもm韻尾があった名残なのである。「三位」を「sammi」、「陰陽師」を「ommyouji」と読むのは、このm韻尾の名残であるということを聞いたことのある人もいるであろう。

 美歎は『延喜式』(927年)神名帳の法美(はふみ)郡に「美歎神社」が見え、美談は『出雲国風土記』(733年)出雲郡に美談郷が見える。美甘も『倭名類聚抄』(931-938年)美作国真島郡に美甘郷と記される。いずれも由来は古い。これらの表記がされるようになった頃の日本では、n韻尾とm韻尾は峻別されていたわけである。中国においてm韻尾が消滅したのは元明の頃とされるが、日本ではもっと早く13世紀にはm韻尾とn韻尾は区別されなくなった。一説によれば中国の方言音の影響が考えられるという(角川『新字源』付録「漢字音について」)。
 
 このような例を見つけると、地名とは単なる符号ではなく、歴史の集積であるということがまざまざと実感される。読みにくくて厄介なだけのように見える地名の奥には、古代の日本語の音と、古人の漢字に対する美意識とが凝縮されているのである。


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