知恩院前


 私が京大に通い始めた頃は、大阪から電車通学をしていた。当時は京阪鴨東線はまだなく、京阪四条で降りて201番の市バスに乗って行くのが普通の通学コースであった。
 201番のバスに初めて乗った時、祇園を過ぎると「つぎは『びょういんまえ』」というアナウンスが聞こえた。ところが付近に病院らしいものは全く見えない。帰りに乗った時もやはり「びょういんまえ」に聞こえたが、周囲をよく見ると、そこにあるのは名刹知恩院であり、バス停の名前は「知恩院前」であった。「びょういんまえ」に聞こえたのは「ちおいんまえ」だったのである。
 どの観光ガイドを見ても、「知恩院」には「ちおんいん」とルビが振ってある。観光客は何の疑いもためらいもなく「ちおんいん」と発音する。『京都大事典』(淡交社)を見ても「知恩院」は「ちおんいん」であるから、こちらが正式な読み方なのであろう。ところが地元では「ちおいん」と呼ばれているのである。

 これで思い出したのは、高校の古文で習った『大鏡』の冒頭であった。「いとうたてげなる翁と媼」が語り合うその場面には「雲林院にて」という題がつけられていたが、「雲林院」に「うりんいん」というルビがついていた。「ちおんいん」が「ちおいん」になるのも、「うんりんいん」が「うりんいん」になるのと全く同じ伝である。「ん」が連続した時最初の「ん」が落ちてしまうのは、いわゆる「京訛り」の一つであろう。
 それにしてもバス停の名前に京訛りの読み方を採用するのはいかがなものか。知恩院へ行こうとする観光客が、聞き違えて降り損ねる恐れがあるではないか。
 
 京訛りの地名は他にもある。左京区の「浄土寺」は、市バスでも「じょうどじ」とアナウンスしているが、地元の年配の人は「じょうどうじ」と言う。アクセントは「じょう」にある。七条通りは「しちじょう」だが、これも年配の人は「ひっちょ」と言う。ややこしいことに京阪七条は「しちじょう」で、市バスでは「ななじょう」と読んでいる。「四条」と聞き違えないようにという配慮らしいが、かえって混乱のもとになる恐れも無きにしもあらずである。そういう配慮があるなら、「ちおいんまえ」も「ちおんいんまえ」に改めた方がよかろう。京訛りのバス停があるのはマニア的には面白いが、観光客にはやはり迷惑である。

 

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