真っ当
近ごろ新聞などで「真っ当」という言葉をよく見かけるようになった。「真っ当な商売」「真っ当な言い分」などと使われるのだが、これにはどうも違和感を覚える。昔はこんな漢字は書いていなかったのではなかったかしらん、と思って文字を入力して変換してみたら「真っ当」が最初に出てきて驚いた。それでもまだ信じられない。いや、こんな書き方はなかったはずだ。
そこで1981年版の『日本国語大辞典』で「まっとう」を引くと、「全」だけで「真っ当」は載っていない。引かれている用例はすべて平仮名で「まっとう」と書いている。ところが1988年の『大辞林』を引いてみると「真っ当」という漢字の下に「『全う』の意。『真当』は当て字」と注記がある。1998年の『広辞苑』第5版には「真っ当」という漢字しか載っていない。私の違和感は当たっていた。もともとは「全う」だったのが、ここ20年のうちに「真っ当」に駆逐されてしまったのである。
当て字の方が定着して、本来の漢字が使われなくなる例は少なくない。「とけい」の語源は「土圭」で、日陰の長さを計る日時計のことであったが、今は当て字の「時計」で書かないと誰もわからない。「まっとう」もいずれそうなるのであろう。
だとすると私はどうすればよいのか。違和感に苛まれつつ「真っ当」を使うか。あくまで「全う」が語源的に正しいと抵抗するか。悩むことしばし、奥の手があった。これからは平仮名で「まっとう」と書くことにしよう。
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