簡体字
中国語を学ぶ人が突き当たる壁の一つが、簡体字を覚えることである。ご存じの通り大陸では大胆に簡略化した文字が使われているから、これを覚えなければ筆談すらままならない。
ところが中国語の試験をすると、簡体字をまともに書けない学生がとても多い。うっかり日本の漢字を書くくらいならまだましな方で、簡体字そのものを間違って覚え込むのである。教科書も辞書もちゃんと活字で印刷されている。手書きの乱雑な文字で書いてあるわけではない。それにもかかわらず彼(女)らは新しい文字を発明してくれる。
特に目立つのは、「東」の簡体字「东」や、「車」の簡体字「车」の誤りである。これらの文字は、中国では草書体を簡体字として採用している。ところが「东」を「ナ」の右下に「ホ」と書いたり、「车」を「ナ」の右下に「キ」と書いたりする学生が実に多い。こんな調子では、小学生がよくやるように、マス目のノートに簡体字をたくさん書かせる練習をしなければならないのではと思うほどである。
どうしてこうなるのか。要するに彼(女)らはくずし字を知らないのである。だから「东」や「车」がどうしてこんな字形になるのかということが、根本的に理解できないのである。
今の日本人はくずし字に出会う機会がめっきり減っている。学生の親の世代でも、くずし字が読み書きできるかどうかはかなり怪しい。これもひとえに、戦後の学校教育が一点一画にこだわる楷書ばかり教えてきたからではあるまいか。私自身は一応書道の心得はあるから、手書きの時は行書程度にくずして書く。その程度のくずし方でも、郵便局に郵便物を持って行くと、宛名の字を若い局員に読んでもらえないことが時々ある。郵便物が宛先不明で返送されてきたことはまだないから、これは私の字が下手なのではなく、読めない局員の側の問題であろう。好意的に見れば、念には念を入れて確認したのかもしれないが。
字形を正しく覚えるのはもちろん大切なことである。しかし基本をちゃんと覚えたら、今度はそれをくずして実用的に書くことも覚える必要があろう。文字はくずして書いた方が早く書けるし、見た目も美しい。ところが今の国語教育ではくずし字は全く教えない。中学校以上の書道の授業では一応行書も習うが、全員が習うわけではない。それどころか、入試で減点されるのを恐れて、点の位置はどうの、はらいの向きはこうのと、活字のように書くことばかり強制している。これでは文字をくずすのは悪いことだという意識を生徒たちに植えつけてしまう。かくて日本のすぐれた文化の一つである流麗なくずし字は、いまや風前の燈火である。
小学校では楷書をきっちり教えるべきであろうし、書き取りのテストも意味のあることであろう。しかし中学校以上で一点一画にこだわる書き取りなどやるべきではない。むしろ硬筆行書も併せて教えるべきではないか。中国人が日本人の書く漢字を見ると、「まるで小学生のような字だ」と言う。中国の成人で日本人のようにきっちりした楷書を書く人にはまずお目にかからない。かの地では文字はくずすのが当たり前なのである。以前に私の授業を聴講した中国人留学生が、私が黒板に書く文字をいつも「書法很好」と言っていた。黒板に文字を書くのは紙に書くほどきれいには書けない。それでも少しくずして書いていたのが、日本人には珍しく「書法」を心得ていると映ったのかもしれない。
重箱の隅をつついて一点でも差異を付けようとする国語の入試が、回り回って日本人の文字を子供化してしまった。と言えば大袈裟すぎるであろうか。
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