御芝堂


 中国製やせ薬で死者が出る騒ぎになっている。幸い私の学生が手を出したという話は聞かないが、太り過ぎに悩む知人の女性がもう少しで買うところだったと言ってきた。溺れる者はわらをもつかむと言うが、わらと思ってつかんだものが実はダンベルだったとあっては洒落にならない。

 そうした心理に加え、日本人はどうも「中国」と名の付くものだと霊験あらたかだと思い込んでしまう習性があるらしい。そこにつけ込むのがよく新聞の折込広告に入っている「金が儲かる財布」のたぐいで、たいていは中国の風水思想のようなものをもっともらしく能書きに載せている。ひどいものだと殷の時代に「吉祥天」がどうしたこうしたという「伝説」が書かれていたりするが、仏教が中国に伝来したのは殷よりずっと後の後漢の末ごろである。世界史の知識がちょっとあればこんな下手なウソには騙されないのだが、「中国」「風水」という殺し文句さえあれば、それこそわらをもつかもうとする人はやはり少なからずいるのであろう。いわしの頭も信心からと言うし、ン百万円などという法外な値段で売っているわけではないから、目くじらを立てるほどのことでもなかろうが。

 こういうたぐいのものならあっさり迷信と片付ける人でも、薬や健康食品となるとそうはいかないかも知れない。東洋医術の見直しの機運が高まっているし、漢方薬は副作用がないとよく言われる。しかし漢方薬でも飲み方を間違えれば危険な状態になることもあるから、過信は禁物である。
 漢方薬は副作用が少ないから、今の中国の薬もそうだという思い込みも、中国の薬がブームになる一因かも知れない。しかしこれは全く逆で、中国製の薬は効き目が強いかわりに、副作用もまた強い。かつて「106」という中国製養毛剤が大流行したことがあるが、これも強い副作用があることがわかって下火になった。それからしばらくして今度は「杜仲茶」がはやったが、これまたあっという間に廃れたのも、霊験あらたかではなかったからであろう。今回の事件も過去の教訓から何も学んでいないことの現れといえる。とにかく中国製の得体の知れない薬には手を出さないのが一番である。

 ところで今回気になったのは、問題の薬の読み方である。「繊之素」を「せんのもと」と読むのはまだいいとしても、「御芝堂」を「おんしどう」と読むのはいただけない。多少なりとも漢学の素養のある人なら、みな「ぎょしどう」と読む。「御」という字を「お」「おん」という丁寧語で使うのは日本だけの用法であり、中国の薬の名に出て来ることは有り得ないからである。中国では「御製」(天子の作った詩文)「御璽」(天子の印)などと、天子に関することに「御」という字を使うため、日本では丁寧の意を表す接頭語に転じたのであろう。

 この「おんしどう」という奇妙奇天烈な読み方にどの新聞社も放送局も異を唱えないのは、これが厚生労働省の発表したリストに載っていたからであろう。厚生労働省自身が振り仮名を付けたのか、漢字の知識が乏しい輸入業者が付けた振り仮名をそのまま鵜呑みにして発表したのかは定かではないが、いずれにしてもおかしな読み方を全国民に強制していることになるのであるから、罪なことと言わざるを得ない。マスコミもマスコミで、「本来は『ぎょしどう』が正しいが、厚生労働省の発表に従い『おんしどう』とする」という断りくらい入れたらどうなのか。社内に漢学に詳しい人が一人もいないとは思えないし(もしそうならうちの学生を是非採用して下さい)、ある程度以上の年齢の人なら、「おんしどう」には違和感を覚えるはずである。新聞や放送は日本語の規範であるという意識がかけらもうかがえないのはまことに由々しきことといえるし、輸入業者も中国を有難がる割には中国をよく知らないという実態が浮き彫りにされているといえよう。


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