大荒海内経


 大荒海内経は本来の『山海経』には含まれていなかったと考えられている。他の部分では「南西北東」の順で巻が進むのに対して、大荒経は「東南西北」の順で進み、さらに海内四経と名前の重複する「海内経」が続くことから、大荒海内経が他の部分と由来を異にすることは容易に想像がつく。

 その内容は海外四経や海内四経と重複するものが多く、古くは大荒海内経は海外・海内四経を注釈したものという考えもあった(畢沅)。しかし大荒海内経の記述よりも海外・海内四経の記述の方が細かい場合や、両者で全く異なる内容の説明をしている場合も少なくはなく、そう単純には言い切れない。

 まず大荒海内経の特色として挙げられるのは、伝説上の帝王の系譜を記していることである。

 有臷民之国。帝舜生無淫、降臷処、是謂巫臷民。巫臷民朌姓、食穀、不績不経、服也。不稼不穡、食也。爰有歌舞之鳥、鸞鳥自歌、鳳鳥自舞。爰有百獣、相群爰処。百穀所聚。 (大荒南経)
 臷民(ちつみん)の国有り。帝舜は無淫を生み、臷処に降る、是を巫臷民と謂う。巫臷民は朌姓、穀を食し、績(う)まず経せず、服するなり。稼(う)えず穡(とりい)れず、食するなり。爰(ここ)に歌舞の鳥有り、鸞鳥自ら歌い、鳳鳥自ら舞う。爰に百獣有り、相群れて爰に処(お)る。百穀の聚まる所なり。 (大荒南経)


大荒海内経に登場する国々の記述には、帝舜をはじめ、帝俊・黄帝・顓頊などの伝説上の帝王を祖とする系譜が記される。自らの祖先を有力な帝王に結び付けようとするのは、自らが存立する基盤を語る神話の基本的な形の一つであるといえる。しかも大荒海内経では国や山の位置をはっきり示す記述が見られない。つまり大荒海内経は地理書としては用をなさないのであり、「神話集」として見る方がより正確である。絵解きとしての性格が強い海外四経や、実在の地名を多く載せる海内四経とは、その性格が初めから異なるのであり、別々の由来から生まれた書であると考えざるを得ないのである。

 大荒海内経の系譜は、後の『大戴礼』や『史記』に見られる古帝王の系譜のように、すっきりと一本につながるものではなく、帝俊・黄帝・顓頊・禹などの帝王を頂点とする短い系譜が乱立している。秦から漢に至る統一帝国の成立によって、その祖先の系譜も一本にまとめられる必要が生じ、五帝に始まる系譜が成立したが、大荒海内経の系譜は明らかにこうした整理を経る前のものであり、より原始的な形を保っているといえる。

 上に挙げた例では、労せずして食物や衣服が手に入り、鳳凰が舞い踊る楽園が描かれる。こうした記述では、押韻をともなう表現も見られ、祭祀を執り行う者によって重々しく語られた神話の面影を色濃く残している。本来『山海経』に含まれていなかったとはいえ、その内容は必ずしも新しいとはいえないのである。


『山海経』の構成 に戻る

『山海経』について に戻る

朴斎主頁 に戻る