武田百合子1)『遊覧日記』2)

 

 武田百合子は、本人言うところの「文集」を5篇発表して1993年に亡くなった。『富士日記』『犬が星見た:ロシア旅行』『ことばの食卓』『遊覧日記』『日日雑記』の5冊である。筆者(=Wunderkammer 管理人)は友人に薦められて『富士日記』を読み、それですっかり著者の文章に惹きつけられてしまい、残りの4篇も次々に読まずにいられなかった。どれも魅力的な作品(エッセイ)であるが、今回は『遊覧日記』を取り上げる。

 

 筆者はまず『富士日記』、次いで『犬が星見た』を読んだが、その時はまだ著者について、まずは作家武田泰淳の夫人であり、読者に元気をくれる天真爛漫ヴァイタリティあふれる女性という印象だった。ところが、『ことばの食卓』『遊覧日記』と読み進めるうちに、これは何という文章の書き手であるのかという驚きに変わっていった。

 

『遊覧日記』は、1浅草花屋敷、2浅草蚤の市、3浅草観音温泉、4青山、5代々木公園、6隅田川、7上野東照宮、8藪塚ヘビセンター、9上野不忍池、10富士山麓残暑、11京都、12世田谷忘年会、13京都、14あの頃、以上の14の章からなるエッセイ集である。著者がいろいろな場所へ出かけていって、そこで目にしたものが文章につづられている。日常生活「その辺」の人の様子が、こんなにもおかしく不気味なものだったとは! 

 

 見たままを書くとこういうことになるのか、と驚かされる。著者は感想を述べない。きれいな着物を汚すまいとして、頭を石畳にぶつけてしまった女性の様子を描写して、3) それについて見解を述べない。価値判断を表明しないところがすごい。平日の昼間に浅草の花屋敷(遊園地の名前)でジェット・コースターに一人乗る男についても同じだ。4) 老女が何人も登場するが、彼女らの行動についてもそのまま書くだけである。この、「だけ」に圧倒される。

 

 たいていの人は、他人を眺めては勝手に感情移入したり、自分の物差しにあてはめて優越感や劣等感を抱いたりするものである。だが、それは往々にして見当違いなのだ、きっと。武田百合子の文章を読むと、それに気づかされる。

 

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1) たけだ・ゆりこ。1925年、横浜市生まれ。1993年没。

2) 1993年1月、筑摩書房(ちくま文庫)刊。単行本としての最初の刊行は、1987年、作品社より。

3) 「その中の一人、上等そうな銀色の着物に銀色の帯をしめた中年過ぎの人が、石畳につまずいたかして、つんのめった。思わず衣服を庇ったためだろう、頭から突っ込むような倒れ方をした。頭骨と石畳がぶつかって、ごっとんという音がした。それから手帳を握ったまま、ごりごりと石と髪の毛がこすれ合う音をさせて、頭だけで全身を支えて擦っていったが、とうとう最後には力尽き着物と帯の部分も地面について、平たくなった。」(ちくま文庫版、8485ページ)

4) 「ぐうんと電気を入れる音とともに歯車のかみ合う音がはじまる。その方角を見上げると、背広をきちんと着て鞄をしっかり抱えこんだ男が、一人恥ずかしそうに、ジェット・コースターの一番前の席に乗り込むところである。男が腰を下ろすやいなや、ジェット・コースターは、狭い花屋敷のぐるりを、軌道から飛び出してしまいそうな危なっかしい勢いで、逆立つ髪、口が開きっ放しの横顔、ちぎれんばかりひるがえるネクタイの、硬直した男をたった一人乗せて、小食堂の二階の裏側の窓硝子をひりひり震わせ、クリーニング屋の崩れかかった物干台や銀杏の樹、藤棚や桜の木を掠め揺さぶり、黄葉を散りとばして、あっという間に一周、静かになる。」(同書、1415ページ)



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