第7回 社会的比較の理論と差別意識論
0.前回の「練習問題」のヒント
- 「結婚・出産退職をする女性が多いので女性は雇用しない・重要な地位につけない」というのは偏見によるものか?
- 「過度の一般化」「ステレオタイプ」が作用している可能性 →偏見
- そもそも結婚・出産退職をせざるをえない原因が問題 →偏見以外の要因
- 本当は別の理由で女性を雇用したくないのかもしれない →偏見? 他の要因?
- そもそも雇用という状況でなぜ性別が重視されるのか? →偏見?
- 「親や親戚が反対するので被差別部落出身者の婚約者との婚約を破棄する」というのは偏見によるものか?
- 「同調」によって本人にも偏見が生じてしまったのかもしれない →偏見
- なぜ親や親戚を説得できなかったのかが問題
→偏見を持たないだけではダメではないか? →差別意識論の課題
- なにげなく「差別語」や「差別的表現」を使ってしまうのは偏見によるものか?
- 「差別語」が表す「マイナスイメージ」を無批判に受入てしまっている →偏見?
- 「差別語」の使用によって傷つく人がいることへの配慮(知識)がない →偏見?
- 「差別語」の使用は「被差別者のマイナスイメージ」と直接結び付かない →他の視点が必要
- セクシュアルハラスメント(例えば職場での地位を利用して性的関係を迫る)は偏見によるものか?
- 「女は迫られることを望んでいる」「力のある男性についてくるものだ」などの認識 →偏見
- 「部下を『モノにする』のは男の特権だ」
→「男性イメージ」の問題、これも偏見と言えるのか?
1.攻撃対象の選択
なぜ偏見が生じるのかをもっと根本的に考えてみる
- 「同調」や「過度の一般化」は偏見が生じるプロセスを説明するが、根本的な原因ではない。
- 「権威主義的パーソナリティ」は偏見が生じやすい原因ではあるが、これも根本的な原因ではない。
前回の「偏見の形成」の説明の中で最も根本的な原因は「攻撃の置き換え」と「投射」 とするなら、「なぜ特定の人たちが攻撃の対象に選ばれやすいのか」ということが大きな問題
- ヴァルネラビリティという考え方
- 攻撃のされやすさ(攻撃誘発性)
- 「攻撃される方に問題がある」(Victim Blaming)という考え方に結び付きやすい
- むしろ、「関係性の構造」と捉える方が生産的
- 関係性の構造
- 権力関係
- 攻撃の正当化(認可)
- 均質性の高い小集団の中では些細な原因で攻撃が認可されることがある(いじめ)
- 偏見(攻撃)との間での悪循環
- 攻撃が認可される→語りの中で偏見が増殖→攻撃をますます正当化する
2.社会的比較の理論
1)社会的比較理論
- 自分自身を知るために他者と比較をする
- 「能力」や「地位」の比較の場合には「向上性の圧力」が作用する(他者より優れていたい)→競争
- 比較の対象は類似性の高い他者が選ばれやすい
- 比較の結果自らの「能力」「地位」が低いと「相対的不満」が生じる
- 個人的な努力によって解決できる場合と解決できない場合
2)下方比較の理論
- 自分より「不幸な」他者と比較することによって主観的な幸福を得る
- 通常の社会的比較との違い
- 相対的不満の結果
- 積極的な比較対象の選択
- 比較対象の「創造」(非難、中傷、攻撃など)
3)下方比較理論の含意
- 「不幸」であることは差別の「結果」なのではなく、差別の「目的」
- 「不幸」な状態に甘んじている限り積極的な攻撃は少ないが、「不幸」でなくなろうとすると強い攻撃を受ける
- だとすると、「かわいそうだから差別は行けない」という説得は効果がない
- ここでもやはり「対象選択」が問題
3.社会意識としての偏見・差別意識
個人の心の中に存在するものとしてではなく、社会的に共有されている(価値)意識としての差別意識 →なぜ共有されるのか
1)外在的要因
2)内在的要因
- 希少な資源の独占
- 規範の維持
- 異なる文化を持つものを排除することによって既存の規範を維持する
4.人権意識論
「偏見がない」ことが十分条件か? →単に「偏見がない」だけではなく、積極的に差別をなくそうとする態度が必要
人権意識の中身
- 差別問題の認識
- 権利意識
- 公正意識
- 他者との関係性の認識
5.「悪意の差別論」という問題
偏見理論(差別の心理的な原因に関する理論)は場合によっては、差別の社会的解決の障害になりうる。
1)差別告発に対する感情的反発
- 仮定としての偏見(差別行為がある限り、その背後には必ず偏見がある)
- 「悪」としての偏見 → 「悪人」としての差別者
2)「差別者」の特殊化
- 特殊な偏見を持った人間としての差別者イメージ
→「一般人」には無関係なこと
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