第3回講義の感想と質問
- この講義では、男/女二分法で扱っていましたが、他にもセクシュアリティは様々(TS TGなど)あります。そのあたりについてはどう思われますか。二分法ではくくりきれない問題があることも聞いています。社会的・文化的要因が絡み合う複雑な問題で難しく思いました。
- 確かに、現実の「性」のあり方は、セックスのレベルでもジェンダーのレベルでもすべてを「男」「女」に区分できるというわけではありません。セクシュアリティを考慮するとさらに複雑になります。しかし、私たちの社会の仕組みは男/女の二分法を前提に成り立っており、またこの二分法は私たちの文化に深く組み込まれています。そのため、どちらにも区分し難い状態をむりやりどちらかに区分したり、「異常な状態」として扱ったりしてしまいます。これもまた、「差別」の1つの原因だと考えることができるでしょう。
- 女性であるからとか男性であるから、今の日本の社会でもよく耳にする問題であるが、活動領域を制限されることまで差別と言えないこともないといわれ、なるほどなと考えさせられた。
- 「男女差別」の問題で、身の回りに両親が別姓という人がいるのを聞いて、すごく驚いたことを思い出しました。このように女の私が思うことは、女性の立場の違いというものに関係していると思い、女性差別というものを簡単に考えられないと思いました。
- 男女雇用機会均等法が成立したのが10年前。もし10年前であったら、同じ授業で差別をテーマにしてこれだけのことを取り上げただろうかと思う。部落問題などと違って、女性差別問題というのは、日本においてはまだまだ新しい問題ではないかと思った。
- 女性差別問題は日本においてもそれほど新しい問題ではありません。例えば日本において女性の選挙権が実現するのは戦後のことですが、これを課題とする思想や運動は少なくとも明治時代からありました。
- 同性愛についての差別が取り上げられていたが、テレビとかで言われる分には差別するなよとか思えるけど、それが身近な人だった場合は祝福できるかどうか考えてしまった。
- 性役割分業で、家事・育児も立派な仕事だとおっしゃいました。私もそうは思います。でも普通の仕事とは違って、負担が大きいのではないかと思う。家事・育児は24時間・毎日、休みなしだから、平等であるというのはちょっと納得いきません。
- 家事動労の特殊性は、「休みのない労働」であるということの他にも、「受動的な労働」であるとか、「毎日同じことのくり返し(従って達成感が得られない)」などが指摘されています。これらは「家事労働」を「楽な」もの、「とるにたらない」ものと見なす意見に対しては、ある程度有効な反論になっていますが、これらの理由で家事労働が市場労働より負担が大きいとまで言えるかどうかは疑問です。例えば「過労死」のような現象が家事労働でも起こるかどうかと考えると、わかると思います。「家事労働と市場労働のどちらが負担が大きいか」という問題設定はあまり生産的ではないように思います。
- 男女平等という中の、雇用・就業に関してですが、フランス(いつも極端な国です)が失業問題の中で男女共に働いている家庭と失業している家庭の問題解決のため、女性を家につれ戻そうとする働きをしようとして問題が起きました。この場合は、就職・失業保険負担、出産問題が原因ですが、じきに日本でもこのような問題が起きるでしょう。そのとき、日本政府はどうするのでしょうか。
- 雇用に関しては、不況で就職難になるとまず女性の採用が制限されるというのは、ここ数年の日本の状況がまさにそうですね。また、出生率の低下の原因を女性の社会進出に求める意見は時々見られますが、これが現実に何らかの政策して打ち出されることは、当面はないでしょう。遠い将来となるとわかりませんが。
- 「男らしさ」の政治性のところがよくわかりませんでした。職業倫理というのが難しいです。
- 確かに「男らしさ」のところはわかりにくかったかもしれません。できればもう一度どこかで触れたいと思います。
- 自分は男なので感覚的によくわからないのだが、この前のアンケートにあった「美人の受付」の問題は有能な人の昇進・昇給とは違うのだろうか。美人であるというのは一つの才能なので、手当がちゃんと出れば問題ないような気がするのだが。もしくは残された不美人の方が問題なのだろうか。
- 「美人であることも1つの能力」というのは(仮にそう言えるとして)、特定の社会条件に依存していることに注意が必要です。つまり、男性が重要な地位についていることが多く、「権力」を持っているために、「男性を喜ばせる力」である「美人である」ということが、女性にとって「武器」となるわけです。
- 会社などで「そのうち(結婚したりして)辞められてしまう」といった理由で女性をあまり雇わないのは、不当ではないと思う。事実そういうことが多く起こっていて、それで会社が不利益を被っているなら、それを主張する企業があっても自然だ。「同性愛者」については、言われてみれば確かにその通りで、「同性愛者」という言葉をきくとセクシュアルなイメージを思い浮かべてしまう自分が結構底の浅い考え方をしていると思わされた。
- 経済的に見て日本の社会では企業内学習によった会社経営がなされる限り、少なからず安定性のない女性は嫌われる。女性は部署移動が少なく昇進も門が狭くなってしまう。それに加え短大で2年間本当に学んだのかわからない人を企業として採用するのは渋ってしまうだろう。本当に能力のある人は就職できるだろうが、男だって何してたかわからん人々もいるのだから差別になるだろう。ただ短大は多くは女子大で専門学校の延長に見られがちなのではないかと思う。性別役割分業はキリスト教的観点にあり、原始は共同作業をしていたし、ニューギニアの辺りでは男が家事、女性が外で働く民族があるので一概には言えないのではないか。ただ女性には保障も多い。女性料金というものだ。僕は映画をよく観に行くが、女性は1000円の日があっていいなとつくづく思う。ホモセクシュアリティは他に強制しなければ何とも思わない。女性同性愛者が社会的に認知されないのはふざけているのと本気の区分のつきにくさ、表に出てこないのが大きな理由だと思う。
- 「女性はすぐ辞めるので雇いにくい」という意見については、(結婚・出産などで)辞めてしまう女性がいることも事実ですが、一方では「辞めさせられる」「辞めるようにしむけられる」という現実があることも見落としてはならないと思います。女性同性愛者については、女性の性的主体性が認知されてこなかったことがかなり大きな原因であるように思います。
- 男性だからとか女性だからとか同性愛者だからといって、全員をそのように見てしまいがちな考えが、このようなことを引き起こしているのかなと思った。もっと個人レベルで考えられるといいと思う。
- ジェンダーについては今までも何度か授業で勉強したことがあるが、なかなか理解しづらいし、解決されにくい問題だと思う。女性差別と同様男性差別もあると思うが、女性差別の方がやっぱり圧倒的に多いし、女性全員が差別を受けているという点で問題として大きいと思う。性的役割分業に関しては、その夫婦によってよく話し合ってよりよい方向にしていくしかないように思う。どちらにも不満が残らないようにするべきだ。
- 連合婦人会などは、「男女が共存し、支えあう社会」について話し合っていると聞きます。これは男女の差をポジティブなものとして認め、お互いの理解を通して問題を解決していこうということだと思います。ところで、この授業の評価方法はどうなるのでしょうか?
- 家事・育児が仕事として認められ、賃金が与えられるようになれば、対等な分担として家事労働はみられるようになるのかもしれないけれど、家事・育児はお金をもらうために行うものではなくて、自分と家族が幸せにくらしていくために行うものであると思うので、家事労働に賃金をはらうことには反対だなと思いました。家事労働をやるのは女性だということを当たり前に思わず、感謝してくれる気持ちや言葉があれば、差別だと思う専業主婦は減るような気がします。
- 現在では、性別役割分業の問題は、「共働き」の家庭でより大きな問題になっていると思います。様々な調査によれば、「共働き」の家庭でも家事労働のほとんどを女性が担当しているのが現状です。すなわち、「女性−家事、男性−仕事」という分業ではなく、「女性−仕事と家事、男性−仕事」という分担になっている場合がかなりあることが問題なのではないでしょうか。
- 自分は女性だから今まであまり男性差別に関して意識したことがなかったので、今日の講義はある意味ではっとさせられた気がします。
- 今日の授業では養子縁組みの話が印象的に残った。これまでは、普通に結婚するのと同じように”嫁入り、婿入り”するものだと思っていたので、このことは驚いた。あと、授業の最初の方に「男らしさ」ということば、「女らしさ」ということばもありますが、この「○○らしさ」とはどういうことなのでしょうか? 高校の頃、授業でも言ってたのですが、この認識自体にも何か疑問が残ります。「○○らしさ」の観念は時代が進むとともにどんどん小さくなってますが、なかなかなくなりません。男の方が女の人により強い「らしさ」を求めてるような気がします。
- 「女らしさ」や「男らしさ」は、「性役割」と呼ばれるものです。すなわちそれぞれの性に特定の役割を割り振る一種の「ルール」です。これについても語るべきことはたくさんあるのですが、やや差別論の本題からずれてしまいます。時間があれば触れてみたいと思います。
- 女性差別の問題は女性だけでなく、男性も真剣に考えるべきだと思った。とにかく、何が差別であるかを知ることが大切だと思う。
戻る