第11回講義の感想と質問

  1. 表現する場合、どうしてもいわゆる「差別語」を用いた方が適切な場合がある。だから、本来規制は何が何でも「差別語」だから、という理由でなされるべきではなく、その使われ方や目的に即して判断されるべきである。
  2. 侮辱や攻撃の意図を持たない言葉なのに、差別されていると訴えられたという事件を聞いて、それは、その言葉に対して、侮辱や攻撃の意図しか持っていないと思い込んでいる人々がいるからかなと思った。ある人に対しては、その言葉は「差別の意図」を持っていて、ある人は、ただ読者をいかにひきつけるかということに重点をおいて使った言葉であるだけで、そこの当たりは本当に難しいものだと思った。
  3. 神戸の事件で、フォーカスが顔写真を出したことで、大きな問題となった。そこで、ニュースにでているジャーナリストたちは、モラルの問題だ、と言っていたが、それはとてもあいまいで正しいのか間違っているのかよく分からない。
  4. 先の神戸の殺人事件で某雑誌が容疑者の顔を掲載して問題となっています。少年法でそういうことが禁止されているのに、編集部の人々は特異な例だからということと表現の自由だということでのせた、のせてもいいと言っていました。今回のことは、私は、マスメディアが自分で、自分たちの表現の自由の権利を主張することを放棄したのと等しいことをしたのではないのかと思いました。
  5. 資料を使って三者関係の差別表現を考えるとわかりやすかったです。でも、こうやって講義で考える機会がなかったら、作者と同様、それが差別表現だとは考えずにいたように思います。
  6. 表現の自由は確かに憲法で保障されているが、マスメディアの影響力を考えると自主規制があって当然ではないかと思う。自由な表現にも責任が求められると思う。差別表現は言葉の暴力ではないのか。
  7. 「差別表現」の事例として、筒井氏の「無人警察」を取り上げていたが、これを読んで私はすごくひねくれていると思うけど、被差別者が一番差別に対して敏感で、自ら自分たちを差別者にあてはめているように思えた。しかし自分がもしてんかんだったら、この小説を読んで何も感じないとは思えない。反発をおぼえ、「差別だ!」と思ってしまうだろう。むずかしいです。
  8. 資料の筒井康隆さんの小説のことについては、聞いたことがあった。でも、このことで、筒井さんが小説を書くのをしばらく辞めたことに関係しているんでしょうか。
  9. 現在、マスメディアは多チャンネル化し、本も手軽に入手できる。その中で障害者への差別を見つけることはより困難だと思う。でも、困難だからといって何もしないのも…と思う。日本ではインターネットなどを取り締まること、大がかりの言葉狩りは、言論の自由や表現の自由に反するため、日本が唯一の「インターネット上での表現の自由」をもつ国になりうる、と新聞で読んだ。筒井氏の断筆宣言は、たいていの本で無意味と批判されている。彼のしたことは、結局波紋を投げかけただけで、何の効果も生み出さなかったのでは? と私は思う。

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