I 「決定不可能性」をめぐって

1 「決定不可能性」

 嘗て学問には幸せな時代があった。その特権として、客観的な立場から真理を探求してさえいればそれでよかったからである。しかし今世紀初頭を皮切りに、この特権に対して疑念を差し挟む発見、論考が相次いで登場し始める。「決定不可能性」の問題である。この問題はそれぞれの学問分野からそれぞれに異なった問題意識を経て明るみに晒されるところとなった。ハイゼンベルクの不確定性原理(1927)、ボーアの相補性原理(1927)、ゲーデルの不完全性定理(Godel[1931])、ヴィトゲンシュタインの言語ゲーム(注3)、クーンのパラダイム論(Kuhn[1962])等、この問題意識をめぐる諸成果は枚挙にいとまがない。
 これらの成果はいずれも、何らかの意味で「絶対的なるもの」(土方[1990:1])の不在を主張する。しかし同時に、「絶対的なるもの」を否定する試みは結局、「絶対的なるもの」を否定する自己の「絶対性」そのものを否定する方向へと向かって行かざるを得ない。「自己反省(自己言及)のパラドクス」(土方[1990:5])である。あらゆる物事は常に、更なる反省によって相対化されるのを待つものかでしかないのである。「不断の別様性が思念される」(土方[1990:2])のだ。
 しかし一方で「この〈=自己反省の(筆者補足、以下同様)〉困難さは、哲学の形成と展開にとって、かなり重要な役割を演じてきた」(土方[1990:4])ともいえる。多くの哲学は長い間、前提の更なる前提を問うことを以て成り立ってきたからである。個々の成果は別にして、この試みそのものも又結果として、最終的で、何か絶対的な根拠の不在を明らかにしてきた。哲学的試みは常に、「決定不可能性」による、自己反省の無限背進の問題に直面してきたのである。そこでは正に、何を記述の前提として選択するのか、つまり何処で自己反省の無限背進を中断すればよいにか、という問題に苦しむことになる。この苦しみの結果が、カントにおいては「絶対知」であり、ヴィトゲンシュタインにおいては「言語ゲーム」、フッサールにおいては「最終地平」、ルーマンにおいては「システム」として与えられている。これらは明らかに恣意的に導入されたものである。極端にいえば、各人の名を持って語られる哲学相互の違いは最終的には、「決定不可能性」の中の何処に自己の位置を措定するための差異を措くか、という違いでしかないのである。従ってその位置そのものについて、それを前提とする体系は何も言えない。それ故例えば、「……ヘーゲルは、自己の体系の中に、体系そのものに対する場所を見出していない。フッサールの超越論的現象学は、それに依って立つ超越理論家そのものが、彼自身に対する叙述をおこなう適切な場所を見出していない」(土方[1990:4])というような出来事が起こるのである。しかし「決定不可能性」の視点に立てば、これは至極当然のことである。寧ろ、自身の位置を確実に与えているような体系が出現したとしたら、何処に嘘があるのかと疑ってかからねばならない。
 このようにして、「絶対的なるもの」は完全に否定される。根拠づけは更なる根拠づけに、反省は更なる反省に、無限に開かれ続けることになる。これが、「決定不可能性」の意味するところである。我々が至極当然のこととして行っていた「決定」は実は、全く「ありそうにない」奇跡だったのである。
 このような状況を前にして、学は一体何をすれば良いのか?本論で明らかにする「魅力的な展開」とは、この状況に対する今までとは極めて異なった対応の仕方である。ともあれ先ずは、従来の学問がどのようにこの問題に対応してきたかを概観することから始めよう。

2 「決定不可能性」の処遇

 「決定不可能性」を前にして、我々に可能な試みを、H・アルバートは「ミュンヒハウゼン・トリレンマ」として定式化する(注4)。これは次のようなものである。

@ある無限遡行を行うこと
 根拠を求める際、「根拠」の根拠、「根拠の根拠」の根拠、「根拠の根拠の根拠」の根拠……へと無限に尋ねていかなければならない。
 →実際に無限遡行は不可能であり、根拠の基礎は示されない。
A根拠を演繹する際に理論的循環論法を行うこと
 知識の基礎づけを行う過程で、それ自体基礎づけを必要とされていることがすべて知られている言明に、人は訴えざるをえない。
 →循環論法は理論的欠陥をもっており、それによって根拠の基礎づけが得られることはない。
B一定の時点で、探求の手続きを中断すること
 →この中断は、原理的に可能であるが、その探求の中断は根拠の効力が、その時点で恣意的に中断されることを意味する。

 我々には、この三者のどれも受け入れがたいが、しかしどれかを受け入れざるをえない。このような選択肢を前に、我々にとって、@を選択することは不可能である。「意味の意味」(Luhmann[1990=1996:41])を問う我々の学は結局意味内部での内的な営みでしかなく、意味の外部にまで遡行し続けていくことは不可能だからである。こうして、AとBが残される。Aはトートロジーであり、Bはパラドクスを導く。従って「社会のどの自己記述も、パラドクスないしトートロジーにもとづいている」([同:131])ことになる。
 こうした「社会」の中で、Aを理論的欠陥としてよしとせず、更なる「自己記述」を試みる学はBを選択することになる(一つしかない可能性に対して、受け入れ難いがしかし受け入れざるを得ない……或いは、学のモノレンマとでも記述したらよいだろうか?)。こうしてここから更に大きく二つの方向へと向かうことになる。一方は、パラドクスの生成そのものを探求して行こうとする立場であり、論理学や群論(注5)がこれに当たる。社会学においては、ルーマンのシステム理論が、社会におけるトートロジーとパラドクスの生成と回避の状況を記述しており、部分的にこのアプローチを含んでいる。
 一方でその他の殆ど全ての学は、ある、それ以上の遡行を恣意的に断念した地点を自覚的に前提、或いは定義として取り入れたうえで、その上に更なる論考、研究を積み重ねて行く方法をとる。この方法は物理学においては十分にその有効性が示されてきた。「決定不可能性」が明るみに晒される以前、にも関わらず物理学的探求が「上手く」いっていたのは、無自覚的であるにせよ、「知覚主体に依存しない外界の存在を信じることがすべての科学の基礎である。」(アインシュタイン=Weinberg[1975=1979:73]より引用)という共通の強力な前提を受け入れ、しかもこの前提が極めて高い蓋然性を保持し続けることが出来たからである(注6)。この物理学的方法はその「成功」により、多くの学問に輸入されることになった。即ち実証主義である。実証主義は、厳密な概念操作による、ある種の客観性の獲得を目指しており、更にそれらの操作を介して普遍的な法則を取り出し、その法則を用いて根拠づけを行うことを目指すからである。
 しかし一方でこの、物理学の「成功」による方法の輸入はその他の多くの学問にとって不幸なものでもあった。何故なら物理学的探求は「複雑性の複雑性」(Luhmann[1990=1996:41])を扱っており、それ故にはじめてこの方法が有効であったに過ぎないからである(同じ箇所でルーマンはこの方法を「ハードな学問」として定式化している)。これに対して社会学を含む「ソフトな学問」[同]は、「意味の意味」[同]を扱う。そしてこの「ソフトな学問」においてはこの方法は全く有効ではない。何故なら、複雑性を問うことが複雑性そのものを変化させてしまうことはないか、あっても充分に無視しうる程度の大きさでしかない(注7)のに対して、「意味の意味」を問うことは、たちどころに問われている当の意味そのものを変化させてしまうからである。
 しかし不幸はこれだけに止まらない。ここで更に、「ソフトな学問」は、「ハードな学問」に為されるのと同じ問いに晒されることになったからである。一義必然的な決定が要求されるのである。これは「ソフトな学問」にとっては明らかに不当な要求である。これは例えば、心理学が戦時中に大衆操作の具体的な方法を要求されたこと(Barr[1995=1997:17])或いは、社会学者が社会のコンフリクト状況に対して誰が「正しい」のか?という決定を要求されていること(Best[1993:131,137])等、多くの例が指摘されている。又、テレビにコメンテーターとして登場した「専門家」がしばしば、或種の「決定」を求められて回答に困惑する例を我々は数多く知っている。
 このような中で時として、単なる言い替えでしかない、本質的にはトートロジーに基づく無意味な回答が準備されることもしばしばある。例えば生命に対して説明を与えるための「生気論」は、分からないことを「生気」と言い換えているに過ぎない(河本[1995:14])し、「構造」そのものは、それ以上に遡行不可能なものを「構造」と言い換えたに過ぎない。
 当然、「意味の意味」を問う社会学にとってこの状況は深刻である。そしてこれらの不当な決定要求に晒された結果、多くの社会理論が自理論の相対性と、方法の恣意性を標榜しつつ、しかし密かに「決定不可能性」に対する恣意的な選択を導入し、恣意と真理をすり替えることによって根拠づけや説明を行うことになる。では、「決定不可能性」の問題を受け入れた上で尚、学問的営みを行ってゆくためにはどうすればよいのか。
 既に確認したように、我々は無前提に何かを記述することは出来ない。つまり、それ以上に基礎づけを求めることなく、恣意的に根拠の遡行を断念する地点が必ず必要なのである。問題は、この、恣意的に無前提なままに導入した前提に対して自覚的であるかどうか、である。もし無自覚なままに「社会理論」を組み立てるとしたら、それは「理論」の名を冠して自己の優位性を主張するだけの、単なる言説である。或いは、「ハードな学問」からの方法だけを如何に厳密に輸入したとしても、事態はなんら変わるところがない。その方法が成り立つために必要とされる前提を問うことなく輸入するならば、これも又、理論と呼ぶには値しないからである。それどころか、「理論」という過剰形容を与えることで寧ろ、無用な混乱を与えることになる。そして残念ながら、多くの社会理論は未だ、理論ではない。
 以下に続く2章では、それぞれのトピックから特にこの「自覚」の問題を中心に議論を進めてゆくことになる。しかしこれらのトピックはただ単に便宜的に取り出したものに過ぎず、決して異なるものではない。それはただ単に、「自覚」のそれぞれに異なった発現様式とでもいうべきものであり、実際には全く同じ出来事を記述していることが見て取れるであろう。

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