第1章         女性雑誌とは

 

ここでは日本における女性雑誌の現在と過去の様子を見ていきたい。

 

1節 女性雑誌の発行状況

1998年には6630銘柄の雑誌が一年間に37億2311万冊発行された。そのうち月刊誌は22億6256万冊、週刊誌は14億6055万冊、販売金額にして合計約1兆5315億円の売上であった。

その中でも女性雑誌の発行状況は、月刊誌・週刊誌合計推定発行部数が年間3億9017万冊となっており、日本の全雑誌の発行部数の約1割にあたる。また女性雑誌には様々なジャンルがあり、その中でも「ファッション誌」が1億2688万冊(うち8817万冊がヤングファッション誌)、「女性週刊誌」が9971万冊、「生活情報誌」が8322万冊と、この3ジャンルが女性雑誌の発行部数の約80%、つまり女性雑誌のほとんどを占めていることになる。(『出版指標年報1999』より)

 

図1−1 女性雑誌ジャンル別発行部数の推移(『出版指標年報1999』 社団法人全国出版協会出版科学研究所 より作成)

「ファッション誌」の中には細かく分けると「ヤングファッション誌」「OLファッション誌」「ハイソマガジン」「30代ファッション誌」という4ジャンルがあるが「ヤングファッション誌」がそのほとんどを占めている。

 

そして驚くべきことは女性雑誌のなかでも「女性週刊誌」は現在3誌(『女性自身』『女性セブン』『週刊女性』の3誌)しか存在していないにもかかわらず、多くの発行部数を占めていることである。図表1では1989年をピークに年々減少傾向にあるが、1998年において女性雑誌全体の約26%をその3誌の「女性週刊誌」が占めていることが分かる。(注:1995年まで『微笑』という女性週刊誌も存在し、4銘柄あった。)

 

第2節                           女性雑誌と女性の歴史

女性雑誌のこれまでの経緯を雑誌界全体の動きとともにみていきたい。

 

1.1970年代の女性雑誌

1970年代に、女性をめぐる社会的、文化的状況は大きく様変わりした。

1970年代初頭には、ウーマン・リブ運動(女性解放運動)が起こり、女らしさの観念、性別役割分業、婚姻制度のあり方などが大きく問い直される動きがあり、1975年からは、国連の呼びかけにより「婦人の十年」が始まった。このことにより女性差別撤廃に対する考え方が世間に浸透するようになった。

 

このような女性を取り巻く変化が著しい1970年代は世界各地で新しいタイプの女性雑誌が創刊され、日本でも1970年代以降、創刊誌ブームが繰り返された。

それまでの日本の女性雑誌といえば大きく分け、料理法や育児方の記事が中心の「主婦向け月刊誌」と芸能人のゴシップが中心の「女性週刊誌」の2種類のものが主流であった。

それが1970年代になると1970年に『anan』が、その翌年の1971年には『nonno』といった新しい新興女性雑誌が創刊され、「アンノン族」という言葉が生まれるほど、若い女性たちに大きな影響力をこの2誌は持つようになった。そしてこの2つの雑誌の登場によって、大正時代以来の伝統的な婦人雑誌は駆逐され、戦後の女性雑誌は大きな変わり目を迎えた。

「@語呂の良い音を合わせた横文字のナンセンスタイトルを持つこと、Aカラーグラビアを多用し、紙質も良く、誌型も大判のビジュアルな雑誌であること、B女性雑誌の「三種の神器」といわれた芸能・セックス・皇室に一切言及しないことなど、1970年代以降に続々と創刊されたファッション系女性雑誌の共通する特徴は、いずれも『anan』と『nonno』がつくり出したものであった。」(井上輝子、1989、p37)とされるようにこの2誌の登場が女性雑誌のあり方に大きく変えていったのである。また『anan』『nonno』は「類似誌や読者の年齢アップにともなう“姉媒体”の連鎖的発行、内部の男性読者を引っ張る別媒体の発行」(諸橋泰樹、1993、p31)などの影響ももたらした。そして1975年には『JJ』、1977年には『クロワッサン』『MORE』などほかの雑誌分野に先駆けて女性雑誌は創刊ラッシュとなった。

 

2.1980年代の女性雑誌

この女性雑誌の創刊ラッシュに続いて、1980年には雑誌界全体で230種の雑誌が創刊され“第一次創刊誌ブーム”が起き、さらに1983年には257誌が創刊され“第二次創刊誌ブーム“となった。これらの創刊誌ブーム以降も、1984年に267誌が1985年には250誌と創刊ラッシュは続いた。

 

1970年代から世界的な女性の開放、性差別イデオロギーを内面化した女性自身の意識変革によってそれまでの男女関係や性別役割分業のあり方が問い直されはじめ、1980年代には制度的な改善もすすみ、女性側の積極的な自己主張と、企業側の女性に対する着目によって女性が社会において大きな存在となり、消費の担い手として女性が市場のターゲットとなった。これらのことから1980年代は「女性の時代」と称される。

そしてこの1980年代の女性雑誌界では、1980年に『COSMOPOLITAN』『25ans』などが相次いで創刊され、女性雑誌創刊ブームと喧伝され、1984年には『SOPHIA』『CLASSY』など7誌が、1988年には『Hanako』『日経Woman』など13誌が、1989年には『CREA』『SPUR』など10誌が創刊されるなど、創刊誌ブームは女性雑誌を中心としたものであった。

このように1980年代には女性雑誌がその勢いを大変増し、「「女性の時代」は、「女性雑誌の時代」でもある」(井上輝子、1989、p3)と考えられる。

 

3.1990年代の女性雑誌

1990年代以降雑誌界全体では、発行部数や銘柄数があまり伸びなくなっている。その原因としては、日本のバブル経済の崩壊に伴う不況による影響が大きい。その「バブル崩壊」によって雑誌にとって重要な広告収入や消費、購読が落ち込み、創刊ブームもおさまり、あらゆる雑誌の休・廃刊が相次いだ。このような状況を諸橋泰樹(1993、p14)は「雑誌の時代の終焉」、少なくともその始まりととらえてしまってよいかどうかであろう。」と述べている。

そんな中、女性雑誌は確実に売れ定期的に収入が入るもの、広告収入が入るものとして「金のなる木」としての存在であることには変わりなく、毎年新しい女性雑誌が創刊されている。『出版指標年報1999』によると、1998年に創刊された女性誌は10誌で、90年代に創刊誌数は、以下のようなものである。

 

 90年−7    93年−4    96年−11

 91年−7    94年−2    97年−10

92年−4    95年−5    98年−10

 

1994年に2誌と最も落ち込んだが、それ以降はまた増加傾向にあり、1996年には11誌が創刊され、この数字はバブル経済全盛時とほぼ同じである。これは1996年から広告景気が回復したことと一致しているとされる。

 

第3節                           女性雑誌の特性

 

1.雑誌のメディア特性

まずは女性雑誌の属する雑誌メディアの特性についてほかのメディアと比較しながら見ていく。

 

雑誌というメディアは、家にいてチャンネルをつければすぐに見られるテレビや、毎朝各家庭に配達される新聞といったメディアとは違い、その情報を知りたい人が自ら書店やコンビニに行き買うと言う行為があって読むことができる非常に能動的なメディアである。

それゆえ雑誌の内容はその情報が必要な人のためのものであれば良く、テレビや新聞のように老若男女に開かれたものである必要はない。このことを雑誌の「セグメント性」「専門情報性」と呼んでいるが、この「セグメント性」「専門情報性」ゆえ、性別、年齢、意識、ライフスタイルにいたるまで明確な読者のターゲットを絞ることができ、どのような雑誌を読んでいるかということから、その人の属性や価値観を把握することができる。

そして雑誌はそのセグメント性、専門情報性により「ホンネの部分が出る大衆的なメディア、すなわち「欲望の乗り物」(石川弘義)である」(諸橋泰樹、1993、p14)とされ、人々の欲求がストレートに出るメディアと考えられる。そのために広告媒体の格好のターゲットとなっている。

 

また「セグメント性」「専門情報性」以外に考えられる雑誌のメディア特性は、「@詳報性、A一覧性とインデックス性、B可搬性、C随意性、D廉価性、E綴じてある形態ゆえの情報内容の秘密性、Fターゲットの明確さ、G適度な定期発行サイクル、H保存性」(諸橋泰樹、1993、p16)などを挙げることができる。

 

2.雑誌のカタログ化

今日雑誌において広告と並んで大きな位置を占めているのが「広告記事」と呼ばれる、スポンサーとの提携ページや商品情報つきページなど「広告」と「記事」の中間に属するページである。この「広告記事」の存在によって雑誌は「カタログ化」の傾向が強まったとされる。

 

このような雑誌の「カタログ化」は、雑誌のビジュアル化を伴って進行し、「読む雑誌」から「見る雑誌」は転換がなされた。

 

特に女性雑誌では「衣服や服飾雑貨などのファッションや小物グッズが、広告とも記事ともつかない編集方法とレイアウトで、ページに所狭しとならべられ、「カタログ雑誌」とも呼ばれた。」(諸橋泰樹、1998、p215)

 

このようなカタログ雑誌化によって「女の行き方の選択肢にかかわる言語的な情報は少なく、身体イメージとしての自分を消費行動を通じてつくっていくなかで自ずと人生が定まるという、ビジュアルな身体・モノ情報主導の傾向が強まっている。」(諸橋泰樹、1998、p256)と指摘されている。

 

3.女性雑誌の特性

次に女性雑誌だけに見られる特徴を探っていく。

 

諸橋泰樹(1989、p104)は「「女を装う」(駒尺喜美)ノウハウが詰まっているのが女性雑誌である。」と述べ、女性雑誌のコンセプトを「女を“装う”ための実用情報の缶詰」と位置付けた。

そのコンセプトの内容は、@男性獲得のための女のあり方・生き方を装う、そのためには、A化粧をし細いプロポーションを保って美しく装い、B流行のファッションによって身体を装い、そして「獲得」した男性を逃さないよう、C料理を作るなど「家事」を執り行って女を装う、といったものである。

 

このように読者が女性とセグメント化された女性雑誌は「女を装う」ための様々な情報が詰まっているメディアであり、女性たちに対して偏った価値観や女性はこうあるべきであるといった「あるべき女性像」を提示している。

 

4.女性雑誌における広告

相次ぐ創刊誌ブームが起こった日本では1970年代後半以降、出版業界では「雑誌依存の時代」になったとされる。各出版社が雑誌発行に意欲を燃やした原因として書籍と比べて雑誌は広告収入が期待しやすいということが考えられ、特に女性雑誌は発行部数だけでなく、広告量の面から見ても日本の雑誌界の主要構成要素となっている。1970年代以降、さまざまな産業界が女性雑誌に手を伸ばした結果、「女性雑誌は次第に「広告乗り物」としての色彩を強めた。」(井上輝子、1989、p8)とされる。

また女性雑誌の誌面にビジュアルが多く使われ、かつ価格が低く抑えられるのはこのような広告収入があるためである。