第5章 総括と考察

第1節 総括

 この卒業論文では「なぜ子供達は塾に通っているのか」ということを考えてきたわけであるが、子供達が塾に通う要因というものはひとつではなかった。ひとつではなかったが、中でも大きく影響していたのは「楽しい」という感情であった。「塾が楽しい」という命題を成り立たせるためには、「@一緒にいて楽である友人関係」という必要条件があり、また「塾がとても楽しい」という命題を成り立たせるためには、「A勉強に関して認められ、その成果がはっきりとわかること」という十分条件が存在する。この@とAが揃った時、塾は子ども達にとって楽しいといえる場所と言える。ということが今回卒業論文の調査を通して得た結論である。学歴社会と言われている現代においてはこの構図は成り立つと思うのだが、社会・学校など子供達を取り囲む環境は刻々と変化している。この変化し続ける時代の中でこの構図が成り立ち続けるのだろうか、ということを私なりに考えてみようと思う。
 子どもを取り囲む環境としてまず思い浮かぶのは学校である。この学校の変化については第4章の後半で述べたので、ここではあまり多くは触れないでおこうと思う。現代の学校は「個性の尊重」を柱とした教育改革を行なっている。つまり、今までの学歴偏重の社会を是正する方向へと向かっているのである。学校の補完機関である塾が変化する学校に対してこのままであるわけがない。塾側はこれからの時代をどのようにして乗り越えようとしているのだろうか。次節ではこのことについて私が調べたことをまとめて紹介しようと思う。

第2節 塾がこれから向かう方向

 この第2節では、塾側はこれから先どのようになっていこうと考えているのか、つまり塾がこれから向かっていく方向ということについてペス教育共同体社長久保田邦義氏(注7)が教材新聞に連載していたコラム「新世代塾の胎動」を参考にして述べていこうと思う。
平成の教育改革は、第三の教育改革と言われている。第一は、明治維新の教育改革(義務教育の制定ー西洋の新知識・新技術を広く全国民に普及する)、第二は戦後の教育改革(男女平等・民主主義と平和教育ー戦後の物質的精神的復興)であると言われている。これらの教育改革の目的は、その当時は発展途上レベルであった日本を知識面でも、技術面でも、制度面でも早く先進国に追いつこうということであった。
 しかしバブルが崩壊し、社会が要求する人材も変化してきた。先進的な情報や技術をいか速く正確に吸収するかということをいうことを中心に教え込まれてきた五十代はもちろん、三十代の人までもがリストラの対象になっている。変わって、独自の着想・発想を生み出し、それを外部に発信するという今までとは正反対の能力が要求される時代となったのである。つまり、入学試験や資格試験のように、予想・予測できる試験に通用する力の教育と、時には国家体制までもが崩れてしまう実社会で、毎日新しく発生し続ける諸問題に通用する力の教育とでは根本的に異なってくるのである。
 そして、名門大学から一流企業へと受験と就職の難関を切り抜けてきたかつての勝利者達が、実社会や企業においては、必ずしもエリートとなり得ない状況になっている。この中で、 公教育も変わろうとしているのである。これからの教育が目指しているものは、「知識偏重型の詰め込み教育」から「自ら考え・自ら学ぶ」社会の変化に対応できる「生きる力」を持った子どもを育成し、深く学び取らせることにより、「創造的」「批判的」思考を育成することである。
 このような時代において「学習塾」はこれまでと同じ事をしていてよいのだろうか、私たちがイメージとしてもっている「知識の交換・教授の場」で、塾はいいのであろうかという事が塾業界で考えられている。ここで近年注目されているのが、「個別指導」である。「個別指導」という形態は今まででもあったが、やはり一斉授業という形の方が一般的であった。ここで「個別指導」が注目されていることを考えると、それは個別指導に何らかのメリットがあるからであると思われる。個人指導においての学習者にとってのメリットを「学習目的」・「内容」・「時間割」・「他の学習方法との併用」・「学習方法」の五項目について確認してみようと思う。

@学習目的

学習目的は受験を筆頭に補習・他の教育機関の補完などが主である。ここで受験といっても一言で片づけるわけにはいかない。中学受験もあれば、高校受験・大学受験もある。それだけでなく、大検・英検など入学試験から各種資格試験・検定試験にまで及ぶ。補習についても同様にいろいろある。学校の授業についていく為の物だけではなく、塾の授業についていく為のものもある。これがいわゆるダブルスクールである。

A学習内容

次に学習内容についても様々なニーズに対応する。学習者や保護者からの要望のあった科目・教材・範囲について、それぞれの内容に合わせて、導入解説から定着度のチェックに至るまでの全容に対応するのである。学校の各種のテストや模擬試験の補習対策は当然として、課題学習や小論文の補助なども行なう。

B時間割

時間割については、学習者の希望する時間帯で、一回あたりの時間も曜日も自由に設定することができる。学習回数も期間を限定するのも自由である。例えば、定期考査・模試・実力テスト・内部進学テストなどの直前対策補習をレギュラー受講以外に、自由に設定できる。中には、これらの直前対策補習のための受講だけで登録する学習者もいる。またこれらのテスト対策だけでなく、テスト後の解説・補習をレギュラー受講に影響が出ないよう別枠で受講されるケースもある。

C他の学習法との併用

他の学習塾(進学塾・補習塾・総合塾などなんでも)・家庭教師・通信教育・衛星講座などあらゆる学習法との併用が可能である。というのは、学習者に位置づけに始まり学習者のどの学習場面(学校・家庭・塾)に於いてでも、例えばそれがどんなに可能性が小さく見えても対応できるフォロー体制を学習行動原理に基づき学力補完から生涯学習に及ぶまで、常に学習者という積極的なコミュニケーションを通して、学習者をバックアップするということが個別指導の利点であり目的であるからである。

E学習法

支援者(講師)対学習者の比率が1対1〜1対多の個別方式を選ぶのか、個別+T・T(ティーム・ティーチング/多対多)の応個学習などがある。
 一口に個別指導といっても、時代によって様々な変化を遂げてきていると思われる。次は、私塾で行われてきた個別指導の歴史について述べようと思う。久保田邦義氏は、これまでの個別指導ブームを昭和六十二年に始まった第一次個別指導ブーム、平成元年頃の第二次個別指導ブーム、ここ二〜三年来の第三次個別指導ブームと区別している。さらに第四次個別指導ブームは新世代の胎動としてすでに始まっていると言えるとも述べている。第一次から第四次までの個別指導ブームのそれぞれの概要を次のように説明している。
 まず第一次は、当時は塾がその峠を迎えようとする塾の絶好調の時だったと言える。ある程度その波に乗れば、ほとんどの塾が成長できた時代だったとも言える。その結果、本来の塾の本分をつい見失ってしまい、塾の学校化が起こってきた時だと言える。そこでこの頃、一斉指導の理想と現実の隔たりに疑問を感じ出した一部の塾長達が、「一斉指導の反動」として、個別指導に取り組み始めた。しかし、経営と教育的理念の隔たりは大きく、当時個別指導を始めた約一割の塾しか、生き残れなかった。
 第二次ブームは、チャイルドショック(注8)とバブル崩壊を機に、塾業界が峠を下り始め、先行き不安を感じて、そのブームが起こったようである。経営戦略として、個別指導が取り込まれたと言える。この頃始めた個別塾の約三割が、現在も生き残っているそうである。
 第三次ブームは、需要対応として始まった。教育理念としてや経営戦略として、云々するというより、学習者やその保護者の方から、「個別で見てもらいたい」「個別コースはないのですか」などの要求が増えたため、個別コースをそれらの需要に対応して設けなければならない時流となってきたのである。もちろん、文部省の教育改革による個性化・多様化の浸透の後押しもあったのも確かである。個別指導コースを持たない塾を探すのが難しいほど、普及してきたのである。この第三次個別ブーム時代の個別塾は、その約八割が生き残り、さらに成長しつつある。そして、今まさに動き出した第四次ブームは、新世代塾の胎動として、これまでの一斉と個別という二つの相反する指導概念としてではなく、一斉と個別とを止揚したような融合的な発展的形態で急速に広がってきている。
 このような変化をふまえてここで久保田氏は、新しい個別指導の形を提唱している。久保田氏が提唱する個別指導とは「ホロニック学習システム」というものである。このホロニック学習システムというのは「新世代塾構想」と呼ばれるものである。まずはこのシステムについて説明を行おうと思う。これは「生きる力の育成」を中心の目的として、4つの方面からアプローチするシステムである。この4つの説明をそれぞれ行おうと思う。

(1)気づきの教育

物事を正しく捉える(認知できる)力
新しい価値を形成・容認できる力
全体と個の思考概念の体得
自己の発見と確立

(2)新技術活用

インターネットなどネットワーク活用
データベース技術の活用
コンピュータによる情報処理技術の活用

(3)体験実感教室

思考力開発講座(課題発見解決・論理学・発想法など)
実学講座(会社体験・職人体験・農業体験など)
地球市民講座(国際問題・環境問題など)
実感体験講座(自然体験・理科実験・実感算数など)
ヒューマンリレーショントレーニング(注9)

(4)新世代マーケティング

個人カルテによるきめこまかな情報収集管理
カウンセリングによる顧客満足度向上
このホロニック学習システムについてもう少し説明すると、イメージは「自然農法」である。つまり、学習において自らの力で知識や技術という技能という栄養分を吸い取り、物事の原理を見極め、新しい分野を切り開いていく能力を、根っこから育てていかなければならない。学習の葉を本当に伸ばすには、まずその根っこから伸ばさねばならない。学習の自然農法で、体にも周囲の人達にもいい塾になるのだというのがイメージである。そしてこのシステムの方向性というのは、
@個性と社会性の調和
個性を認め、有機的に社会との調和が図れる人間の教育を目指す。
A学習者に合わせた柔軟な学習システム
モジュール化(注10)されたあらゆる学習モジュールを組み合わせることによって、各個人の資質・能力・性格などにあった最適の学習カリキュラム・プログラムを提供する
B進化する学習システム
各学習内容をモジュール化することによって、学習モジュールの追加や更新を容易に行なうことができ、モジュール化されたシステムは、非常に柔軟なものであり、アメーバ的に古今東西の学習ノウハウを吸収・発展させ続けることができる。
C調和する教育システム
このシステムは、全ての公教育・私教育と競合することなく補完・調和しあう。
以上4つである。ここからはこの「ホロニック学習システム」はこれまでの「個別指導」というものはどのように違うのか、どうように変化を遂げてきたのかということについてみてみようと思う。
 まずは支援者(ホロニック学習システムにおいて講師は「支援者」と呼ばれる)と学習者の比率と学習形態について述べよう思う。個別指導では、初期の頃、支援者を一人に固定しておいて、学習者の人数を一人・二人・三人・五人、、、多数というように、発想してきた。その中で特に、@一対一個人指導(定量強制チェック制)A一対二個人指導(定時強制チェック制)B一対五〜六自調自考学習指導(自由進度チェック制)ーという代表的な三つの形態がある。ここで、個人指導(一対一)であれ、個別指導(一対二)であっても、一般的に「個別指導」と認識されている「家庭教師」との違いを3点挙げて説明しておこう。
@学習の場が、わがままの通り易い自分の家庭か、勝手がきかない教室空間か。
A家庭教師の場合は、一人の担当者が、個別でいうプランナー(教務)と支援者(講師)の両方の役割を負っていて、独善的、つまり客観性を欠くことになりやすい。しかし、個別の場合は、学習者と支援者の関係及び保護者の関係という二組の関係の中にプランナーが中立的な立場で入り込み、それぞれの関係をより生産的な方向へ向けて調整を図ることができる。
B家庭教師では、学習者及び保護者と家庭教師の三者の人間関係において、甘えと馴れ合いの弊害が発生しやすい。一方、個別では、学習状況や成果が客観的に計れる三評価(形式的評価・診断的評価・総括的評価)(注11)を適宜実施でき、尺度とけじめを明確にすることができる。
以上が学習塾で行なう個別指導と家庭教師の行なう指導との違いである。「客観的にみる」ということは学習において重要なことなので、その点のメリットは学習塾にあるようである。
 そして個別指導は@個別指導→A応個学習→Bホロニック学習と、今も進化しつつある。ここで@→A→Bの概要を説明しておこうと思う。
@個別指導では、支援者対学習者の比率を、常に支援者を一人として、学習者の人数を一、二、三、、、多数と発想していった。しかし、A応個指導(個別+一斉+T・T)では、T・T(ティーム・ティーチング)的発想を取り込み、支援者を一人〜多人数に変化させて、一人〜多数の学習者を支援するという形態に進化させていった。そして最近では、これまでの支援メディア、メソッドや支援形態を総合的に融合させて、Bホロニック学習という概念で捉えるようになった。ホロニック学習とは、三つの学習行動原理(学び取る方法、学び取る能力、学ぶ姿勢)に基づき、ゆりかご(幼児教育)から、墓場(成人教育)までの生涯学習としての機能を、学習の三場面において、現実な可能なすべてのメディア、メソッド、形態等を適宜最良の組み合わせでフル稼動させる総合融合学習といえる。ホロニック学習をよりマルチ化してくれるものに、衛星講座がある(注12)。この衛星講座も、デジタル化が進む中で、これまで大学受験生、高校生を対象にしていたのが、上は大学生、社会人、シルバー、下は中学生、小学生、幼児へと対象が広がってきた。そして内容も、おけいこごと、学力補完、小中高大の入試や資格試験、カルチャーとなんでも、それもいつでも(二十四時間対応)どこでも(離島や郡部でも)誰でも(年齢の枠を超えて)、受講の意志さえ持てば平等公平に享受できるようになってきた。また、インターネットを媒体に、バーチャル家庭教師やサイバースクール(注13)、、、等と、業界誌や情報誌には連日、新企画が紹介されている。情報の洪水の渦で、うっかりすると自分自身を見失ってしまうほどである。そこで民間教育機関(学習塾)における面談機能の重要性がさらに増す。学習塾という場面における学習カウンセリングー本音の学習カウンセリングーを実践する目的において、一人ひとりのライフスタイルを創出するための「ライフスタイルの哲学的なコンサルティング」なしでは、確かな方向性が探りにくくなってきた。という以上がこれから学習塾が向かうであろうと思われる方向である。学習塾は「一斉授業型」から「個別指導型」へとシフトしていき、その中で生徒にあった学習法を提供していくようになるということである。未来の学習塾は、確実に現代の「塾」のイメージとは違ったものになることが予想される。

第3節 考察

 これからの子供たちの状況について学校側からと塾側からの二方向からみてきた。学習塾というものは学校の補完機関であるので、現代の学歴社会が是正されたとしてもその存在というのは消えることはないと思われる。確かに学歴社会における「受験」に打ち勝つテクニックだけを与えてきた塾は存在が危ういかもしれないが、補完に徹している限りは大丈夫であろう。第2節でもみた通りこれからの塾は焦点を個人へと向けているので、これからは今までのイメージと違った塾が存在していくことになることが予想される。学校にしても、塾にしてもキーワードにしているものは「個」であることがよく分かるが、ここで私が思うことはこれが子供たち自身が望んでいる方向、つまり「楽しい」と思える方向なのかということである。私のこの卒業論文では焦点を「子どもたちは何を楽しいと思っているのか」ということにあててきた。それは子供たちが「楽しい」と思える場所こそ子供たちが望んでいる居場所であると考えたからである。学校にも塾にも共通する要素として分析から出た結果は、子供達が楽しいと思える必要条件は「一緒にいて楽である友人関係」であるということであった。友人関係とはいろいろなことを一緒に経験していくことでできあがるものではないだろうか。学校に関しても、塾に関しても子供たちの友人関係というものをもっと考えてみてほしい。「個」を尊重しすぎるばかりに子供たちの友人との居場所を少なくしてしまうことだけは避けてほしいと願うばかりである。
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