「なぜ子どもたちは学習塾に通うのか」
−サロン説の検証−


 この卒論では「なぜ子どもたちは学習塾に通うのか」ということを明らかにすることを目的としている。通塾している中学生対象のアンケートを行い、その結果を分析することでそのことについての考察を行った。
 まずはこの卒業論文の章だての説明をしておく。第1章では、「学習塾」というものの定義・分類・そして学習塾が発展してきた経路(1960〜1980年代)についてみた。第2章では1995年後半からの学習塾の現状、自分の仮説のもとになった説の紹介を行った。第3章では質問紙調査の概要の説明・そして調査結果の分析を行った。第4章では第3章の結果からさらにもう一歩踏み込んだ分析を行った。そして第5章が総括である。
ここでは第3章・第4章の説明を主に行う。

(1)サロン説の紹介

まずは私の持つ仮説のもとになった説の紹介をしておこうと思う。
 これは「学習塾のまじめな話」(小宮山博仁(注5)・1992・新評社)のなかで述べられているものである。この説によると、学習塾が増えたから一人遊びの子どもが増えたのではなく、逆に一人遊びの子どもが増えたため、学習塾に行くようになったのだという。どこそこの有名塾に一時間もかけて通うより、15分以内で通うことのできる学習塾を選ぶ子どもが圧倒的なことを考えると、学習塾を友達関係を重視したサロン的なもの、と考えて通塾している生徒が、かなりいることを示唆しているのではないか。受験のみの進学塾は別として、補習塾や総合塾に通っている大部分の子どもは、勉強をするだけの目的でそこに通っているわけではない。勉強もするが、その学習塾で新しい友達を見つけるのも、子ども達にとっては楽しみの一つなのだ。学校と違った雰囲気、個別的に教えてくれる魅力、友達と一緒に勉強できる喜びなど、さまざまな理由や目的で、毎週決められた曜日に学習塾通う子供たちが多いのである。友達と一緒に勉強できるところ、休み時間にいろいろな情報交換をするところ、それが今の学習塾のもう一つの顔といってもよい。昔に比べて現在は、子ども達の遊び場が少なくなったといわれている。昔なら地域社会の中で、集団での遊びや学習を行っていたが、現在はその地域社会(共同体といってもよい)のなす役割が低下してきている。共同体が崩壊してきたため、子どもの行き場がなくなってきたともいえよう。その代役を学習塾が引き受けていると言ったら、大げさであろうか。しかし現実として、地域社会の子どもを取り込んでいる組織の一つとして、学習塾があるのが現実と思わなくてはならない。以上が「サロン説」である。このサロン説をもとに私は
 「私自身の経験や塾の講師をしていた経験から考えると、子供達にとって塾は勉強する場所であるとともに、友人とのコミュニケーションの場であったり、学校や家庭とは違った「楽しい場所」であるように思う。そして、子どもが通塾を続ける要因は後者の方、つまり勉強以外の要因が大きいのではないかと考えられる。
という仮説を立てて、調査結果の分析に入った。

(2)子どもたちが通塾する理由について

 第3章では質問紙の中の問27「これからも通塾を続けるかどうか」を中心として、この設問と関連のあるものを調べていった。すると、「子どもたちが通塾を続ける理由に影響を与えるもの」として
@高校受験A学歴意識B成績上昇度C友人D「楽しい」という感情
の5つがあげられることがわかった。@からCに関しては関連の強さ(Cramer’V)は0.2程度であり、そこそこの関連の強さがあると考えられる。そして、Dに関してはCramer’Vが0.3という、強い関連があるという結果が出た。つまり、この5つの中でも「楽しい」という感情が通塾に与える影響というものは大きいということがわかったのである。次に問題になるのは、「何が楽しいのか」ということである。この質問紙の中にそのことを直接尋ねる質問は設けていなかった。そのためこのことについてもっと詳しく分析する必要が出てきた。第4章ではこのことについて述べている。

(3)「子どもたちは何が楽しいのか」に関する分析

 この「楽しい」の原因について、まずは自分の経験に基づいての分析を行なった。

[1]授業以外の時間

 これは自分自身が通塾をしていた時に一番「楽しい」と感じた時間が授業以外であったという経験に基づいている。ここでは「授業以外で塾にいることはありますか」という質問を使って分析してみた。この結果は私の予想とは違い、子供達は授業以外で塾にいることはほとんどない、というものになった。

[2]講師との関係

 これも自分の経験からであるが、塾の講師とは学校の先生とは違う関係が築けることが多いのではないかと考えて分析してみた。ここでは問31の「次の項目はあなたにとって「塾の先生」・「学校の先生」どちらにあてはまりますか」という質問に対しての生徒の答えを見てみると、「塾の先生」という回答に偏ったのは「質問をする」という項目だけであった。つまり、「質問をする」以外の話をすることはあまりないという結果になった。講師との関係も私が経験してきたものとは違うことがわかった。
 ここで第2章で紹介した「サロン説」との関わりを考えてみようと思う。

[3]サロン説との関わり

このサロン説でポイントになっていることは
(1)地域に根ざしていること
(2)友人関係との関わり
の2点であった。これらをそれぞれ検証していくという形をとって分析した。
(1)これに関しては「塾にいくまでにかかる時間」を尋ねた質問を使い、塾が10分以内で通うことのできる範囲にあることがほとんどであり、使う交通手段は「自転車」であることが多いという結果が出た。つまりこの調査における学習塾は子供たちの住んでいる地域内にあるといえるのではないかと考えられる。
(2)このことに関しては、「友人がいるかどうか」ということよりも「友人とどのような付き合い方をしているか」ということが「楽しい」という感情に影響を与えているのではないかと考えた。そこで問30の「次の項目はあなたにとって「塾の友達」・「学校の友達」どちらにあてはまりますか」という質問を使って分析を試みた。(選択肢は「学校の友達」・「塾の友達」・「どちらでもない」・「両方」の4つ。)この結果を見てみると、「塾の友達」と答えた生徒数が大変少なかった。これは塾が地域に根ざしたものであるがゆえに、「塾の友達」と「学校の友達」が同じメンバーになっているのではないかと考えられる。そこで少し加工することにした。ここで「両方」と答えた生徒達に注目し、彼らが「両方」と答えたということは「塾の友達」と呼べる友人関係を持っていると判断したのである。そしてこの加工した問30と問26「塾をどう思うか」のクロスをとった。その結果5%水準で有意だったものを紹介する。(別紙)
 つまり、このような友人関係を塾の中で持つことができる生徒は塾を「楽しい」と感じているのである。友人関係以外で生徒が「楽しい」と感じることはないのだろうか。問26との関連があるものを見ていくと、問24と問25の2つが出てきた。問24は「塾に行って学校の成績はあがったか」、問25は「塾に行って勉強は面白くなったか」という質問である。
 問24に関しては成績が「大変上がった」生徒ほど塾を「楽しい」と感じる傾向があるということがわかる。つまり、成績が上がることは塾を楽しいと感じる大きな要因になっているのである。
 問25に関しては「勉強が前よりも面白くなった」と答えた生徒は塾が楽しいと感じているという結果がでた。ということは勉強に関することもいわゆる「塾に来て成果が上がった生徒」にとっては「塾を楽しい」と感じる要因になっているのである。
 つまり、塾というのは「勉強をするためにいっている」場であると同時に「一緒にいて楽である友人関係がある」場が存在しているでもあるのである。そしてそれは地方の塾に置いていえば、地域に根ざしていることが必要である。これで小宮山氏のサロン説を社会学的に検証したことになると思う。つまり塾にはサロン的な要素があると考えることができる。しかし、これは学校も同じ事がいえる場所ではないのだろうか。塾で感じる「楽しい」という感情は学校で感じるものとは違うのだろうか。このことについてもう少し考察を行なう。

(4)考察−学校との比較−

 では塾と学校はどう違うのか、その中の何が子供達に塾を「楽しい」と思わせているのかをここで考えようと思う。ここからは私の分析に基づいての推論を述べる。塾と学校両方がもつ要素について整理すると

<1>勉強をする場所
<2>一緒にいて楽である友人関係がある場所

の2つになる。この2つの要素を子供たちがどう捉えているかを見ていく。まず、<2>の友人関係というのは先ほど問30の説明の時にも少し言及したのだが、「塾の友達」と「学校の友達」というのはほとんど同じメンバーであることが多く、「塾だけの友達」という関係はあまりないと言える。これは塾が「地域に根ざしている」ものであればあるほど、その傾向は強いといえる。ということは<2>はどちらにも存在するものであり、大きな違いを生むことはないと考えられる。むしろ<1>に関することの方が「楽しい」という感情に影響を与えているのではないかと考えられる。ここでは<1>に関する両者の捉え方に注目してみる。
 まずは学校の現状を考えてみると「個性」を重視した教育改革を行い、現代の学歴偏主義社会を是正しようという方向に向かっている。つまり学校には「勉強を重視しない雰囲気」があるのではないだろうか、と考えることができる。それに対して塾は「勉強すること」を目的とした場所である。子供達にとって塾は勉強・成績に関しての自分の感情(成績あがってうれしい、勉強がわからないなど)を抑えることなく、出せる場所であり、そしてそのことを評価してくれる場所でもあるといえるのではないかと考えられる。
 子供達にとって「何が楽しいか」ということをまとめると、<2>の「一緒にいて楽である友人関係」というのは学校・塾どちらでも得られるものである。つまりここでいう「楽しい」という感情の「必要条件」であると言える。しかし<1>に関しては、学校においてそのことはあまり重視しないようにするという現状があり、クラスという色々な個性・レベルをもつ仲間たちの集団の中で勉強についてはあまり話さない、もしくは話すことは抑制されているような雰囲気があるように思われる。それに対し塾では、「勉強について話すことができ、勉強ができることを認めてもらえる」という学校ではできない、味わえない楽しみというものが存在しているのではないかと考えられる。そして、このことが塾をさらに楽しいと思わせる「十分条件」になっているのではないかと考えることができる。