ここでは「何が楽しいか」についてその要因であると思われるものをいくつか挙げながら分析をしようと思う。

[1]授業以外の時間ー自分の経験よりー

 ここでは、まず自分の経験をもとにして考えてみようと思う。私の通塾体験や塾の講師をしていた経験から「何が楽しいのか」を考えてみると、ここで出てくるのは「友達の影響」である。私が中学校時代に通塾していて楽しかったことは、友達と過ごす休み時間や授業が終わってから先生と話をすることや塾までの行き帰りであった。そのため、授業が終わってすぐに帰るということはなく、塾によく残っていたものだった。私が塾の講師を始めた頃も、生徒が授業が終わっても帰らずに友達と話したり、先生に質問したりという光景はよく見たものだった。また授業の前後に自習している姿もよく見たものだった。これは特に受験前によくみた光景なので一概にはそうだとは言えないが、授業以外の時間というのは友達とまたは先生とコミュニケーションをとることのできる時間であること、先生に質問しやすい時間であることは事実であると思う。そのように考えていたのでこのアンケートの中で問23「授業以外で塾にいることはありますか」という質問をした。私は「はい」という解答の方が多いと考えていたのだが、結果は「はい」が18.5%、「いいえ」が81.5%という私の予想と全く逆のものだった。(図4−1)

ここでこの問23と問26の「塾をどう思いますか」のクロス表をとってみた。(表4−1)

ここからはこの2つが関連を持っていないことが読み取れる。つまり、授業以外の時間というものは、塾を「楽しい」ものにする効果は持っていないようである。

[2]講師との関係

 そして塾の講師との関係に関してを問31を通して見てみた。(表4−2)

この質問は「もとからの塾生」のみに向けられたものであるので解答数が100%に満たないものが多くはいっている。この問31は(1)〜(8)までの質問項目が「塾の先生」・「学校の先生」のどちらにあたるかを尋ねたものである。この結果、(8)の「質問をする」が「塾の先生」にあてはまったのみで、後の項目は「どちらでもない」になるということであった。つまり、「先生」という立場の人とはあまり話をせず、質問する時は時間が十分に取れる塾の先生にする、という利害関係のはっきりした先生との関係がここから読み取れる。

[3]サロン説との関わり

 私の経験と違うのは時代や塾の形態を考えてみれば当然のことかもしれない。ここで第2章の2節で紹介したサロン説を思い出し、子供たちにとって塾がサロンである、ということを考慮にいれて分析してみよう。第2章の第2節でも述べたが、このサロン説は少々いきすぎていると思うところがある。ここでその点を検証してみようと思う。

{1}地域に根ざしていること

 小宮山氏の主張の中にあった「どこそこの有名塾に一時間もかけて通うより、15分以内で通うことのできる学習塾を選ぶ子どもが圧倒的なことを考えると、学習塾を友達関係を重視したサロン的なもの、と考えて通塾している生徒が、かなりいることを示唆しているのではないか」という点について考えてみようと思う。まず、通塾にかかる時間と使う交通手段をみてみる。交通手段については問21で、かかる時間については問22で聞いている。その結果は問21に関しては、一番多かったのが「自転車で」で51.8%であった。これは生徒自身で行動できる範囲の中に塾があること示しているように思われる。あとの結果は「自家用車で」が38.8%、「歩いて」が6.5%というものであった。「自家用車で」というのは塾の終わる時間が比較的遅いため、家が近くても親が迎えにくるということも多いようである。(図4−2)

問22に関しては、「〜10分」が80.5%、「10〜20分」が14.8%、「20〜30分」が4.7%であった。(図4−3)

これもやはり生徒が行動できる範囲に塾があることを示していると思われる。つまり「地域社会に根ざしている」と言うことができる。しかし、これだけで「学習塾は友達関係を重視したサロン的なもの」と考えるのは強引なような気がする。

{2}友人関係との関わり

 学習塾が「サロン的」なものであることを証明するためには、学習塾で友人達と交流を図ることを楽しいと感じているかどうかを考えればよいと私は考えた。そこでまず、問29の「学習塾に仲のよい友達がいるかどうか」と問26の「塾をどう思うか」というクロス表をとってみた。(表4−3)

この結果、この2つの質問の間に関連は見られたのだが、5%水準で有意ではなかった。これにはいくつかの説明が必要である。まず、この問29の結果が「はい」が92.3%、「いいえ」が7.7%という極端に一方に解答が偏ったものであったことが問題なのである。こういうクロス表の分析の場合、偏った結果をもった質問を使うとクロス表が正確に出ないことが多いのである。しかし、5%水準で有意でなかったのは事実であるのでこの結果は使えないということになる。
 そこで、他の設問を使って証明を試みようと思う。「友達がいるかいないか」ということだけが「楽しい」という感情に関連するのではなく、友達との付き合い方が問題になるのかもしれないので、ここで問30を使って分析をしてみようと思う。問30は8つの項目に対し、それは「学校の友達」・「塾の友達」・「どちらでもない」・「両方」のどれにあたるかを答えてもらう質問である。この質問の意図は「学校の友達」・「塾の友達」はそれぞれ子供たちにとって違った意味を持つのか、つまり話す内容に違いなどはあるのかということを調べるということであった。ここで問30の単純集計を見てみると、「塾の友達」と答えた生徒数が大変少なかったという結果になった。これは塾での友達が学校の友達でもあることが多いことに関係しているのであろう。このままで塾の友達・学校の友達の比較をすると、正確なデータがでない確率が高いので、少し加工することにした。「両方」と答えた生徒たちに注目し、彼らが「両方」と答えたということは「塾の友達」と呼べる友人関係をもっていると判断した。そして問30の解答を「塾の友達・両方」と「学校の友達」の2つに分けて分析を行なうことにした。そして問26に関しても、5段階だった質問を、1「たいへん楽しい」・2「どちらかといえば楽しい」・3「楽しいとは感じない」の3段階に加工した。この加工した問30と問26でクロスをとってみた結果は後に示す。ここでは5%水準で有意だったものを紹介する。
(1)問30x1「よく勉強の話をする」(表4−4)

(2)問30x4「よく趣味の話をする」(表4−5)

(3)問30x6「自分の悩みを相談する」(表4−6)

(4)問30x8「一緒にいて楽である」(表4−7)

(5)問30x9「一緒に遊ぶ」(表4−8)

以上の5つは「楽しい」という感情に影響を与えていると考えられる。この中でも特に関連が強かった(1)・(2)・(4)に注目して述べようと思う。
 (1)に関しては、塾に来ている子供達であるので勉強に関心のあるのは当然であると考えることができる。学校のクラスや友達というのは学力が違うことがあるので、同じくらいの成績の仲間たちと話ができるというのは楽しいことだということができるかもしれない。
 そして(2)に関してだが、「趣味」というと少々堅いイメージがするかもしれないが、中学生にとっては「趣味」とは「勉強以外で関心があること」と捉えてよいと思う。中学生にとって楽しい時間というのは、こういうことを話し合ったり、一緒に遊んだりすることだと思う。学校だけでなく、塾においてもそういう時間をもてる子どもが「塾を楽しい」と感じているのだから、塾はそういう「場」を子どもに提供していると考えることができると思う。
 (4)に関しては、「楽である」の意味が問題になってくる。(2)では勉強以外のことを話す友人関係が楽しいと考えていると述べた。つまりそういう友人関係の中にいて、勉強から解放される・勉強を忘れられることを「楽である」というように考えていると捉えてもよいのではないだろうか。これだと、「勉強することは楽しくないのか」という疑問にぶつかる。そこで、問24「塾に行って学校の成績はあがったか」、問25「塾に行って勉強は面白くなったか」という質問と問26でクロスをとってみた。すると、問24は5%水準で、問25は1%水準で有意であった。結果は後に示す。
 この結果をみてみると、問24に関して言うと成績が「大変上がった」生徒に関しては塾を「楽しい」と感じていることが読み取れる。これはそれ以外の生徒と比べるとかなりはっきりとその違いが出ている。つまり、成績が上がることは塾を楽しいと感じる大きな要因になっているのである。(表4−9)
 問25に関しては「勉強が前よりも面白くなった」と答えた生徒は塾が楽しいと感じているという結果がでた。ということは勉強に関することもいわゆる「塾に来て成果が上がった生徒」にとっては「塾を楽しい」と感じる要因になっているのである。(表4ー10)つまり、塾というのは「勉強をするためにいっている」場であると同時に「一緒にいて楽である友人関係がある」場が存在しているでもあるのである。そしてそれは地方の塾に置いていえば、地域に根ざしていることが必要である。これで小宮山氏のサロン説を社会学的に検証したことになると思う。つまり塾にはサロン的な要素があると考えることができる。しかし、これは学校も同じ事がいえる場所ではないのだろうか。塾で感じる「楽しい」という感情は学校で感じるものとは違うのだろうか。この点についてもう少し考えを進めようと思う。

[4]考察ー学校との比較

 では塾と学校はどう違うのか、その中の何が子供達に塾を「楽しい」と思わせているのかをここで考えようと思う。ここからは私の分析に基づいての推論を述べる。塾と学校両方がもつ要素について整理すると

<1>勉強をする場所
<2>一緒にいて楽である友人関係がある場所

の2つになる。この2つの要素を子供たちがどう捉えているかを見ていく。まず、<2>の友人関係というのは先ほど問30の説明の時にも少し言及したのだが、「塾の友達」と「学校の友達」というのはほとんど同じメンバーであることが多く、「塾だけの友達」という関係はあまりないと言える。これは塾が「地域に根ざしている」ものであればあるほど、その傾向は強いといえる。ということは<2>はどちらにも存在するものであり、大きな違いを生むことはないと考えられる。むしろ<1>に関することの方が「楽しい」という感情に影響を与えているのではないかと考えられる。ここでは<1>に関する両者の捉え方に注目してみる。
 まずは学校について見ていく。現代の学校について考えると、「ゆとり」や「個性」そして「生きる力の育成」などをキーワードにした教育改革を行っているという現状がある。そのことを表わす資料としてここでは中央教育審議会(注6)が97年の6月に発表した答申「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」を紹介しようと思う。この資料を細かく見ながら、現代の学校教育というものを考えようと思う。ここでは中学生に関係があるものだけを取り上げる。
 まず、この資料の柱となっている考えは「生徒一人一人の個性や適性・能力の尊重」ということである。このことの背景には現代教育が「教育の平等性」を求めすぎていることが挙げられる。資料中では「教育の形式的な平等の重視から個性の尊重への転換ー学校間接続の改善」と表現して、そのことについて述べている。つまり、今までは学校というのは「勉強・成績」という単一の尺度で子供達をみてきたが、これからは子供達の持っている「個性」を大切にしていくことで当然評価の仕方も変えていこうというのである。そして具体的には
[1]大学・高等学校の入学者選抜の改善
[2]中高一貫教育
[3]教育上の例外措置
の3点をあげている。この[1]では改善の方向や具体案、そして学(校)歴偏重社会の問題点について述べられている。ここでも中・高校間のハードルを低くすること、選抜方法や評価方法の転換についてが説明されている。[2]の中高一貫教育もその一環と捉えることができる。そして[3]は(1)一人ひとりの能力、適性に応じた教育の様々な取り組みと学習の進度の遅い子どもへの配慮(2)特定の分野について優れた能力や意欲を有する生徒に対する多様な教育機会の充実、などが挙げられている。ここまで見てきて思うことは学校は勉強以外を重視する傾向にあるということと、これらを21世紀に展望しているのだから現状はまだ平等性を求めた教育を行なっているのであるということである。つまり、現代の子供達は、勉強以外を重視しようとする学校のなかで勉強しなければならないという矛盾の中にいるのである。そしてクラスといういろんな個性を持った子供達の集まりの中で大半の時間を過ごす。いろんな個性をもつこどもがいるわけだから、成績のレベルも当然一定ではないのが普通である。その中でも先生は「平等性」を求めると思われる。そのような環境のなかでは勉強や成績の話題は避けられがちになる。先生もそのことについてはおおっぴらには認めてくれないのではないだろうか。つまり学校という場所は@に関することでいうと、「勉強する場所」ではあるのだが、そのことへの評価はあまりされない、しないように抑制されていると考えられるのではないのだろうか。そしてその雰囲気は生徒たちにも伝わり、生徒たち自身もそのことについて話さないようにすることが暗黙の了解になっていると考えられる。
 ここで、塾についてもあわせて考えようと思う。塾というのはそもそも「勉強すること」を目的とした場所である。なので、この場所ではわからなければ「わからない」と言えばいいし、わからなかったところを理解することができればそのことを素直に喜んでよい場所であり、わかったことを認めてくれる場所でもあるのである。その結果成績が上がったとすればそのことも喜び、認めてもらうこともできる。今回調査を行なった学習塾でも能力別クラス編成が実施されている。自分の成績があがれば、クラスもワンランクアップするなど評価がわかりやすいのも塾の特徴のひとつである。つまり、塾というのは勉強・成績に関しての自分の感情(成績があがってうれしい、勉強がわからないなど)を抑えることなく出せる場所であり、そしてそのことを認めてくれる、評価してくれる場所でもあるといえるのではないだろうか。
 子供達にとって「何が楽しいか」ということをまとめると、<2>の「一緒にいて楽である友人関係」というのは学校・塾どちらでも得られるものである。つまりここでいう「楽しい」という感情の「必要条件」であると言える。しかし<1>に関しては、学校においてそのことはあまり重視しないようにするという現状があり、クラスという色々な個性・レベルをもつ仲間たちの集団の中で勉強についてはあまり話さない、もしくは話すことは抑制されているような雰囲気があるように思われる。それに対し塾では、「勉強について話すことができ、勉強ができることを認めてもらえる」という学校ではできない、味わえない楽しみというものが存在しているのではないかと考えられる。そして、このことが塾をさらに楽しいと思わせる「十分条件」になっているのではないかと考えることができる。
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