序章

 現代の環境破壊は、地球温暖化、オゾン層の破壊、酸性雨、有害な化学物質による環境汚染、自然環境の荒廃と生物多様性の喪失など多岐に及び、各地で「自然を守る」運動が盛んに繰り広げられている。「自然を守る」運動の数は、十数年前から急激に伸び、賛同する人々の増加に伴い,エコロジーの思想や省エネが人々の生活にも入り込んできている。地球環境の悪化は、新しく人間の文化革命を引き起こす可能性も十分にありうるのだ。ヨーロッパでは、森を大切にしている理由は、次のようなことも理由の一つである。「我々は文化興亡の歴史を教訓にしている。古代ギリシャに始まり、ローマ、ベネチア、スペインと引きつがれ、、1500年の長きにわたって我が世の春を謳歌した地中海文化も、人々が背後の森を滅ぼしつつ山地から足を洗い、質実な生活に別れを告げ、黄金、万能、安逸華美な社会生活に溺れるに及んで、活力を失い落日の時を迎えるに至った。我々はその歴史的な事実に鑑み、森を大切にしている。」
 「自然を守る」と言うとき、「守る」対象は自然環境であり対象ははっきりとしている。しかし、自然環境を具体的にどのように「守る」か、という守りかたについて考えはじめると、その置かれている条件によっては、根底にある原理の問題に帰っていかざるをえない課題を抱えている。また、自然が破壊され、人間にその反動が帰って来るようになって、「守る」ような自然とは何かにつていも考えざるをえない。人間が自然を意識しはじめてから、人間は自然の「隔離」と「利用」を行なって関わってきたと言える。「自然を守る」運動は今では、一般に自然保護運動と呼ばれ、対象や地域にあった独特の理念を持ちの多彩な運動を展開している。自然保護運動は人間から自然の「隔離」を行なうことによって対象化された自然を「守る」運動である。そして、「隔離」の対極的なものが自然の「利用」であり、自然保護運動の標的となることが多い。
 一般に、自然保護運動は「隔離」を目指しているが、金沢市所在の「里山トラスト」は自然の「利用」を目指した運動である。「隔離」を目指す運動と比較しながら、「里山トラスト」を参考にして「利用」を目指す運動について論じてみたい。この論文では自然の「隔離」と「利用」を考えると同時に自然の価値を見直して、自然保護運動を考えていこうというものである。それには、自然保護の観点からの「隔離」と「利用」の理解が必要となる。

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