第四章 「利用」を目指す運動


(1)調査の方法

 里山トラストは、全国各地に散らばる反対運動の側面と自然の「利用」をめざす共生の側面を持って運営している。反対運動の側面は自然の「利用」を目指す側面に比べて弱く、概要に見られるように、「市民意識の高揚」が里山トラストの活動内容なのである。里山トラストは運動の中で自然と人間の関係の「利用」の面をだして活動を展開している。そこで、「利用」の側からみた自然保護とはどういうことかを里山トラストの事例を紹介しながら考えていきたい。
 里山トラストを調査する上で、季刊紙である里山トラスト・ニュース及び、関係者の好意により得たまたは閲覧した資料を参考にし、実際には、里山トラスト発足の呼びかけ人の一人であり、里山トラスト事務局員の一人でもあるYさんと行動をともにすることにより得た情報を参考にすることにした。Yさんは、里山で生活しており、Yさん宅には、里山トラスト会員・関係者や里山生活者がよく訪れ、より多くの人から話しを聞くことができ、里山トラストのことを知る手助けとなった部分も多い。

(2)里山トラストの詳細

 石川県金沢市夕日寺でのゴルフ場建設を期に1990年一月に発足した金沢市所在の団体である。目的を「誰もが自由に森林浴、バードウォッチングなど自由探索ができると同時に、蘇生力ゆたかな特性を生かし、炭焼や木工など、個々の人達がそれぞれの個性にあわせて働きかけることのできる豊かな里山の保全整備を里山の所有者や里山を愛する人達と共に目指す。」(里山トラスト設立趣意書から)としている。里山トラストという名前についてであるが、第四章でも述べたような他のナショナル・トラストのようなトラスト団体とは異なっているということを特に強調したい。では、何故、トラストという言葉を使うかは、Yさんによれば、「お互いが連帯し信頼しあって、自然とふれあっていくと言う意味を求めて」であり、「ナショナル・トラスト」との区別のために「里山トラスト」にしたと言っている。「トラスト」を使ったもう一つの意味は、宣伝である。「トラスト」という愛着のある言葉を団体の名前として使うことにより、先ほど紹介した「トトロの森基金」と同じような効果を生んだといえる。
 里山トラストは、専従のスタッフをおかず、ボランティアの事務局員で構成する。発足当時から、事務局員の変動があり、事務局員の数は多い時で13名、現在は7名である。事務局員は30代〜50代で、職業も多彩であり、公務員、主婦、大学教員、植木屋等で、里山生活者、都市生活者がともに参加しているが、ほとんどが都市生活者であり自然と生活的には「切れている」タイプの人々が多い。事務局員は、独立した子団体である各トラストの代表的な立場である場合が多い。
 里山トラスト自体の活動としては、各地開発の状況に応じて生まれる各トラストの資金募集等、運営の支援活動など、各地トラストの情報センター機能を担い、土地提供者の発掘、情報の収集、山間地ネットワークの充実や地域特性に対応したトラスト契約の研究などすすめている。また、市民や会員に里山、各種イベントの開催、年約三回の季刊紙「里山トラストニュース」(1998現在まで24紙発行)の発行するなど市民や会員と里山との橋渡しを行っている。イベントは、春、夏、秋に目的に春山祭、野営祭、収穫祭を里山と実践的に関わることを目的に開催され、参加人数で多いときは、のべ 300名近くにもなるほどであった。他には、消え去ろうとしている山村・民俗文化の上映会を開催するなど、民俗映画研究会との連帯もみられる。発足当時は、全国25都道府県から 283名で、年々会員数は増加の傾向にあったが、今現在は会員数は事務局員も把握していないのが現状である。
 里山トラストの構造を「里山トラストのしくみ」(注8)で示しているように、里山トラストは各トラストの情報機関でもある。各トラストは、それぞれ独自に活動しており、独立採算制をとっている。現在あるトラストは、貴重な動植物の保全を目的とした是完全な現状維持タイプ、市民が自由に立ち入り山菜や木の実などの採集を楽しむタイプ、薪・炭など立木の積極的利用タイプ、市民のレジャー、学習を目的としたタイプなどがある。各トラストは里山トラストで言うトラスト契約を結び、各々の活動場所となる里山を賃貸もしくは購入、立木伐採などの利用権の取得を行っている。
 新しい社会運動の特徴ともいえる他の住民運動団体とネットワークが形成している。事務局員は、他の団体や市民グループの会議、イベントに参加など、団体としてのネットワークだけじゃなく、個人間のつながりも形成している。ゴルフ場建設に伴う地域に応じた連帯、廃校となった校舎の利用について自治体へ働きかけるなども行っている。団体は存在しているが、現在の活動はもはやされていないに等しく、年三回の季刊紙も今年(1997年)は一回しか発行されてはおらず、また毎年恒例の春山祭、野営祭、収穫祭などの各種イベントも行われていない。事務局員の方の話しによれば、解散する意向である。
 里山トラストは平成七年度版の国際NGO年鑑にも紹介されている。国際NGO年鑑には、各団体についての情報が簡潔に書かれている。そこでの紹介も記載しておくことにする。団体目的は「環境保全が主目的」とあり、活動目的は「自然環境保全」となっている。活動形態は「実践」活動地域は「同一都道府県の区域内」となっている。概要は、「身近な自然、里山の魅力を知ってもらうため、その良さを身を持って体験できるイベント等を企画し、ゴルフ場建設等の乱開発を未然に防ぐ市民意識の高揚」とある(1995、P568、(財)日本環境協会編)。第四章でふれた市民の啓蒙を目的としている点においてはシビック・トラストに近いが、シビック・トラストにおいては自然を「利用」していくという概念がない。

(3)反対運動的側面の意義

 1989年、リゾート法の制定以来、地域活性化という題目のもと企業のレジャー・娯楽施設の建設ラッシュが始まり、全国で自然への悪影響を訴える反対運動の渦が巻き起こるようになる。1990年、里山トラストの発足の直接の原因となったのは、石川県金沢市夕日寺にゴルフ場建設計画があがったことにある。里山トラスト詳細のところでも述べたが、概要によると、「市民意識の高揚」「啓蒙活動」とある(1995、P568、(財)日本環境協会編)。また、里山トラスト設立趣意書を見ても、直接の発足の原因となった夕日寺のゴルフ場問題については言及していない。Yさんによれば「目に見えるものとして、里山トラストをおきたかった。」という。里山トラストの存在を目に見える圧力団体として、アピールしておく必要があったのだ。Yさんは、このことを「宣伝」と言う言葉で現わしている。そこで、里山トラストの反対運動的側面について考えてみたい。
 夕日寺のゴルフ場問題が上がると同時に、いくつかの反対運動団体が列挙したが、各団体は、独特の規範、思想、ゴルフ場建設への根本的問題をもち、政治的な利害関係もあり、対立することになった。対立は一種の派閥を形成して独自に活動を展開することになり運動同士の衝突も起るようになる。このような中では、個人の意見は十分に扱われることが難しくなるものである。里山トラストの発足はそのような時期であった。Yさんによれば、里山トラストの活動内容を説くことにより、対立している団体の各々をそれぞれ会員に引き込んだとのことである。里山トラストへの参加は、自分たちが所属している団体の意見として語るのではなく、里山トラスト内での個人の意見として語ることができるようになる。その後、里山トラストなどが中心になって「石川県ゴルフ場問題連絡協議会」を発足させるに至る。各運動同士の情報交換・討議の包括的な自由な場を儲ける必要があった。現在、夕日寺においては、ゴルフ場は建設され営業が始まっている。しかし、金沢市がゴルフ場の新増設凍結を発し、「県下の反対運動が高まり、規制強化を勝ち得たといえるだろう。石川県ゴルフ場問題連絡会が果たした役割が大きかったと思う。」(1994、p4、里山トラスト事務局)といい、里山トラストでは、連絡会に対しては、大きく評価している面がある。
 Yさんは、「里山トラストにも、圧力団体としての要素はある。」と言っている。発足がそうであったように圧力団体としての要素とは、反対運動の側面についてである。そのことに関して、朝日寺のゴルフ場問題が一応の解決を見せたあとでも、「里山トラスト・ニュース」では、シリーズをくんで、石川県のゴルフ場問題について報告し、(里山トラスト・ニュース11号〜16号)また、ダム建設反対(同15号〜16号)、空港建設反対(同、20号)などの報告など目立ち、圧力団体としての側面をもっていたいう里山トラストの反対対象の粗探しのように思えるが、Yさんによれば、他の団体に頼まれて季刊紙に記事を載せていたことである。、同じ思い共有する仲間をほしかったからであろう。も実施していたことになる。実際、「里山トラスト・ニュース」の記事をみて、他の団体に入会した例もあるほどである(1994、P103〜P104、山田編)。このような方法により他の団体とのネットワークを広げ、里山トラストは発展していくことになる。
 このようなことから、里山トラストの圧力団体としての性格は、他の自然保護運動と同じように人々の意識の中に容易に入り込むことを可能にさせ、他の自然保護団体との連帯を可能にさせた。また、時流にのった発足により、当時起っていた運動同士の衝突からの人々の吸収も結果的には運動の拡大へとつながった。しかし、Yさんは、圧力団体の要素はあるが、「圧力団体にはならない。」と言い、圧力団体になることの無意味さを述べている。圧力団体としての存在は、同じ人間の中に線を引くことになるからだ。また、広く人々に知られているトラストという言葉を使うことにより、団体の拡大を狙ったことがあげられる。このように考えると里山トラストの反対運動としての側面は、実に「宣伝」ための意味合いが強いと言える。目的を人々の啓蒙にあるとして運動を展開していることからも十分にうかがえる。反対運動としての側面は、顕在的には反対運動をしているように思えるが、潜在的には、既存の団体との連帯を目指し、人々の意識の中への里山トラストの存在を大きく求めることにある。もし、反対運動としての側面を持たなければ、運動のネットワーク形成や拡大は難しかったのではないであろうか。

(4)里山トラストに見る自然保護観

 里山トラストでは、自らの団体を「自然保護団体」とは違う位置づけを行いその点を強調している。しかし、他団体として紹介される時は、「自然保護団体」として紹介されるしか方法がない。そのことに関して、Yさんは、「問題は中身であるため、どのように呼ばれていてもかまわない。」言う。「自然保護」という言葉自体には何も意味もなく、中には、その言葉を嫌う人もいるぐらいである(1993、里山トラスト事務局)。代表者でもあったTさんは、里山トラスト・ニュースの中で、自然保護というのは、乱開発に歯止めをかける役割を持っているものが実はそうならず、貴重な自然を保護対象とする変わりに、里山のような平凡な空間は開発を許可すると言った自然保護者もおり、「自然保護は開発を裏から支えている。」と批判している面もみられる(1994、里山トラスト事務局員)。また、ゴルフ場建設には、@大規模開発、A使用者限定、B農薬の問題の三つの問題があるという。この三つが里山トラストがゴルフ場に反対する理由である。@、Bに対する問題は他の自然保護運動にも見られ批判の対象となりがちであるが、本来ならば、皆に親しまれてきた里山が、会員制に伴う利用者の限定により、会員以外は排除される一種の‘囲い込み’が行われるAような問題は里山トラスト独特の問題であり、共生的な「利用」から反共生的な「利用」への不合理な転換を問題にしている。「ゴルフ場開発の問題点として農薬問題のみがクローズアップされ過ぎ、森林および里山開発における諸問題に対する徹底的な議論までに至らなかったことに物足りなさを禁じえない。」(1990、p9、里山トラスト事務局)との記事にもある通り、「利用」の側面についての議論の必要性を説くなど独自の見解を示しているのがわかる。
 このようなことを念頭に置けば、里山トラストは、往来の自然保護団体に見られない独自の自然観を持って運動を展開していると思われる。そこで、里山トラストの自然観がどういうものであるかを述べてみたい。里山トラストは「国立公園や貴重な動植物の保護、伝統産業の振興といった誰もが認めるものについては高い関心と支援が集る一方で、最も身近にある『自然』である里山についてはなかなか理解が得られず、乱開発の脅威にさらされ」(里山トラスト設立趣意書)ることに対して異を唱えて結束し、「『里山』の‘くらし’自体に目を向け」ることを目的につくられた団体である。
 このような性格を持つ「里山トラスト」は当然、ナショナル・トラストのような往来の自然保護活動とは違う活動方針を取り、陳情・署名活動・提訴などを通して自然保護を訴えるのではなく、多くの人が自然との触れ合いを通して、喜びや自然と共生する大切さを学ぶことを望んでいる。里山トラストの根底には、自然と人間との共生が円滑に進めば、乱開発など起こるはずもないという自然の破壊的な「利用」を防止し、自然の共生的な「利用」をめざす考えがある。実際に里山トラストはネオ・アニミズム派であるという批判もあるくらいかなり理念的だと言えるが、そこには、独特の自然観、里山観があるからである。里山トラストのいう里山とは、第一章で述べた一般的に言われる「里山」とは異なり、「私たちの最も身近で、親しみのある雑木林・山林・湿地・緑地・放置された農耕地など」(里山トラスト趣意書)を差している。また、Yさんによると「極端に言えば、公園の緑も里山に入る。生態系があり、循環が行われている場所はすべて里山」なのであるという。里山には何があるか、自然の「本質的価値」の一つである雑多な生物が共生している。人間の働きかけにより、人工的な生態系のような雑多な生物のなかから特定の生物を選択するのではない。また、都市とブナ原生林は対極的に、つまり、両者は「切れている」ものとして捉えられがちであるが、都市も原生林もすべてが連続体であり、「つながり」を持って存在しているという。このような「つながり」の理解は、自然の共生的な「利用」を導く。往来の自然保護団体は、つながりを理解せず、守るべき自然(対象)と都市とに境界線を引き、切り離していしまっていることが多い。また、ここでの対象は特定の自然に限定されてしまう。しかし、里山トラストは、「自然環境と住居環境の間に境界線をひかず、聖域をつくらない。」と考えている。対象を聖域化することは自然の「隔離」を意味し人間生活と自然を切り離すことは第二章でも述べたと通りである。
 専従スタッフをおいてはいないことも里山トラストの自然観に大きく関与している。Yさんによれば、「自分たちの生活と里山を切り離さないようにするため」であり、それにより「常に意識的に里山と接することができるようになる。」とのことである。専従スタッフの設置は、専従スタッフ以外の人間と里山とを切り離すことになり、意識的にも遠ざかってしまうからである。つまり、専従スタッフを設置しないことは、日々の生活において自発的に里山の「利用」について感じることが可能になり、「隔離」的要素を排除しているのである。このように、里山トラストでは、自然と人間生活が「切れる」ことを防止して「利用」する独特の自然観をもって自然と接している。里山トラストは、自然と里山を同等のものとみなし、対象を特定としない運動なのである。すべてのもののつながりの理解を求め、会員や市民につながりを教化するために、里山トラストは、実際に里山トラストのいう言葉で「実践」的な活動を行い、自然の共生的な「利用」を目指している。

(5)自然の「利用」をめざす活動。

 里山トラストでは、活動形態の説明にもみられるように、「実践」的な活動を行っていると言う。里山トラストでは、実践的な活動を行う場として各トラストの存在や「祭り」に代表されるイベントの存在がある。里山トラストの山村文化に対する見解を示しながら、里山トラストの共生的な「利用」をめざす「実践」的な活動について具体的な例をあげて説明したい。
 実践的な活動としてのトラストの一つにナギ畑会の存在がある。ナギ畑については第一章でふれた通りである。つまり焼き畑である。環境破壊の対象として敵対視されることがあるが、日本の焼き畑は自然との共生を存続し、昭和の中頃まで全国の農山地で地域独特のやり方が行われていた。原始的農業とも言われ、起源は縄文時代にまでさかのぼる。焼き畑は、共生的な「利用」として第一章で触れた通りであり、現在、消えつつある山村文化の代表的なものである。山村文化は、自然と人間の関係において、循環的な「利用」という立場をとっており、自然と人間の関係は共生的である。山村文化とはつまり、里山と人間の接触、人間の里山への働きかけの過程で生まれたものである。里山の文化を実践的に行なっていくことは、共生的な「利用」の理解につながることに他ならない。「里山トラストでは、このような山村文化まで含めた姿を、「里山の自然」と捉えて」いる面がある(1990、里山トラスト・ニュース号外bR)。「里山の自然」を山村文化と結び付け、古来から伝わっている山村文化の持つ共生的な「利用」の側面を文化として意識的に守っていこうというである。Yさんは、山村文化である「焼き畑は、日常生活の中では使われないであろうが、その技術は経験として残りいつか生かされる。」といっている。例えば、雑草を焼き、家庭栽培の肥料とするなど、山村文化の実践的な活動により学習したことは「経験」として日々の生活で活用していくことが可能なのである。Yさんによれば、「可能である。」ということ伝えていくだけでも価値があると言う。この可能においては二つの意味がある。一つは山村文化が現在でも、実行できるという意味ともう一つは、山村文化が、現在の生活でもいかすことができるという意味である。
 「マキ・ストーブの会」のような共生的な「利用」を行っているトラスト活動もある。「マキ・ストーブの会」はその名の示す通り、木を切って、ストーブの原料として薪をつくり、冬を超す会である。ただ伐採しているのでなく、第一章でも述べた里山の共生的な「利用」に基づいて伐採している。このように焼き畑に見られる火入れやストーブの原料となる薪の伐採を行いながら、自然を守っていく団体は往来の自然保護とは根本的に違っていると考えられる。里山的二次林の維持を目的とし後づけ行為として、伐採した草木を「利用」しようという動きはみられるが、目的を共生的な「利用」として団体の活動を行っている里山トラストのような団体は少ない。共生的な「利用」には、二次林の維持が機能的に働いている。
 里山トラストのいう実践的な活動にはもう一つの側面がある。里山トラストが、毎年三回開催しているイベントとしての「祭り」がある。イベントは、本来ならば、自然と「切れている」都市生活者と自然とを結び付けることを課題として開催される。そこでは、山村文化に始まる共生的な「利用」の紹介を行ない、実践的に関わってもらうことを目指している。参加人数は、多いときにはのべ約三百人にまで至った。実際の祭りには、山の恵みを「利用」するような形で行われる。例えば、春の春山祭では、春の訪れとともに芽吹く山菜の「利用」、夏の野営祭はキャンプ的要素を含んだ「利用」、秋の収穫祭はキノコ類や各トラストで実践的に作られた収穫物の「利用」を行なう。そこには、今は失われている山村文化の復活が所々で見られる。その復活にあたって、事務局員たちは、山村文化を研究しているAさんや以前に実際に山村文化の中で暮らしていたお年寄りを尋ねたり共生的な「利用」である山村文化の理解に奔走している。その付随的な要素として民俗映画研究会との連帯が必要となっている。
 このように、里山トラストは山村文化を実践的に行なうことにより、共生的な「利用」を実行し、その概念を意識的にようとしている。

(6)里山トラストの成果

新しい社会運動は、運動の主体性によって成果が異なり独自の役割を持って運動の運営を行っている。里山トラストにおいてあげた成果をYさんの話を参考にして述べる。
@里山トラストでは、他の多くの自然保護団体との連帯やネットワークの形成がおこなわれてきた。ネットワークの形成や他団体との連帯は、Yさんが、「これからも、里山トラストのような運動が増えていくことであろう。」と言う言葉が示すように、他の自然保護団体に里山トラストの言う「実践的」な活動や自然観を紹介することができた。
A里山トラストは、里山と年生活者との橋渡しになり、イベントの開催、各トラストの活動にみられるよう参加者への啓蒙的教化を行なった。つまり、里山トラストへの自発的な参加は意識的に自然とのつながりの重要性、自然と生活の連続性があることについて理解することを可能にさせた。Yさんは、里山と都市生活者をつないだことに満足感を覚えている。
B里山トラストの発足当時は、一つのゴルフ場建設問題の中に、建設に反対する運動内同士で対立を見せたが、里山トラストの発足は、建設地域において部外者である都市生活者、建設の鍵を握る地権者、建設地域における地元民の三者を包含し、また、対立運動内の人々を引き込むことができた。そのことは、石川県ゴルフ場協議会を発足させる発端となる。
C里山トラストは、里山としての自然に山村文化を含んで考えている。山村文化の可能性を伝え、山村文化を維持していくことが、「自然」を「守る」ことへとつながることを強調した。
 このように里山トラストの活動には四つの成果があった。この四つの成果は自然の「利用」を目指す運動の利点として挙げられる。そこで、自然の「利用」を目指す運動について述べてみたい。往来の自然保護運動は、「隔離」を大きく運動の方針にして、生活から自然を大きく切り離すこと目的としていたが、里山トラストは、運動の方針として「隔離」よりも「利用」の方に重点を置き、自然と人間とに「つながり」を持たせることを目的とした。実践的に自然と接して「利用」していくことに、「自然を守る」本質を見出している。里山は、人間が自然に共生的な「働きかけ」を行うことにより里山の生態系が維持されるのと同様な発想で、里山トラストは、自然を「利用」して守っていく。里山には、第一章で示した自然の「利用的価値」「内在的価値」「本質的価値」が存在している。自然の「利用」を目指す運動とは、自然の三つの価値を捉えて展開していく運動をさしているのである。また、里山トラストの指した里山とは、Yさんが言うように「自分の周りに存在する自然」をさし、それは身近なものであり、地球規模でもある。自然を「利用」していく運動の中には、一般的に言われている「自然保護」のイメージはない。それは、「自然保護」の中には現在において壊れているもしくは、壊れることが予想される限定的な自然が対象となるイメージがあるからである。限定された対象を守るのではなく、自分の身の周りの自然と「つながり」を理解することにより自然を「利用」していく。そのような行動は必然的に「自然」を「守る」ことにつながるのである。

(7)里山トラストの問題点

 実践的な活動として注目をあびた里山トラストは、現在、衰退の道をたどっている。その原因は里山トラストの五つの問題点にあると考えられる。
@里山トラストは各トラストで実践的な活動を行っていることを説明してきたが、実際の各トラストへの参加者は、里山トラスト全参加者の一割ぐらいしかいない。Yさんは、里山トラストの会員も各トラストに所属することや、会員による新たなトラストの創設を望んでいた。しかし、里山トラストには、数百人の会員がいるが、自発的に実践的な活動に関与している人間の数は、ごくわずかしかいない。
A季刊紙里山トラスト・ニュースでは、会員の意見を大きくとりあげ、里山トラストに送付されてくる文章はすべて載せることを前提としている。Yさんは、里山トラストに批判的な文章を期待し、批判的な文章に対して攻撃することを望んでいた。批判的な文章を打破することは、自分たちの意見・思想の強化や差出人の教化になるからである。しかし、予想とは反して、里山トラストに肯定的な文章ばかりであり、文章を送付してきた人々は、現在、もしくは過去において里山となんらかの関係を持っている人たちであった。
B主に各種イベントは、事務局員やそれを手伝う有志により準備がされている。準備に来る人数は、ほんの一部で数えるくらいしかいなかった。そんため、Yさんにいたっては、祭りのようなイベントの準備のためには仕事を一週間も欠勤しなければならないことにまで陥った。いざ、イベントを開催してみると、たとえば、収穫祭において「『へえ、めずらしい』『うん、おいしい』といわれるのは嬉しいのだけど、それだけで終わてしまうのが、ひっかかってしまったのです。」(里山トラストニュース14号)と参加者に対する疑問をみせている。また、Yさんは、「収穫祭などのイベント的なものだけ来て帰ってしまうのはどうも・・・。」と憮然した態度で話している。また、イベントへの参加者は年々と現象の傾向にあり、今年(1997年)はイベントは開催されていない。
C季刊紙里山トラスト・ニュースでは、各トラストの報告を随時行ないっている。ところが、各トラストの季刊紙の中での報告は実践的な報告から理念的な報告へと変化し、また他の団体、読み物についての紹介が多くなる(里山トラストニュース20号〜24号)。
D自然とふれあうということに関しては、確かに実践的な活動であり往来の自然保護団体には見られなく、里山トラストの独特の自然観には目新しいものがあった。ところが、活動的には実践的であったが、結果的には理念的にならざるを得なかった。目的を人々の啓蒙としている時点で理念的であり、結果を見出すことは難しい。
 五つの問題点をまとめて、里山トラスト衰退の原因について考えると、先ず事務局員と会員の関係が機能的に働かず従属的な会員がゲスト的に里山トラストに参加していたにすぎないことが考えられる。「ゲスト」は催されるイベントに参加するだけで、事務局以外の運営協議会への参加は、季刊紙による情報発信にもかかわらず、ほとんど見られず、事務局員だけの討議となることがしばしばあった。「ゲスト」的な要素は、集団意識的なもので、「サイレント・マジョリティ」という言葉であらわせれる。このようなサイレント・マジョリティの概念は通常の社会集団にはよくみられることであるが、里山トラストには特に多かった。問題点の@とAをみればわかるように、里山トラストに参加し、各トラストとの関係を曖昧なものとした「ゲスト」は、運動のような集団的行為を行うとき必然的に付いてくる。また、運動に参加者した人は「参加する」という行為(ここでは、会員となること)に満足している点もあるだろう。「ゲスト」的参加者は、イベントに満足すると、自然と離れていくことが強いと考えられる。それに加えて、事務局の苦労である。Yさんは自分の苦労への不合理、上に示したような理由からイベントを開くことの無意味性を悟ったこともふれておく。また、里山トラストの実践的な活動というフレーズの珍しさや新鮮さはイベントに人を集めることができたが、イベントの参加による理解が人々をイベントから去らしたのではないかと考えられる。
 最も新しい里山トラスト・ニュースを見る限りでは、他の団体の情報だけでなく自らの情報も希薄になってきている。他の団体との情報交換・宣伝の場としての里山トラスト・ニュースの役割が小さくなってきており、表面上の衰退として表れている。それには、反対運動としての側面の過小化が考えられる。反対運動的側面は「宣伝」の要素が強いことは既にのべた。里山トラストの反対運動としての側面の過小化は、里山トラストの存在アピールの過小化へとつながるからである。
 里山トラストの実践的な活動には里山トラストには矛盾がある。Dに書いてあるように活動自体の説明をするにあたって、実践的な活動と称する里山トラストの活動は実に理念的であったことである。結果的にみると、第三章であげたナショナル・トラストのような団体の方がはるかに実践的な活動であるように思わせる。里山トラストは自然と「切れている」都市生活者と自然とを、自然を「利用」することでつなぐ「実践的な団体」であるという。里山トラストの行う実践的な活動の根底には、概要にもみられるように人々の啓蒙を目的をした理念的な要素が強いのである。

(8)「利用」を目指す運動としての里山トラストの矛盾

 「里山トラスト」を参考にして、自然の「利用」を目指す運動について述べたが、「里山トラスト」のいう実践的な活動には矛盾があることにふれた。確かに実践的な活動においては、都市生活者は他の自然保護運動よりも自然とふれあことができる。その点においては実践的な活動であり、里山生活者と都市生活者の連帯が生まれ、両者の衝突が「隔離」を目指す運動よりも避けられるといえる。しかし、都市生活者の生活はやはり都市で成立するものであり、運動の中の里山生活者は、一種のマイノリティを形成している少数派である。都市生活者の実生活の中では里山に代表される山村文化は無縁であり、都市生活者の生活自体は「隔離」を目指す運動の都市生活者と同じであると言っていい。人々にいくら自然との「つながり」を啓蒙しても結局意識的なものでしかなく、運動としてどのような結果を残したということが理念的な説明しかできないのある。「隔離」を目指す運動においては、「隔離」という行為が、そのまま「自然」を「守る」という行為につながり、結果的にその自然は聖域化した対象として存続し、運動に参加した人に「自然」を「守った」という達成感を生まれる。それに反して、「利用」を目指す運動においては「自然」を「守った」という意識すら生じさせることが難しい。つまり、「里山トラスト」のような運動では、目で見える結果が見えにくく、「実践」という言葉は、自然および社会環境を変えるために人間が行う対象的活動であるが、「里山トラスト」のいう「実践」は理想的な発想に基づいて形成されてるのである。「里山トラスト」のような「利用」を目指す運動には、このような根本的な問題があり、この点をどのように克服するかが運動の鍵となるのではないであろうか。

(8)新しい社会運動論の中に見る「里山トラスト」

 この節では、「隔離」を目指す運動との比較がしやすいように、付け足しとして里山トラストの新しい社会運動の面をあげておく。ネットワークの形成や、事務局員はいるものの他の会員の参加を求めた里山トラスト協議会や季刊紙への投書など会員による直接民主主義的な活動を徹底かしている。また、テクノクラート化や科学技術の高度化に対する危機意識から生じる「自然」への影響を考え、新たな価値意識を見出そうとしている。新たな価値意識とは、「自然」との「つながり」を理解することで自然破壊を防ごうと言うものである。「隔離」を目指す運動との違いは、イシューを人間の精神的なものにおいて考えている点である。「隔離」を目指す運動においては、イシューが特定の破壊されると予想されるまたは、されてしまった対象化された自然であるのに対して、「里山トラスト」は、イシューを人間の自然への働きかけに重点をおいている。このように、里山トラストを新しい社会運動論の枠組みの中から「隔離」を目指す運動との違いを考えることが可能である。
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