第三章 「隔離」をめざす運動


(1)ナショナル・トラスト

 環境運動の第四のタイプは、「隔離」を目指す運動であると言っていい。第二章でもあげたように社会システムの変遷と共に環境運動は反公害運動から自然保護運動へと変わっていった。
 ナショナル・トラスト運動は、1895年に、イギリスの三人の市民運動家によってはじめられた。無秩序な乱開発や急速な都市化から森林や海外など貴重な自然や歴史的な環境を保護するため、広く市民から基金を募り土地を買い取り、保存・管理・公開していく運動である。「トラスト=trust」は、名詞では「信任」、「信頼」、「信頼する人(もの)」、「信用貸し」、「責任」、「保管」、を意味し、動詞では、「信頼する」、「任せる」、「委託する」などのを意味をもっている。イギリスのナショナル・トラストの創始者でもあるオクタビアは、「おたがいの信頼で作り上げていくものと言う意味で、トラストという言葉を使ったほうがよいのではないでしょうか。」という手紙を同じ創始者でもあるハンターに送っている。ナショナル・トラストとは、「みんなのために、永遠に」自然と歴史的建造物を残す運動で、「国民が信頼しあい、力をあわせて国の自然環境と歴史的文化遺産を守る」民間の非営利団体と言うことができる。(1994、p9、山田、1997、横川)イギリスのナショナル・トラスト運動の歴史と現状の根底にある思想は、一口で言えばアメニティの価値観である。アメニティとは、「快適性」とか「快適な環境」などと訳されているが、本来、日本語には存在しない漠然とした概念であり、認識することはできても、定義することは難しい。アメニティとは「しかるべきものが、しかるべきところに存在する状態」であり、ナショナル・トラストはまさに、それを保存し創造していこうとする運動である(1992、p64〜P65、木原)。最新の「資産目録」によると、入手し保護している土地は、総計で57万3335エーカー、これは大阪とほぼ同じ面積であり、イギリス最大の土地所有である。この膨大な土地の維持は、大変な労力をつぎ込むこととなる。イギリスのナショナル・トラストが発展し、世界を代表する団体になった理由に、法律によっていくつかの特権が認められていることを上げなくてはならない。また、国民への環境教育や対象の貴重性を訴えるような「宣伝」による効果が絶大に発揮し、国民が各々の役割を認識したことがいえる。
 ナショナル・トラストと区別して、最近注目を上げてきているものに、シビック・トラストがある。ナショナル・トラストとは違い、特定の土地を買い取り保存するようなことはせず、パンフレットを発行したり、集会・講演会などを開いて、歴史的環境や自然環境の重要性を人々に訴え、住民に地域に対する誇りを自覚させることに重点を置いている運動である。また、政府や自治体、企業に対しての働きかけも行っている。シビック・トラストのような運動の効果は少ないが、人間と自然とのかかわりを見つめていくためには重要な運動である。
 独自に運動を展開してきた他の国のナショナル・トラストについて簡単にふれておく。アメリカでは、守るべき対象を専ら、歴史的環境の保存だけに当たっている。ニュージーランドでは、「史跡トラスト」として目的を、「建築物を含む史跡に対する国民の意識を高め、史跡の保護と保存を目指す」としている。
 このように欧米のナショナル・トラストにおいては、歴史的建造物に代表されるような人間の側からみた歴史を保護または、アメニティの充実性のみのイメージが強く、「守る」べき自然とは自然の「内在的価値」を目的としたものである場合が多い。そこにおいては、いかに景観を維持していくかという意味合いが強くなる。活動は、自然環境と「切れている」人間が行い、対象化された自然の「隔離」を目的としている。また、ほとんどの「隔離」が消極的に行われている。

(2)日本のナショナル・トラストの起源

 日本は、1980年代にナショナル・トラストが突如現われたのではなく、1960年代半ばの鎌倉風致委員会の設立が始まりと考えることができる。また、鎌倉風致委員会の創始者は、イギリスのナショナル・トラストを日本に紹介した人物として知られている。鎌倉風致委員会は、鎌倉の景観を守るために創設された土地の買い取り運動の先駆となるもので、「保有」と「公開」の原則に従って活動を展開した。鎌倉風致委員会の果たした役割として、計画中であった宅造計画を中止させ、1966年に「古都保存法」が制定されたことが上げられる。委員会が買い取った地域は特別保護地域に指定され、厳しく現状変更が規制されるようになる(1992、P16〜P22、木原)。まさに、日本版ナショナル・トラストの先駆的存在である。

(3)自然運動に見られる宣伝方法

 環境運動は、ネットワークを広範囲に繰り広げ、また様々な方法で多くの人の共感を得ようとする。特にそのような戦術は多くの自然保護運動でみられる。
 北海道の「知床100平方メートル運動」は、海外からの開拓のため伐採された知床半島の原生林をもとの姿に戻すことをめざして、「しれとこで夢を買いませんか」と全国にアピールしたという募金運動である。この運動は、日本では先駆的な役割を果たした運動で、この運動後、独自のトラスト運動団体が全国に発足することとなった。この運動の創始者が影響を受けたのは、朝日新聞の朝刊のイギリスのナショナル・トラストを紹介した「天声人語」である。その後、朝日新聞の月曜ルポ欄に、「知床100平方メートル運動」の記事が載り、反響が各地からよせられ、寄付金が一千万を超える状況をつくりだした。「天声人語」でも、しれとこ運動を取り上げ、結果として運動を全国的な運動へと拡大させる原動力となる。参加者類型をみると、「天声人語」での紹介のあと急激に参加者数が伸びている。参加者数グラフ(グラフA)をみての通り、その月の支持者は1000人以上増加している。団体自体にはメディアを利用するという意識はなかったと思われるが、メディアを上手く使った宣伝でありグラフに明確に結果が出ている。朝日新聞の「天声人語」に記事による効果は大きい。
 映画「となりのトトロ」の舞台のもととなった狭山丘陵の「トトロのふるさと基金」がある。1990年に身近な自然である雑木林をもつ狭山丘陵を保護しようとつくられた運動である。「トトロ」をイメージキャラクターにしたことにこの運動の成功が上げられる。呼称名称を考える上で、「狭山丘陵ナショナル・トラスト」という平凡な名前もあげられたが、(1992年、P59、工藤)人々への浸透性があるということで「トトロのふるさと基金」となった。これによる効果は絶大でさまざまな層の人々の共感を得ることができた。特に子供たちからのよせられた寄付が多かったことが特徴である。子どもたちから送られてきた手紙には、「『トトロの里』を守って下さい」というような「トトロ」という言葉が気になる(1992、P15〜P48、工藤)。「狭山丘陵」自体の持つ本質よりも「トトロ」という愛称の意味することは大きく、「トトロ」の名前における宣伝効果は最高のものであったといえる。全国からの反響もすさまじく、「トトロの森」として買い取りが成功した狭山丘陵は観光地となり人々に親しまれるようになった。
 このように意識的にしろ無意識的にしろ宣伝のもつ効果は大きい。宣伝の中でその自然保護運動の概念を以下に明瞭に示唆する必要がある。しかし、中途半端な「隔離」は、一種のイベント的存在であったかもしれない。トトロの森はごみだらけという記事が新聞にのったほどであった(1997、P193、横川)。ナショナル・トラストは、自然と「切れている」都市生活者のような人間が簡単に参加できる運動であると言えよう。

(4)自然を大切にする会

 「天神崎の自然を大切にする会」というナショナル・トラストがある。注目して欲しいのは、普通よく使われる「自然を守る会」とせず、「自然を大切にする会」としてあるところである。「自然を守る会」というと、いかにも自然を破壊する敵から防衛するという印象が強いが、敵である業者もまた同じ市民である。人間の間に境界線を引くことには自然保護は発展しないであろうという気持ちから「自然を大切にする会」という名称に決まったのである(1992、p135〜P137、木原)。自然保護を人間同士のつながりから始め、人間を一つのまとまりとして考える運動は、新しい考え方であり今後の活動が期待される。

(5)全国にみられる里山トラスト運動(注7)

 最近、「トトロのふるさと基金」に代表されるような身近な自然である里山、雑木林に対する保護を目的とした運動が目立ってきている。里山は、前にふれたように二次的な森林であり、その価値の重要性は軽視されてきた。そのような自然に対する運動が頻繁におこるようになってきた背景には、1987年に制定されたリゾート法が起因している。リゾート法の制定により、ゴルフ場やリゾートの乱開発が進むにしたがって、日本のトラスト運動もさまざまな形態をとるようになった。
 愛知県新城市や岐阜県恵那市では、ゴルフ場に反対する手段として立木一本を1000円〜1500円くらいで地権者から買い取る「立木トラスト運動」がはじまった(1994、山田)。里山トラスト運動の原則は、「金を出し」、「顔を出し」、「知恵を出し」、「口を出す」の四つの出すにあると言われ、以前の自然保護運動とは違った雰囲気を持っている。しかし、都市生活者と山村生活者の衝突は避けられない。言わば、「切れている」都市生活者の「口を出す」のような「出す」という行為においは、山村生活者には全く説得力ある言葉には写らないからである。このように言うと、ほとんどの人間が自然と「切れている」状態である現在、自然保護運動とは都市空間におけるユートピアを求める運動に他ならない。「隔離」して「自然を守って」いくからである。一般に自然保護対象地は、人間と「つながり」を持っていない。一言で言うと、自然保護とは自然と生活的に文化的に、「切れいてる」人間が言う言葉なのではないであろうか。「隔離」を目指す運動は、必然的に人間が対象から「切れる」ことを擁護している。

(6)「隔離」を目指す活動の波及

 トラスト運動のような運動は、参加者に対象化された自然を「隔離」するという目的が成功するとある種の達成感を生じさせる。この達成感が、「隔離」を目指す運動が波及した理由の一つと考えられる。また、簡単な運動への参加、つまり「金を出す」という行為が「自然を守る」という行為につながるという単純明快なA=Bのような計算も運動の波及の理由の一つであろう。しかし、この運動の波及は、「自然を守る」ことは「隔離」することであるという意識を生じさせ、人間生活と自然を切り離すことが最良の方法であるように感じさせる。そして、人間と自然とはますます「切れて」いくのである。マスコミや一般に言われている「自然を守る」ための言説も、自然の「隔離」を擁護している面も強い。

(7)社会的ジレンマの中の運動

 現在の環境問題は、社会的ジレンマと呼ばれるメカニズムが働いている。社会的ジレンマを簡単に説明すると次のようになる。欲求を追求した方が自分の得る効用は大きく、大きい効用を求めて社会の構成員が欲求を追求する。その状態が均衡状態である。しかし、すべての成員が欲求を追求するときよりも、欲求を抑制した場合の方が効用が大きい。そのような場合、社会の構成員は、欲求を追求する行動へと促される。フロンガスの使用や自動車に乗ったりして生じる地球温暖化などがそのいい例で、社会的ジレンマと呼ばれる。つまり、自分一人ぐらいの心理が招くことに生じる問題である(1993、p50〜p52、飯島編、1990、山岸)。
 このような社会的ジレンマの形成は、守るべき自然と生活の利便性とを意識的にあるいは無意識的に分離して考えることが必要とさせる。それにより、人間生活から自然の「隔離」が促され、自然を人間から切り離すことが催促される。マスコミや一般的に言われている自然環境を「守る」ための言説は、「隔離」することを目的として展開され、都市生活者は「隔離」に賛同することが、「自然を守る」ことであるような錯覚に陥るのである。
 このような社会的ジレンマの逃避的存在として、「隔離」を目指す運動が存在するのではないであろうか。「隔離」による対象の聖域化は、人間と対象との生活的な「つながり」を完全に切り離す。聖域化された自然は、「守る」べき存在となり、人々の意識に浸透する。それに伴い「守る」ことは、人間から「隔離」することであり、最適な行為のように思えてくる。しかし、「隔離」によって対象化された自然以外は、ありとあらゆる破壊と種の殺戮が行われる。その状況が起こりうると予想されると、また、「隔離」を行うという堂々巡りの状態が生まれる。社会的ジレンマの解決の方策として、大きく分けて「問題を起こしている状況の制度的変革(構造的解決)と意識の変革(個人的解決)」(1993、P52、飯島編)の二つがある。まさしく、「隔離」を目指す運動から「利用」を目指す運動への変換が求められるのである。
 そこで、「隔離」ではなく「利用」を目指す運動とはどういうものであるかを金沢市所在の「里山トラスト」団体の活動を参考にして考えていきたい。

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