第二章 環境運動の歴史


(1)環境運動

 自然と人間の関係は「利用」と「隔離」の二元論で成り立っていることを述べた。「利用」と「隔離」の二つを念頭において、社会運動としての自然保護運動を歴史的経緯を踏まえながら考えてみたい。
 自然保護運動は、新しい社会運動として位置づけらている。新しい社会運動論とは、シュタインやマルクスを源流とする社会運動論(注4)の中で見られるようなマルクス主義的な階級闘争の労働運動と区別して、オッフェ(注5)らが指摘したもので、1960年代以降の先進産業主義社会の持続的な経済成長とともに、経済貧困問題とは異なる顕在化した社会問題である事柄に関しての運動、すなわち、学生運動、公民民権運動、環境運動、平和運動、エスニシティをめぐる新たな運動などを総称していう。オッフェらは社会運動を分析するにあたって、@行為の主体、Aイシューの特性、B運動の価値志向性、C行動様式、の社会運動の四つの観点の新しさに注目した。社会運動とは、一般的には「現状への不満や予想される事態に関する不満に基づいてなされる社会的状況への変革志向的な集合行為である。」と定義できる(1993、p102、飯島他)。簡単に自然保護運動に置き換えて説明していみると、運動そのものに携わっている人々は、社会への不満を「自然を守る」という形であらわしている。そして、特定のイシューとして自然のおかれている現状を位置づけ、そこになんらかの価値を見出すことにより、集合的行為の動機づけを行っているのである。また、環境問題の原因究明、発生源の追求、解決に向けての道筋つくりにおいて、問題の規模や関与している社会的条件によって環境運動の程度はさまざまであるが、各々の展開において必要な役割を担っている。そこでの何を持って成果とするかは、運動の主体によって異なっているくる(1995、飯島、1993、飯島他)。
 人間や環境との関係を研究していく社会学を総称して環境社会学という。環境社会学は環境運動の分析も含め、人間と環境の関わりについて論じている。環境社会学は方法論的には、マートンの中範囲理論(注6)においてその研究を展開している。中範囲理論は、実証的研究と不可分な環境問題の社会学的研究者がよく採用する立場である(1995、飯島)。

(2)環境運動の四つの分類

 自然保護運動のような環境運動も、取り組む対象においても規模においても多種多様な展開を行っている。飯島は日本の環境運動を四つの枠組みに分類して考えている。@反公害運動・被害者運動、A反開発運動、B他国への「公害輸出」抗議運動、C環境保全・環境創造運動の四タイプである。この中で、日本で多く展開されてきたのが、第一のタイプの反公害・被害者運動で、次に多かったのは第二のタイプの反開発運動である。第三、第四のタイプはまだ新しい運動で、今後の展開が期待される(1995、p170〜p172、飯島)。飯島の著書を参考にして四つのタイプを説明していくことにする。
 第一のタイプである反公害運動・被害者運動は、被害の修復を求めたり、被害補償を請求する、あるいは発生源の操業差し止めを求めて展開され、古くは17世紀から農民によって鉱山の公害に対して起こされている。当時は、農民の激しい抗議を受けて、採掘者が投獄されることがあった。しかし、明治時代には、立場は反転することになる。明治時代においても、地元民の訴えによって、操業が停止されるということはあったが、ほんの少数のできごとであり、大概は訴えた方が活動を「停止」されることとなる。工業化や都市化が文明の進歩であるとする社会においては、操業者側が、訴えた側よりも社会的地位や経済的地位が劣っていなければ、操業停止にはならなかったのである。既に、操業している工場を停止させることは容易ではなかった。このようなことが改善されたのは、いわゆる、四大公害訴訟を通してである。発生源側に責任を取らせることと同時に同じような被害を今後発生させないことを目的とした。訴訟の勝訴は社会的に大きな意義をもつこととなる。地球環境の悪化が叫ばれるなか、地域社会で発生する健康被害のような問題の解決に対して大きな影響力をもつものである。このような運動は負の「利用」に対してのクレーム申し立て運動であるといえる。産業主義的な「利用」に伴う公害は、間違った「利用」から生じる社会問題である。
 第二のタイプは、工業化や都市化によって引き起こされると予想される問題を、あらかじめ回避するために、工場・巨大建造物の設置、その他の開発行為を阻止する運動である。公害発生を未然に阻止すると言う意味においては、反公害運動であるが、地域生活にとって、強いては人間の生活への脅威であり破壊行為であるして阻止する運動として反公害運動を含む反開発運動であると言える。反開発運動は地域の問題にあわせ、専門家との連帯など多彩な展開をしてきた例えば、群馬県安中区の事例をあげると、1967年工場拡張反対運動からカドミウム公害抗議運動へと問題の対象の鞍替えを行い、一大圧力団体へと変貌している。コンビナート建設に対する反開発運動の特徴として、参加者の多様な人材がある。農業者、漁業者、主婦、教師、自然科学者、自治会代表、医師会、労働者など多彩な層の人々が一つの目的に向かって取り組んだのである。第一のタイプが成長した運動であり、住民自ら開発やそれに伴う開発である産業主義的な「利用」をあらかじめ防ごうと試みる運動であるといえる。
 第三のタイプは、いわゆる公害輸出が顕著になった1970年代ごろから起こった運動である。アジアの各国などで発生している深刻な公害問題や巨大開発による地域社会の破壊に日本政府や企業が絡んでいることへの、責任追及運動である。この運動には、専門的知識をもった弁護士や自然科学者、社会科学社が参加している特徴であり、国際NGOなどともいわれ、全世界で活動を繰り広げている。日本での公害が減少し他国の自然を考える余裕ができ、グローバルな視点が考えられ始めた時期の運動である。
 第四のタイプは、工業化や都市化に伴って発生する生活環境の悪化に対する抗議・反対運動であった他の三つの運動とは違い、環境の修復や予測される破壊に対して、保全・維持していこうとする運動であり、より意識的に、地域社会の生活者にとって、また、生物多様性においても問題視している運動である。ナショナル・トラストや現在、盛んに行われている自然保護運動はこれにあたると言える。このタイプは1970年代までは、他の三つの影に隠れ、保全・保護の概念すらあまり普及していなかったのである。この運動の波及に伴い自然を「隔離」しようとする試みが増え始めた。第四のタイプの特徴として、ネットワークの充実性や非妥協的な理念の追求が上げられる。現在、幅広く、活動している団体は、他の団体との連帯、情報交換を多様に展開し無関心な人々への「教育」も行っている。この第四のタイプにみえる自然保護運動については第三章では、ナショナル・トラストなどのトラスト運動について例を挙げながら紹介する。第四のタイプの運動の波及により自然の「利用」に対する問題の解決策として「隔離」が最良の方法だという位置づけが固まる。しかし、「隔離」に対する見直しが見え始めている。
 四つのタイプは、第一のタイプ〜第四のタイプへと歴史的に移行し、第四のタイプは、他の三つのタイプを包括した運動だといえる。環境運動は、社会に影響を与えてきたように、現在の自然保護運動の発言力は広範囲に及び、第四のタイプの環境運動が一種の社会的メカニズムを作っている。環境運動の展開を「利用」と「隔離」の側面からみると、産業主義的な「利用」に対する問題の結果として、自然の対象化、自然の「隔離」を行うことなったことが考えられる。それは、伝統社会に見られるような共通のタブーの中に存在するものではなく、人間が管理的に行う「隔離」である。

(3)問題の移り変わり

 1970年前後の公害問題は、顕在的あるいは潜在的に加害者と被害者の関係が問題の中核を占めていた。その意味で反公害運動は、社会学的研究によって、環境破壊が引き起こされる社会メカニズムや被害のメカニズムを明らかにすることができた(1993、飯島編)。しかし、現在の自然保護運動の発端は、個々の自然への環境的価値観の差異による問題が多く、複雑化しさまざまな利害関係が渦巻いている場合も少なくない。ゴルフ場を一つとってみても、ゴルフ場をつくることで、より自然と親しみが持てると思う人と、ゴルフ場建設自体が、自然を著しく破壊しているという人、そのようなことに関係なくただ単に経済至上主義の立場からゴルフ場を建設を擁護する人とさまざまである。さらに「森林の環境を支配することができるとされている地域の人々より、遠く離れいている人の方が、森林の価値を大きく認める場合もある。」(1997、p112、栗本)。また、現在の環境破壊のほとんどは社会的ジレンマと言われるメカニズムが働いていることも問題の一つである(1993、p50〜P52、飯島編)。「隔離」しようと試みる団体と「利用」を行う個人との衝突など、現在の問題は、いくら理念的に言っても自然の捉えかたは十人十色であり、人間の環境的価値に対する考え方の違いが大きく問題の中核を為している。

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