第五章: まとめと今後の国際化

 時代の変化に伴って、広告は様々の「はたらき」をするようになってきている。その社会的影響力は言うまでもないだろう。欧米諸国の自然や街頭風景、人々の暮らしぶり、あるいはまた日本人旅行者の観光名所となっている文化的建造物といった要素で構成される映像がCMで好んで使われるのは、それによって商品の質の高さや性能の確かさ、センスの良さを訴求できると、制作者や広告主が考えているからである。彼らの欧米コンプレックスがそれだけ根強いといえそうだが、裏返せば、それは近隣のアジア諸国や世界の他の地域の国と文化の軽視につながっている。新聞やテレビでは毎日のように日本の国際化、世界の中の日本の役割が語られ、それが政・財界の最重要課題といった感のある昨今だが、CMの世界を見る限り、日本をもっとも、CMをつくり送り出す方としては、視聴者のニーズに応えてCMづくりをしているというだろうから、彼らは視聴者である日本人の国際感覚を「この程度」と見ている、といい換えることもできる。
 なお、現在の日本のCMに現われる欧米コンプレックスは、必ずしも欧米崇拝一辺倒を意味していないと思う。ロンドンやパリ、ニューヨークといった世界の大都会を背景に、ハイテク商品を手にしたビジネスマン風の日本人男性が颯爽と立っていて、その周辺に羨望のまなざしで見つめる白人男女数名を配したCMが何種類もある。これは‘ジャパン・アズ・ナンバーワン’の映像化と言えるがこの種のCMが80年代末頃から急増している。その時期はちょうと日本の経済高成長であり、民族の意識が高まっているからである。
 欧米崇拝であれ、日本人及び日本文化の優秀さを誇示するためであれ、CMで使われる欧米諸国の人々の側から言えば、自分たちの国の文化や自然を部分的に切り取り、その映像を使って日本製品を販売するなどというのは、決して嬉しいことではないと思う。しかも、CMの映像は、例えばアメリカやイギリスなら、多民族社会であるのが現実だが、そのような現実を映し出すことは稀で、白人偏重をはじめ数かずの思い込みと偏見、差別に充ちている。
 ところで、日本の広告メディアは「国際化」を求めたいのか、あるいは日本の舶来文化、欧米祟拝のきっかけで外国人タレントを起用するのか?私の考えては両方も関係があると思い、また「異化作用」という表現手法も使っていると思う。異化作用は文学や芸術作品の表現手法として知られているが、商品開発や広告制作においても、どうやらそれが無意識のうちに応用されているらしい。
 ヴィクトル・シクロフスキーは「方法としての芸術」というと論文の中で異化作用が芸術の基本的な方法であると述べている。つまり異化作用とは、日常生活的に見慣れた事物を奇異なるものとして表現する非日常の方法であるというわけである。シクロフスキーによると、生活が無意識の内に過ごされたとするならば、それは存在しなかったのと同じなのであり、それだからこそ生の感覚を回復し事物を意識せんがために、芸術と名づけられるものが存在するのである。この生の感覚を回復し事物を新鮮に意識させるために、異化作用という芸術の方法があるわけである。異化作用は、日常化し習慣化した意識の中に埋没した事物に生気を与えて、新たな意識の世界に投げ入れる働きをするわけである。
 なぜこういうような異化作用の手法は、日本の広告メディアに導入されて来たのかというと、それは、まさに商品も広告も過剰化し、そのために他社の商品や広告を差異化して消費者の認知や共感を獲得することが極めて重要になったからである。そうした状況の中で硬直化しマンネリ化した市場やメディアの状況を打破するために、異化作用という表現手法が導入されたと考えることができる。異化作用は、商品開発や広告制作の上でそれなりに停滞を打破し活性化する力を発揮しているわけである。また、そういう手法も日本の閉鎖的、集団的社会にとって、生気を与えて、生の感覚を回復するエネルギーではないかと思う。

今後の国際化について

 国際化は、15世紀の「地理上の発見」以来徐々に進んで来た。異なる民族の相互接触と交流の過程の延長線上に生起している現象である。ただ、今日の国際交流は、それが空前の発展を遂げつつあるエレクトロニクス技術に支えられている点に特徴がある。その観念から言えば、国際化とは、大量輸送機器や電子通信技術など巨大なテクノロジーの進歩による、ヒト、モノ、カネ、技術、情報の国境を超えた相互交流激化にともなって、諸国間の相互交流が活発化し、その結果として、また、その手段として、各国間の相互依存関係がより緊密化し、行動ルールの共通化、制度の互換化が進む現像である。しかし、我々の依存関係がある一方、驚くのはお互いの文化、生活などをあまり理解していないようだ。たとえば、外国人の日本社会についての理解度は、底の浅い物であることが多い。日本のテレビ、新聞、雑誌などのマスメディアには、いろんな外国人をわざと登場させ、彼らが日本社会について不案内な面を誇張しておもしろがり、それ自体を娯楽とする風潮がある。
 同じように、日本人が外国について持っている理解の程度も、たかが知れていることが少なくない。日本人は事実集積癖があるということになっていて、たしかに日本の子どもたちは各国の首都の名前や、世界の主な山脈や河川の名前をよく知っている。とくに、アメリカの方だ。また、大学受験生には外国語が必修し、世界史上の主な出来事の年代や、西洋の主な作家の主な作品などを暗記している学生もいる。日本の大商社は、各国の状勢についての情報収集能力に関しては、世界の民間会社の中では最高だ、とよく言われる。ところが、このような事実についての「知識」は極めて豊富だのに、本当に相手の国の人たちが、どういうふうにものを考え、どんなふうに行動し、どんなふに社会の仕組みが作られているかというような問題についての「認識」の度合いは、決して高くないと思う。この「知識」と「認識」の隔離が、日本社会の国際化を阻む障害物の一つであると思う。
 なるほど日本の各新聞は、国際記事にかなりの紙面をさいている。ところが、こうしたニュースは英語の流行歌のメロディのように、読者の頭のなかを通りすぎるだけで、多くの場合、熟考の対象とはならないだろう。パチンコ屋で何回も何回も同じ英語の歌を聞いていると、意味が解らなくても、歌詞も曲も頭のなかに入って来る。この状態は外国について事実を収集し「知識」を蓄積する過程と似ている。
 ところが、同じでも、その英語の歌詞が一語一句理解できるようになって聞けば、状態は変わって来る。一つ一つの歌詞の持つ意味が解るようになれば、自分の思考を練り、解釈への努力を含む「認識」の過程に入る。外国についての統計表を集めることは「知識」の拡張にしかすぎないが、外国の街頭で人々が自分の言葉を使って自分の暮らしについて語っているのに対して、その意味が解りながら、耳をかたむけられるようになれば、それは「認識」の始まりである。「知識」はあっても「認識」の乏しい国際関係の一例として、私の住んでいるマレーシアと日本の関係について考えてみよう。周知のように、マ日関係は相互補完関係にあるといわれ、自然資源の安定供給国としてマレーシアは日本経済と切り離せない状態にある。マ日関係における文化交流について検討するさい、三つのレベルを分けて考えることが大切だと思う。
 第一は、物質文化、つまり経済活動の生産物の複合体である。マレーシア側から眺めると、日本の物質文化は、はっきり見える。自動車、カメラ、テレビ、電卓など、どれにも日本の会社の印がついていて、印象に残る。それは日本の商品が世界に溢れるからである。
 ところが、日本の側からマレーシアの物質文化を眺めるとき、その姿ははっきりしない。日本はマレーシアから石油、木材、ゴム、天然ガスなどの自然資源を大量に輸入しているのだが、それらは日本人の日常生活のなかで直接目に触れるものではないからだ。つまり、その物質文化の交流について言えば、日本の代表的な製品がマレーシアの市場に明確な形であらわれ、マレーシアの部分的産物が日本の市場の目につきにくい場所に登場する、という構造がある。文化のフローは、この意味で、一方交通なのだ。
 第二の文化領域は、芸術である。この分野で日本から流れて来るものは、歌舞伎、雅楽、日本舞踊、茶花道といったものが中心だ。マレーシアから日本に向かって、芸術活動が輸出されている痕跡はあまりない。この領域でも、文化の流れは一方交通である。
 しかも、大切なことは、日本から海外向けに紹介されている芸術は、ほとんどの日本人の日常生活からはかなり切り離された位置にあるということだ。にもかかわらず、特殊な一部の日本人によってたしなまれている古典芸術だけが外国用に輸出されるために、かいがいではこうした芸術が、日本の大衆芸術だと誤解されている節がある。もし私は日本に留学しなければきっと私もそう思う。ところが、日本に輸入される芸術品目の圧倒的多数は、アメリカ製の流行歌、フォークソング、メロドラマのような大衆文化が中心だ。このような芸術の貿易構造のゆがみのおかげで、日本人も外国人も、日本が非常に変わった社会だという印象を共有するという傾向がありはしないか。
 第三の、そして最も重要な文化の領域は、観念の分野、つまり人びとがどういうふうにものを考えているか、という分野である。特にこの点で、日本人は文化交流の機会に恵まれていない。マレーシアやアメリカは移民社会として成り立ってきたため、日本とは比較にならない多様な人種や民族集団があり、その結果コスモポリタニズムが根付いていくための有利な社会条件がある。一方、日本では徳川鎖国の余波がいまなお影響力を持っており、他の社会との人的交流を阻む構造的障害が強い根を張っている。日本の政府はこうした障害をとり除くどころが、むしろ逆に壁を強化する努力をつづけてきたようにみえる。たとえば、80年代中曽根前首相が10万人留学生計画を取り上げたが、結局いろいろな制限があるので、その計画はさんざんに終えたようだ。難民の受け入れにたいするためらい、外国人登録についての監視、留学取得の制限、外国人の日本国籍取得に関する制限......など、外国人に対する排他政策は、いまでもつづいている。
 その結果、日本人の多くは映画やテレビを見たり、外国小説を読んだりという形でしか、外国文化と出会う機会がない。しかも、マス・メディアを通して日本人が観察することのできる社会は、ほとんどアメリカ一色だというのが現状だ。マレーシアのマス・メディアには、欧米諸国、香港、インド、タイなどのテレビ放送を国語マレー語の字幕付きで原語で見ることができる。その位置から日本のテレビの姿を考えるとき、その対米一辺倒が視聴者の思考の幅をどれだけ限定しているが、一目瞭然であるだろう。
 このくびきから自由になるためには、日本の歌舞伎や日本舞踊などといったエリート文化の枠を越えて、民衆文化の出会いのチャンスを増やしていく道を探ることが急務だと私は考える。
 そのためには、それぞれの社会のなかであまり高級だとは思われていないが、生活者のホンネを代弁している面の強い大衆芸術の相互交換が、ひとつの道を開くのではないだろうか。
 マレーシア人がもし若手漫才などの実演をみ、『週刊ポスト』、『週刊SPA』などの週刊誌や『少年ジャンプ』、『少年マガジン』、さらに少女漫画などを開き、井上ひさしや松本清張の小説を読む、という状況が発生すれば、その日本理解はより本質的な物となるだろう。もし日本人もマレーシアの大衆文化をしみじみすれば、マレーシア人の生活感覚に近づけるだろう。
 このような民衆同士の付き合いの通路を開くことが、私たちにとってのひとつの生活目標であるだろう。アンケートの結果によると、「日本人も努力すれば、国際性を身につけることができる」を答えた人は80%くらい近い。つまり、私たちはお互い頑張ればきっとできるだろう。
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