第四章: 調査結果の分析と考察 (添付質問用紙とデータ参照)

 最初に、アンケートの質問の項目を紹介したいと思います。
1.広告媒体別の接触度
2.広告媒体別の好感度
3.広告媒体別の評価度
4.広告の一般に対する態度
5−9.外タレの登場したテレビ広告に対する態度
10.外タレを使うCMが増えると、もう外国人であるということの希少感はなくなる
11.外国人は愛用する物は品質を保証するのか
12.舶来文化、欧米崇拝がまだ残るのか
13.外タレの利用は日本人の憧れを結び付ける一番手っ取り早い方法
14.広告のイメージ
15.テレビの視聴程度
16.生活の満足度
17.生活の段階
18.自分が革新的か、保守的か
19.新しい考え方や流行についてどういう態度をとるか
20.先の外タレはどこの国を思い浮かべますか
21.外国に比べたら、日本は遅れるか、進んでいるか
22.外国へ行ったことがあるか
23.外国人の知り合いがいますか
24.日本人及び日本社会について、どう思いますか
25.国際化を阻害する日本人の特性について、どう思いますか
26.性別
27.学年
28.学部

第一節:広告媒体別の接触度、好感度、評価度(Q1−3)


1.1 広告媒体別の接触度
 広告媒体別の接触度については、接触度の高いものから、「テレビ広告」、「新聞広告」、「折込、チラシ」、「雑誌広告」、「ラジオ広告」という順位になる。最も接触度の高い「テレビ広告」の場合「しばしばある」という回答者の割合は71.3%までを占め、もっとも接触度の低い「ラジオ広告」の場合の4.5%のほぼ16倍近くとなっている。それはいうまでもなく、テレビは視聴覚メディアあるのに対して、ラジオは聴覚メディアであると思います。テレビが出現すると、ラジオネットワークの役割は消滅したといえるだろう。テレビのネットワークがこれにとって代わり、また娯楽の上で大きな分野となった。テレビネットワークによって、この国のどこにいても数百万の人びとが同じ番組を、同じ時間に見ることができるようになった。テレビはまた、人びとの共通な、そして早い情報源としても優れていた。
 自動車の出現が馬と馬車にこれまでとは異なった役割を与えたのちょうど同じように、テレビがラジオに新しい役割を押し付けることになった。最近、ラジオメディアは文字放送を通じて、視聴者と新しい関係を形成しようと試みているが、反響はさほど大きくないようだ。

1.2 広告媒体別の好感度
 広告媒体別の好感度については、好感度の高いものから「テレビ広告」、「雑誌広告」、「新聞広告」、「折込・チラシ」、「ラジオ広告」という順位になる。ここで、はじめ4つと1つの間に大きな断層があることが注目される。「テレビ広告」、「雑誌広告」、「新聞広告」、「折込・チラシ」の場合は「非常に好き」と「やや好き」を合わせると、いずれも60%を越えるのにたいして、「ラジオ広告」の場合はそれが43%台にとどまっているのである。

1.3 広告媒体別の評価度
 広告媒体別の評価度については、評価度の高いものから、「テレビ広告」、「折込・チラシ」、「雑誌広告」、「新聞広告」、「ラジオ広告」という順位になる。ここで、はじめの4つの場合はいずれも肯定的回答(「非常に役立っている」+「かなり役立っている」)の割合が50%を越え、さらにそれは否定的回答(「あまり役立っていない」+「全く役立っていない」)の割合をも越えているのに対して、あとの1つの場合は肯定的回答の割合は50%をはるかに下回るともに、否定的回答の割合がその5倍にもなっているのである。

第二節: 広告の一般と外国人タレントに対する態度(Q4ーQ10)

 Q4の5つの質問項目について、肯定的意見(「非常に思う」+「やや思う」)の割合の高いものから並べるなら、@、B、C、D、Aという順序になる。
 Q4x2という質問は、「広告しなければ、商品の値段がもっと安くなる」である。その肯定的意見を認める人が全体の50%に近い、一方、否定的意見(「あまり思わない」+「全く思わない」)の割合はわずか18%くらいだ。
 この反映は、つまりいつもいわれることだが、宣伝費というのは、必ず商品の価格の中に含まれているという事。だから、高い宣伝費を使えば、消費価格のなかに含まれて、消費者に反映して来るというようなことが言えると思う。それがいま、特に外タレ起用の一番の問題ではないか?外国人タレントに多額の出演料が支払われ、そのために商品の値段が吊り上げられ、消費者の負担が増しているかのようにおもわせる、こうした非難の仕方にはしばしば目にかかる。
 いま各社とも省力化、節約の傾向が強くて、どこでも、交際費を節減したり、電気を消したり、残業時間も割り当てて制度があって、それを超えちゃいけないという、早く帰れ帰れと言わなければならない時代だろう。外タレをやたらに起用し、無駄な経費を使っていいのかという疑問はある。
 宣伝が必要だ、ということは間違いないと思う。情報化時代ですから、情報を取らなくては話にならない。新しい商品が売り出されたなんていうことは、新聞を読んでいたって、こと細かに絶対出てきやしないから、どこかで伝達してもらわなければならない。ただ、情報が欲しいからといって、過剰な金をかける必要はないではないか。それは必ず高い宣伝費という結果を生み、商品価格の値上げにつながるではないかということだ。そういうような意味で、外国人タレントを使い過ぎるではないかとう感じは、否めないだろう。
 たしかにスター級の外国人タレントの出演料は高額だし、ぼくら一般市民には手の届きかねる金額であるために、この論法は俗耳に入りやすい。しかし、実は商品の価格決定の常識を無視した俗論であろう。いうまでもないことだが、競合市場での商品の価格は市場の需要・供給の関係を主として定められ、価格構成における広告費の割合もまず市場での予想売上げ量をもとにして決められる。外国人スターに高額の出演料が支払われたとしてもこの広告費の比率を狂わせるほどのことはないし、それがそのまま商品価格に跳ね返ってくるものではない。事情はむしろ逆であって、高名の外国人スターを起用することで潜在需要をかきたてて予想売上げ量をマークし、それで一定の市場価格が維持されていることの方が多いだろう。

第3節: 日本人の舶来文化、欧米祟拝について

 Q12「外国人タレント起用はまだ日本の舶来文化、欧米祟拝が残っているか」という質問に、肯定的意見(「非常に思う」+「やや思う」)のグループの割合は55%くらいであり、否定的意見(「あまり思わない」+「全く思わない」)のグループは33%だけだ。つまり、この結果によって外国人タレントの起用はまだ日本の舶来文化、欧米祟拝が残っているという事実を認めるということだ。それは多分日本の歴史と深い関係を関わっていると思う。
 明治に入って以来の変革はすさまじいものがある。日本政府はなんとかして強力な中央集権システムをつくろうとして、「国家神道」をでっちあげ、日本独特なシステムをめざしながらも、海外諸国に対抗するためには、政治、経済、軍事など、あらゆる面にわたって、その制度を模倣しなければならなかった。「和魂洋才」という都合のいい言葉を捻りだしてでも、海外の知識をせっせと吸収したのである。
 海外諸国と日本の力の差を知れば知るほど、当時の日本としてはナショナリズムをあおらなければならない。かつての大化改新のように、政治、経済のシステムのノウハウは、すべて海外から”輸入”し、近代国家としての体裁をととのえながら、その一方では、日本的なモラル(これも実は儒教であり、大陸からの輸入思想だ)をあおって、「忠君愛国」をかざし、「富国強兵」をめざすのである。
 しかし、いくら日本政府が徹底的な「思想教育」を行ない、相次ぐ戦争によって日本の国力を誇示してみても、民衆は生活の実感を通じて「舶来品」を尊重するし、また知識層は「教養」を通じて西欧を身近なものと感じていたのである。
 つまり、戦前のインテリというのは、音楽はクラシック、それもベートーベンを愛好し、歌はドイツ・リードがシャンソウ、哲学はカント、映画はフランス映画というのが、一つの典型だった。日中事変が始まり、太平洋戦争下でも、このスタイルを崩さなかったのである。いわば、かつての文人が漢籍や漢詩を読み、南画を好み、優越した大陸文化に傾倒したのと同じ理論であり、その底流にひそむのは、日本人の血にながれている「マレビト信仰」(*注2)なのである。その原因なのか、Q13の結果にも、肯定的意見「非常に思う」+「やや思う」のグループに62%くらい占めている。
 だからこそ、戦争に敗れ、戦後体制になっても、あまり動揺がなかったと言える。スンナリと民主主義を受け入れ、アメリカ文化に傾斜していったのである。その点について、アンケートのQ20に現われた結果は多くの被調査者は欧米諸国を思い浮かぶである。その割合は94%を圧倒的多い。それで、アジアは3.5%であり、アフリカは2%であり、中東諸国は0%で、南アメリカは0.5%である。これまで日本人の世界像における欧米偏重の傾向が指摘されてきたが、テレビCMにおいてもこの傾向がはっきりと見られることは注目されよう。現在、外国人タレントの起用はまだ日本の舶来文化、欧米祟拝が残っているといわざるを得ないと思う。

第四節: テレビ広告のイメージ

 Q14x4の結果によると、ほぼ52%くらいの被調査者は広告に対する信頼感が低い。広告を信頼している人は、わずかの15%に近いである。我々消費者は日常生活にも広告を見て期待したイメージ(実用さ、効果など)と実際に購入した商品との間にズレを経験することがままあるだろう。それは、多分広告は人びとに虚偽誇大に訴求する性質を持っていると思う。
 広告は、人びとを説得して劣った製品をうりつけると、よく非難される。その通りだが、それは1度だけだと思う。消費者は、その製品が劣ることを認めると、それを2度と買わないだろう。その結果、メーカーは重大な経済上の損失をこうむる。メーカーの利益は反復購買から生じるのだから。
 ある製品の販売を増大させるベストの方法は、その製品を改良することだと思う。これはとくに、食品において正しい。消費者は驚くほど素早く、その味の向上にきがついて、その製品を買う頻度を高める。
 Q14x8の問題「広告は話題になるかどうか」である。「話題になる」を認める人がその全体の90%くらい占めている。本当に圧倒的に多いだ。その原因は、空間的同時性をあってからと思う。それは数多くの視聴者がその時間に同時に、全社会的規模で経験している体験である。それは映画の場合における、映画館にいる他の観客との間の同時的体験とは異なる同時性である。映画館の観客は、お互いに同一の場所を共有しながらも、決して知り合うことのない、また、一時的にせよ語り合うことのない人びとの群れである。映画観覧中には、興奮や感情の感染が生ずるにしても、こうした感情的一体感は映画観覧を支援するものであっても、その後の人びとの行動には影響を与えない。
 これに対して、テレビの同時性は、テレビ視聴後も、その体験が自分一人ではなく、数多くの人びとと同じ物であるという気持ちを持続させる。だから、翌日の話題になる。その現状は、とくに若者のネットワークで盛んに行なう。テレビCMが学校など若者同志のネットワークにおいていわゆる”口コミ情報”として、話題になり、テレビCMの効果を一層高めているということだと思う。流行っているCM、広告から生まれた流行語・ギャクなど、広告そのものが日常的なコミュニケーションのテーマになる。これがコミュニケーションの機能である人間関係をスムーズにする働きをすると思う。
 Q14x13の問題に「役立つ情報が得られる」を答えた人が全体の54.2%くらいを占めた。また、Q14x15の問題に「新製品を知るのに役立つ」を答えた人も多い、全体の88.3%くらいを占めた。その点については、私は前の主人公田中さんの例を挙げて見ようと思う。田中さんがカメラを買いたいと思う時、彼はそれを手に入れる手段に注意を払う。ボーナスを貯金したり、カタログを取り寄せたりするわけだ。また、田中さんが雑誌を読んでいてカメラの広告が目に入ると、思わず目はその位置に動き、凝視する。こうして、食い入るようにその広告を読むようになる。その経験は我々の生活にもよくあるものだろう。広告の受け手の我々は自分の利益になりそうなことは見ようとしたり、聞こうと努力するのである。その反面、我々の利益になれない広告は、ほとんど無視するではないかと思う。現代の我々は広告から逃れようとするよりもむしろ、広告を積極的に生活に利用しようという人のほうが多いだろう。
 Q15に、「必ず毎日見る」を選んだ人は一番多い。なんと、79%に近いである。それは多分私の調査の対象は学生ですから、みんな自分の時間がいっぱいあるので、だからそういう結果を出た。

第五節: 社会的心理変数と国際化について

 Q16「現在の暮らしについてどう考えるか」という質問で、「十分満足している」人がわずか7.4%、「一応満足する」人が一番多い53.2%、「またまだ不満」の人が26.6%、「大変不満」の人が7.4%、「わからない」の人が4.4%である。
 Q17「御宅は現在の生活にどの段階に属しているか」という質問で、圧倒的に多いのは、やはり中間階級である(「中の上」と「中の下」合わせたら79.6%)。
 Q18「自分が革新的であると思うか」という質問で、革新的(「革新的」+「どちらかというと革新的」)は44.8%があり、保守的(「どちらかというと保守的」+「保守的」)は55.2%がある。
 Q19「新しい考え方や流行についてどのような態度を取るか」という質問で、積極的(「積極的」+「どちらか積極的」)の人が54.5%であり、消極的(「どちらかというと消極的」+「消極的」)の人が46.5%である。
 Q24 日本人及び日本社会についての見方。以下の「思う」は「非常に思う」と「やや思う」を合わせたデータであり、「思わない」も「あまり思わない」と「全く思わない」を合わせたデータである。

思う どちらとも言えない思わない
1.外人に日本人同士と同じ親しみが持ってる 25.1% 19.7% 55.2%
2.外国人に対して閉鎖的である 85.2% 11.3% 3.5%
3.先進国の中に日本人は優秀である 40.8% 36.9% 22.2%
4.努力すれば国際性を身につける 79.3% 11.3% 9.4%
5.外国人と一緒に住むのを嫌がる 68.4% 23.2% 8.4%
6.外国人は日本文化などを理解するのは無理 13.8% 28.6% 57.7%
7.海外の日本関連報道を過剰反応である 49.3% 36.0% 15.8%

 Q25 国際化を阻害する日本人の特性について。以下の「思う」は「非常に思う」と「やや思う」を合わせたデータであり、「思わない」も「あまり思わない」と「全く思わない」を合わせたデータである。

思う どちらとも言えない思わない
1.物と金中心の考え 67.8% 19.3% 12.9%
2.働き過ぎ 75.2% 10.9% 13.9%
3.視野が狭く、大局を見られない 72.8% 17.8% 9.4%
4.個人や企業間の競争の激しさ 64.9% 16.8% 18.4%
5.白人に弱い 62.9% 22.3% 14.9%
6.島国根性の強さ 62.9% 17.3% 19.8%
7.集団主義的な行動傾向 85.1% 9.9% 5.0%
8.途上国への偏見、蔑視 59.9% 26.7% 13.4%

 この節のデータによると、中間階級が多いもさることながら、欧米偏重、途上国軽視、日本にいる外国人の蔑視の風潮の持続など、日本の国際化の現状はむしろ矛盾だらけであるではないかと思う。日本人はその強い共同体意識(集団主義とも言える)のせいで、非常に排他的に見える。日本人は自分の属している組織との一体化をはかり、自己を犠牲にしてでもその組織のために懸命に尽くす。欧米における大方の日本人評は、恐らくこんなところだろう。日本人の間でもその通りだと思い込んでいる人は少なくない。それはアンケートの調査結果にも歴然と現われている。視野が狭く、仲間意識が強く、複雑な言語のハンディを負い、礼儀というきついコルセットで社会行動を制限されているため、彼らは自分自身のサークルにしがみつきたがる。

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