むすび


 「どうしてこのような制度ができたのだろう」。それを知りたかったというのがそもそもの始まりであったのだ。だってよくわからないんである。その「発想」がどうしても理解できなかったのである。
 思えばまだバブル景気の頃、当時の勤務先で就労調整をする女子社員を見たことが、この問題に関心を抱くきっかけだった。当時大抵の製造業はどこも恒常的な人手不足で、その例にもれず大量の女子社員を現業職として雇用していたその工場で、私は労務や経理関連の事務をしていた。
 彼女等の多くは辛そうに見えたのだ。会社にも気を使って、家族にも気を使って、「どうするのが一番得でしょうか?」と我々のところへ相談をもちかけてくる。「このひとは働きたそうなのに、また仕事もたくさんあって事業主も働いて欲しいのに、どうして働けないのだろう」。えらく不毛なことのような気がしたのだった。
 また、今思うに私は彼女等を気の毒に思っただけでも制度に憤っていただけでもなかったのではないだろうか。それらの気持ちも嘘ではなかったであろうが、一方で私は、彼女等を「憎んで」いたような気もするのだ(大人なら税金や保険料くらい払えよこのやろう)。そして「他の人はこのことをどう思うんだろう」、それも関心事のひとつになった。
 なぜある時期から就労調整が問題になってきたのか。そもそもそれ以前はなぜ就労調整の必要がなかったのか。想像される理由は、問題になるほどの年収を得る女性給与所得者が非常に少なかったということである。年収限度額が問題になってきたのは、産業構造の変化によるパートという労働形態の増加と、パートの賃金水準が上がってきたからではないか。何故賃金水準が上昇したかといえば、それは市場原理というもので、労働力を確保するためである。労働力不足解消のためということに加えてコスト安の女性労働者を労働市場は必要としたのだ。そして世情は大きく変わり戦後最悪といわれる規模の大不況の中で、真っ先にパートを解雇したり、正社員をパートに切り替えたり、女性労働とはそのように労働の現場をうまい具合に調整するものであった。
 税金や社会保険の政策もまた似ていた。税制上の不均衡をただすという目的の、その対象者(給与所得者と個人事業者、中堅所得層とそれ以外の所得層)当該ではなく、その中に「含まれる」(施策者の概念としては「付属する」といってもよいだろう)配偶者の要件を税額算定の要件とする。そのことによって、それとは全く別のところでの不公平感や対立を生み出すことになるのである。
 今回の調査で、「発想」の一旦を知ることができた。わからなかったはずである。それは「ある特定の人々(被扶養配偶者もしくはそれを扶養する者)を優遇するための制度」では「なかった」。「結局誰が得をしているのか」。その問いに少しは近付けたであろうか。
 さて、この先にどのような展望があるのだろうか。
 この調査をすすめる中で、その人がどのような人生を送るかということにこれほどまでに制度が介入するのはいかがなものかとか、いい加減そろそろ、局所的かつ派生的な対応策の接木ではなく、長期的で総合的な展望に基づいた、目的が明確な政策がとられることが必要なのではないかという感想をもったが、そのような提言をすることは本論の目的ではない。