第4章 総括


 被扶養配偶者を優遇する各制度に関する言説は様々な軸を持つ対立構造を明らかにしていた。
 それらの対立は、単に立場・利害が相反するものが反目する(つまり「あちらたてればこちらがたたず」といった)という単純な構造ではなかった。それぞれが違った問題意識を立てて論じることで、様々な批判や提案がなされ、それらを受けて制度そのものが樹木が枝をのばすように変遷を重ねてきている。
 個人事業者と給与所得者の税負担の均衡をはかるための「二分二乗方式」や配偶者(特別)控除は、その税額算定方式から、図らずも「家族主義」と「個人主義」の対立を明確にするものとなった。そしてそもそもの専従者控除(給与)も、個人事業者と法人事業者との税制上での均衡をはかるための制度であったのである。
 問題をさらに混乱させているのは、施策者の「飾り付け」であろう。増税をはかるために「税負担の均衡」を云い、均衡をはかるために「内助の功」を云う(「はかる」は「図る」なのか「謀る」なのか、どっちだ?)。
 そして施策者の想定外のところで、実際に様々な立場で生活する人々は各々の思惑で制度を受けとめるのである。「それはいったい私にとって得なのか損なのか」。自分より得をしている者たちがいるという考えがうまれるところに、「つくられた(しむけられた)対立」がうまれるのである。
 配偶者(特別)控除にせよ、国民年金第3号被保険者にせよ、女性を家庭に縛る制度であるとの批判を受けているが、そのことは制度の目的ではなく、結果であった。
 均等課税を掲げて導入された配偶者(特別)控除はその理由付けとして「内助の功」という言葉を必要とし、それは制度の一方の問題点であった不公平さを照らしだすことになったのだ。
 もうひとつの制度、無年金者を無くす目的で創設された第3号被保険者制度は、その後に学生からも保険料を徴収するようになったことなどから負担の公平の面でアンバランスな制度となった。認知の不足から、当該の被保険者には保険料を免除されているという恩恵を受けている実感もなく、配偶者(特別)控除と違ってストレートに弱者の救済をねらった制度であるのに、大した感謝もされてないところがあわれである。
 どのような政策にしても万人にとって全く公正な制度をつくることは難しい。とりわけ税制や社会保障といった分野はそういった傾向が顕著だろう。そうであればこそ一本筋の通った理念が必要だといわれるところである。配偶者特別控除にしても、「内助の功」などという理由付けをするよりも、当初の目的である課税バランスの是正という面を−それが本当に必要なことであるならば−強く前面に押し出して、人々が(そこから生じる一部の不公平も含めて)納得するようにしていけば、むしろもっと理解を得ることができたのではないだろうか。配偶(特別)者控除は個人事業者との課税バランスのことだけを考えればまことにうまい具合にできた仕組みなのである。
 それでも時代の流れを見るかぎり、遅かれ早かれこれらの制度が存続していくことが困難になることはまぬがれなかったであろう。おそらく制度の廃止は財源の確保を真の目的として決断され、だが「女性を抑圧するという批判を受けての改正」だとする理由付けがなされるのであろう。