第3章 言説の分析

1.配偶者(特別)控除に関する言説の概要

 配偶者(特別)控除について、主に新聞での報じられ方を各年代ごと整理をしてみると次のようになる。
 配偶者特別控除の導入年から数年にわたる新聞報道を中心にみていく。
 導入年の1986年には、全く新しい控除が制定されたということから、「制度解説型」の記事が初出する。この年の記事はほとんどこの型のもので、量も翌年とならんで最多である。
 翌1987年の年末調整から実際にこの控除がはじまることから、実際にどういう条件で控除が受けられて、どの程度税金が減るのか、といった「実務解説型」の記事が膨大に出てくる。
 1988年以降は、制度が広く知られてきたことによるのか、「Q&A」ものや「ハウ・ツー」もので具体的な事例について解説する記事が多く見られるようになる。
 1990年代にはいると「Q&A」もので当該被扶養配偶者の所得が給与所得以外のもの(年金や不動産所得等)である場合どのようになるのか等、様々な適用パターンについての質問が出現する。このことから、控除を受ける「権利」の強い自覚や、受けられる控除は受けたい(税金は払わずに済むものはでき得る限り払いたくない、まけてもらえるものはとことんまけてもらおう)という納税者意識(納税忌避意識)をうかがうことができる。
 1991年頃から就労調整について報じられることが多くなる。
 1992年頃に配偶者控除の非課税限度額を引き上げることの検討が始まるが、この減税政策は「パート減税」と一般に呼ばれる。
 前年から少しずつ増え始めた批判型の記事は1993年急激に増える。これは婦人少年問題審議会や、婦人税理士会等が積極的に問題提起をしはじめたことと関係があるだろう。

2.国民年金第3号に関する言説の概要

 配偶者(特別)控除関係の言説に比べるとその量は格段に少ない。これは、配偶者(特別)控除は自身や配偶者がパート労働に携わること等で、人々にとって身近で密接な関係のある制度という認識を持ちやすいことに対して、第3号被保険者は当事者以外の人がその制度を知る機会も少なく、また当該被保険者さえも保険料を納付する必要が無いという制度の特徴から、自らが被保険者であるという自覚すら持ちにくいということが関係すると思われる。
 そういった特徴から、言説として発表される場合ははあえて明確な問題意識を持ったものが多く、批判型の記事がほとんどである。
 制度を評価するものとしては、これまで無年金だった女性にも年金権を与えたことが画期的であるというところにつきる。保険料免除の件について肯定的な意見は、所得の少ない(無い)者から保険料を徴収するてだてがないことを考えると、妥当な制度であるとの認識である。
 そういったなかで「年金入門」といった実用書などから、人々の意識を探ってみる。前述の「保険料を納付しない」ということを、当該保険者はどのように認識しているのだろうか。
 第3号被保険者の保険料がどのようにまかなわれているかについて正しい認識はあまり普及していないように思われる。ありがちな誤解が、「配偶者の保険料と一緒に自分の分も引かれている」という認識である。1997年10月9日の年金審議会全員懇談会の議事録には次のような発言がある。

 「(保険料の)負担の問題を考えますと、60年改正までは払っていた人が今第3号と言われる人の7割というふうに伺っていますけれども、その人たちがその後に払わなくてもよくなりましたよね。現実に負担出来ていたのに払わないでいるという人たちがたくさんいます。ところが、私が色々な地域で講演などありまして逆に皆さんから意見を伺うと、負担していると思っている人もかなりいるんです。つまり、自分がそれまでは直接窓口へ行って払っていた、直接徴収されていたけれども、あれは払わなくなったのではなくて、夫の収入から取られているのだというふうに私の話を聞くまでそう思っていたという人もかなりいるんです。そのぐらい第3号被保険者というものの実態と、それから第3号被保険者でいる人たちの意識の問題というのがはっきりととらえられていないというふうに思います。」

 このような発言があることから、厚生省の側でも認知の不足については認識していることがわかる。
 例として提示したいのはある女性向け年金解説の実用書の以下のような記述である。

 「(第3号被保険者は)保険料(従来通り国民年金)はご自分で納める必要がなくなります。ご主人のお給料から、一緒に引かれるようになるからです。」(國長,pp.2-3,1989)

 第3号被保険者の保険料は厚生年金制度から拠出する(第2号被保険者全体で負担する)ことになっており、「ご主人(第3号被保険者の配偶者)」もその中に含まれるので、確かにこの説明は厳密には間違いではないかもしれない。しかし一読すると、一個人の給与所得者が支払う保険料にその配偶者分保険料が別に含まれると理解するのが自然ではないだろうか。著者は社会保険労務士の資格を持っているはずなので、制度の実態を知らないということはまずないだろうから(ほんまやろな)、意図としては初心者向けのこの本の中では難しいことはいいから極簡単にわかりやすく、ということがあったかもしれない。しかし、こういった説明不足から誤った認識が生じるということは大いに考えられる。
 一方でこの制度を批判する理由に「無収入の学生が保険料を払うのに専業主婦は払わないのはおかしい」という種類のものがある。1992年より学生を含め20才以上は強制加入することになっている。保険料免除の根拠とされてきた「所得の無い者からは取れない」という理屈がここで危うくなったのである。それ以前から不公平感を感じつつも所得の問題から批判が難しかったものが、この制度をきっかけにある意味堂々と批判を加えることができるようになったという「効果」があった。
 実際には学生のみならず、その他無収入の者や、個人事業者の被扶養配偶者は保険料を納付しなければならない。そのことも当然批判の理由にされる。

3.対立表明としての各言説

 各言説を分類・分析していくなかで、各々の立場によって問題の立て方が違うということがわかった。それらを整理してみると不公平感を根底に持つ各種の対立をあきらかにすることができる。そしてこれらの対立は主に様々な制度批判論の軸となることが多い。
 対立は、その「顕れ方」の観点から主として次の3つに区分されるであろう。更に対立する当事者の組合せ(「誰が誰と比べて不公平であるのか」)によって細分される。

(1)顕在する対立

<「片稼ぎ世帯」と「共稼ぎ世帯」の対立>

 制度によって損をする側・得をする側がはっきりしており、最も顕在的でかつ代表的な対立である。
 税制や社会保険の「公平」が問題になるとき、公平」は世帯単位で比較した場合の公平である。
 この対立は、課税や社会保障の単位についての議論に発展し、その先で、根底にある価値観の対立を明らかにする。それはすなわち、

 これらの制度についての議論は課税や社会保障を「世帯単位」で考えるか「個人単位」で考えるかという問題にかならず直面する。それは単に世帯ごとの制度恩恵の公平の問題にとどまらず、どのような社会単位を基準とするか、さらには「標準的家族」をどのように考えるかという価値観にまで入りこむ議論を引き起こしている。

<低額納税者と中堅以上納税者との対立>

 前述の通り、片稼ぎ世帯と共稼ぎ世帯の間には制度恩恵の行き渡り方に差がある。このことは、世帯所得の違いによる対立も生み出す。
 配偶者特別控除がつくられた1986年前後の税制改革当時には、「金持ち減税」という批判がされた。
 つまり、配偶者を扶養できる世帯はそれだけ経済的に余裕のある世帯で、共稼ぎの世帯は共稼ぎをしないと生活が苦しいという事情も少なからずあるのだということである。収入に応じた課税をするという原則が周知されていることから「なぜ経済的に余裕のある世帯が優遇されるのだ」という不満を抱くことになるかもしれない。
 一方で中堅以上納税者は、重税感や経済的圧迫に苦しんでいる(らしい)から、何らかの措置を望むであろう。

<「専業主婦」と「有職女性」の対立>
(「パートタイム労働者」と「フルタイム労働者」の対立)

 「内助の功」の強調は、職業を持ちながら家事を行なう者に不満感を抱かせるものである。専業家事従事者の行なう家事との間に優遇制度に見合うだけの差があるのかというところである。有職者は、仕事と家事の両立である意味では専業者よりも苦労しているという認識があろうし、給与所得は得ているけれども家事労働については全く評価されていないことから不公平感を抱くであろう。専業者は、専業であるということからより質の高い家事を行なっているという自負があるかもしれないし、収入が少ない(無い)からこそなんらかの形で生活の保障をしてもらいたいと思うか知れない。
 専業主婦に被扶養者の範囲内のパートタイム労働者も含むのか、厳密な定義は難しいが、制度の対象となることを理由に本論では同じものと考えるのが本来適当であろう。しかしここでカッコ内に別に「パート」を抜き出したのは、労働の現場で実際に対立する相手と顔を突き合わせることになるのはこの人たちだからである。これ以外の対立軸では両者が恒常的に同じ場所にいることが少ない。その意味でこの対立は、他の全ての対立に比べて強く軋轢を生む、「対立の最前線」である。
 フルタイムの(主に女性の)労働者は、パートタイム労働者が控除範囲内で働くことによって、賃金抑制等の労働条件の悪化を招くことに不満を抱くであろうし、「これ以上稼げないから」といって仕事を休んだり短時間しか働かなかったりするパートタイム労働者の就労意識に批判的になるかもしれない。パートタイム労働者は、そのような眼差しの中で就労調整などを行なわなければならないことで様々な軋轢にされされ、仕事内容の差以上の賃金格差に充実した労働をすることができないかもしれない。

<「個人事業者の被扶養配偶者」と「給与所得者の被扶養配偶者」の対立>
(「学生その他無収入の1号」と「3号」の対立)

 国民年金第3号関係にほぼ限定される対立であるが、極めて明確な対立である。同じように収入が少ない(無い)扶養家族のに、「自分は払ってあの人は払わない」という、強い不公平感を根底に持つ。
 また、免除された保険料は制度全体で負担するということは他の被保険者の保険料に上乗せされていると考えられるので、「なんであの人たちの分まで面倒をみなければならないのだ」と感じる人がいることも考えられるので、この対立は第3号対他の被保険者全体とみることもできる。

(2)あるとされるが本当のところはよくわからない対立

<「給与所得者」と「個人事業者」の対立>

 配偶者(特別)控除は、個人事業者と給与所得者の間の公平をはかるために導入されたわけであるが、当事者にどれほどの認識があるかということについては実は不明である。
 導入時の「制度解説型」の記事を細かく調べてみると、「内助の功」強調型の記事の種類に比べて、青色専従者控除(給与)など個人事業者の所得分割とのバランスを取る目的について言及した記事は著しく少ない。このことから制度導入時にこの目的を制度の第一の目的として理解した人は少ないと思われる。

(3)予想されるが実際には少ない対立

<性別による対立>

 各制度は被扶養者を優遇する制度とされ、そのほとんどが女性である。「女性のみを優遇する制度である」という理由から、女性と男性との間に対立が生じるということも考えられる。しかし実際にはそのような観点の言説はまず見当らない。これにはいくつかの理由が考えられる。ひとつには男性の損得には関係ないことのようにみえること、もうひとつは配偶者控除とは実際には扶養している給与所得者(男性)が受ける制度であるということである。もし控除を受けられる者と受けられない者との間に対立があるとしても、それは実は男性同志の対立であるはずなのである。
 
 また、これらの組合せの「対」にならない対立も有り得る。互いに自分の立場での不利・有利を申し述べるが、それを受ける相手は別の利害関係で制度をとらえている場合である。個人事業者と給与所得者の間の課税公平を根拠に制度を推進する施策者と、世帯の収入減を不満に感じて控除適用限度額の引き上げを望むパート労働者などがその典型的な例であろう。

(4)つくたられた(しむけられた)対立

 対立の中には予め潜在している対立や、他のところから継続して存在する対立などもあるが、これらの制度が新たに生み出した対立もある。
 各制度は「被扶養配偶者(=専業主婦、パートタイム労働者)を優遇する制度」であると思われている(実際はそうとは言えない)ことから、それ以外の立場の特に給与所得者(被扶養配偶者を扶養してる給与所得者を除く)にとっては、不公平感を感じるものである。特に共働きの女性の場合は、制度の目的が「内助の功(家事労働)」への評価であると考えると「家事なら自分だってやっている」のだから、強く不公平を感じると考えられる。同じことは単身者についても言えるが、共働きの女性の場合、多くは配偶者の世話も家事に含まれることから、不公平感がより強化されるであろう。「内助の功」が制度目的として強調されることは、その他の目的には目が向かず、このような不公平感のみを当事者に抱かせることになる。
 他方被扶養配偶者としては、優遇制度は既得権であるし、専業主婦やパートタイム労働者であることは止むを得ない選択(育児や介護等)である者も多く(またそうでないにしても働くか働かないかは、あるいはどのような形態で働くかは、本来個人の選択である)、何らかの補助制度は必要なものだと考えるかもしれない。その場合、前述のような批判には反発する。
 この対立は前述した通り同じ職場で働くものどうしの間で、または同じ性別の女性どうしの間で、制度があることによって新たに生まれた対立である。
 一方でかなり穿ったものの見方をするならば、新たな対立が本来の目的(ひょとしたら増税か?)から目を逸らさせる効果を持つともいえるだろう。

(5)かくされた真の対立

 前述したとおり、配偶者(特別)控除によって真に恩恵を受けているのは要件たる被扶養配偶者ではなく、実際にその収入から控除を受けている給与所得者=扶養者(主に男性)である。第3号の保険料免除についても、その他の被扶養者(学生や第1号の被扶養配偶者等)の保険料は実質その扶養者が負担しているのだから、比較した場合給与所得者が得をしていることになる。扶養家族の分の健康保険給付や年金は、制度全体で負担することになるから、その分の負担を負っている単身者や有職女性などは、相対的にみて損をしているといえる。
 また、扶養の限度額と事業者が支給する家族手当(あるいは家族賃金)の支給基準とは密接な関係がある。本論では触れずにきたが、扶養の問題を考えるとき家族手当を考慮から外すことはできない。の支給は同一(価値)労働同一(価値)賃金という考え方からすれば疑問であるし、実質上単身者や女性との賃金格差の原因になっている。
 配偶者を扶養する給与所得者は各制度で経済的な恩恵を受け、配偶者からは家事労働等の提供を受けることで、二重の利益を得ている(被扶養配偶者のほうは言うまでもなく生活費を扶養配偶者に負担させているわけで、両者はその意味で(「夫婦は互いに助け合うもので…」という際の「助け合う」の意味でなく)「互いに依存する関係」である言えるかもしれない)。
 以上のことに前述の「標準家庭」の設定も加えて考えてみると、扶養する給与所得者の所得税や賃金が扶養家族優遇込みの賃金水準や課税水準だとすれば、相対的にみて扶養する側が恩恵を受けているといってよいだろう。
 俗に「妻子を養って一人前」という言葉があるが、あれは理念だけでなく、扶養家族に配慮した(とされる)うえでの賃金や社会保障の水準が社会平均として想定されているということあらわしているともいえるだろう。つまり「込みで一人前」なのである。それを基準に様々な施策がとられているとすれば、相対的に扶養家族を持たない人々の所得や社会保障は低く押さえられ続ける。「一人前」の給与や社会保障を受けるには、配偶者を養わなければならないのである。
 これらのことから、「かくされた真の対立」とは、「一人前」の人間と「一人前に扱われない」の対立であることがわかる。つまり、配偶者を扶養している人間と、単身者・共稼ぎ・有職女性の対立である(あっ、別にかくれてないやんけ!)。

(この項[図1]参照)