第一章 マンガが置かれている立場

 いまさら大袈裟に言うまでもなく、日本にはマンガがあふれている。コンビニエンスストアの雑誌コーナーには毎週特定の曜日になると週刊マンガ雑誌の山ができ、それがあっという間に殆ど無くなったりした。実数で言えば、例えば先に挙げた週刊マンガ雑誌は、『週刊少年ジャンプ』(集英社)が数年前の最盛期には週六百万部以上さばいていた。最近では部数を落としてライバルの『週刊少年マガジン』(講談社)に部数トップの座を譲ったが、それでも共に約四百万部、2誌の合計で八百万部以上売れている計算である。個別の作品をまとめたマンガの単行本の売れ行きもすさまじい。何百万部も読まれるような雑誌の看板作品ともなれば当然その売上部数は百万の桁に乗る。かつて『週刊少年ジャンプ』で大人気を誇った「キン肉マン」(ゆでたまご)や「Dr.スランプ」(鳥山明)の単行本は、初版で220万部ということがあった。他の書籍とは完全に感覚が違うのである。
 読んでいる年齢層も幅広く、下は小学校にも上がらないうちから、上は社会人まで、様々な人々に読まれている。これだけ多様な人たちを相手にするのだから、当然雑誌の種類も様々である。『コロコロコミック』(小学館)『コミックボンボン』(講談社)に代表される十歳位までを対象にしていると思われる雑誌から、かたや30代以上を訴求対象にしたと思われる『ビッグコミック』系(小学館)や『コミックモーニング』(講談社)、他にも麻雀の劇画だけで構成される雑誌や少女に人気があるホラーマンガ誌、性的欲求を充足するべく登場した数多くのエロ劇画誌やレディースコミックなど、誠に沢山の種類の雑誌が刊行されている。
 マンガは、上で見たようなマンガ専門誌で連載されているものばかりではない。新聞には風刺画や4コママンガ掲載されていることが多い。また、「ためになるマンガを」「わかりやすく、読みやすくするためにマンガの形で」といった理由で描かれた学習マンガなどもある。例えば学習研究社の子ども向け学習マンガは今までに多数刊行されているし、子ども向けでなくとも、石ノ森章太郎が『マンガ日本経済入門』(日本経済新聞社)を描いて話題になった。同じように「マンガでわかる〜入門」といった本は多数刊行されている。さらには、刊行物ではないが、社会人候補生に配る会社紹介のパンフレットをマンガで描いた会社もあった。やはり、「親しみやすく、わかり易い」という理由だったと思う。
 日本のマンガは、その活躍の場を世界にも広げている。マンガの翻訳は、一時期香港などで日本のマンガ雑誌や単行本の海賊版(版元の許可を取らず、勝手に翻訳・出版されたもの)が数多く出回ったが、今ではちゃんと版元と契約を結んで刊行されている。この例をはじめとして、東南アジアでのマンガの人気は非常に高い。例えばベトナムでは「ドラえもん」が大人気で、『読売新聞』1996年6月13日付けの記事によると今までに計百巻、一千万部が売れているのだという。また、フランス・スペイン・ポルトガルといった国々でも日本のマンガの人気は高い。特にフランスでは、パリの書店に日本のマンガのコーナーが、場合によっては1フロア丸ごと取ってあったりする。これらの国々では日本のアニメもよく放送されていて、むしろアニメをきっかけにマンガの人気が広まっているようである。(白幡、65−88頁、1996)
 というように、一見いまや量質共に日本の社会・文化の中で決して小さくないウェイトを占めているようにみえる「マンガ」だが、その反面いまだ市民権を得ていない部分も残っている。明らかに大人向けに描かれたマンガもある事は既に記したが、今でもなお「サラリーマンが電車の中などでマンガ雑誌を読んでいるのは日本だけだ」なんて言われたりする。子どもの頃に「またマンガばっかり読んで!」と親に叱られた経験のある人はおそらく多かろう。極端な話をすれば、小説の賞(芥川賞・直木賞など)はニュースになってもマンガの賞がニュースになる事はない。つまり何がいいたいのかというと、マンガは単なる「紙に印刷されたメディア」という風に他のメディアと同列には扱われず、何らかの意味付け、それもマンガに接するという事が全面的に評価される訳にはいかないような意味付けをされている疑いがある。それはつまり、例えるなら「天気のいい休みの日に一日中小説を読んでいた」という発言と「天気のいい休みの日に一日中マンガを読んでいた」という発言が決して同列に扱われるとは限らないということである。本稿ではこの点に注目して、マンガが社会からどのような視線を向けられ、どのようなイメージを持たれているかを調べたいと思う。まずは次章でマンガの成り立ちを社会との関わり合いも交えて述べたいと思う。


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