第四章 調査結果とその考察


T 調査結果



U 調査結果の考察


(1)外国語・外国文化および母国語・母国文化の保持
 この調査では、帰国子女は対象者全員が身につけた外国語を忘れたくないと答えており、保持するために何らかの活動をしていた。ここでは対象者全員の滞在国が英語圏であった。「英語って役立つ」という意見のように英語は活用性が高い。また英会話塾など英語に関するサービスはたくさんあり英語は保持しやすい。英語以外の言語ならばどのような答えが出たのだろうか。
 また外国でした遊びをまたやりたいという答えがあった。しかし、環境や日本の友達の考え方の違いからそれらができないということであった。
 外国人子女の方も、日本にいても母国語を忘れたくないと答えており、1人だけが例外で母国語を忘れてもいいと答えた。しかし外国人子女の中には忘れたくないと思っているにもかかわらず、保持するための勉強をしたくないと答えた人がいた。このような人は日本での母国語の勉強は余分なものと考えており、母国語の勉強よりも日本での勉強や友達と遊ぶことを重視していた。その反対に、母国語の勉強をしている人は、母国語が自分の民族的アイデンティティの証明になると考えており、母国語を保持することの必要性を強く感じている。
 外国人子女が家で母国語を使うならば、それが母国語保持の大きな役割を持っていることになる。対象者は、(i)母国語だけ (ii)日本語と母国語 (iii)自分は日本語を話すが、家の人は日本語と中国語を使う (iv)に分かれた。家で使う言葉でどれだけ言葉を理解できるのかにも関係があるし、また家で本人が使う言葉は母国語保持をどれだけ望んでいるかの表れにもなるのではと思われた。
 言語以外でも宗教や食習慣といった民族的アイデンティティの証明になると思われるものを保持している人がいた。宗教の戒律も人によって解釈が変わってくると思われるが、対象者は日本でも厳密に戒律を守っており、民族性を強く保持していた。
 帰国子女と外国人子女の言語・文化の保持では、「忘れたくない」という共通の傾向がみられたが、その保持理由として、帰国子女は「英語は役に立つ」に対して、外国人子女は「自分の言葉」というものであった。外国人子女の方は保持理由を自己の存在証明と考えている所に違いがあり、それだけ奥の深いものであった。

(2)学校
 帰国子女は「帰国して困ったことは?」という質問に、学校に授業で難しく感じる所を挙げた。滞在国で「やってなかった」勉強は、帰国子女にとってそのまま苦手意識を持つものとなっていた。滞在国で「やってなかった」勉強を新鮮に感じたというような肯定的な解答は出なかった。
 「帰国直後日本語でわからないところがあった。」という答えが全くなかったのは予想外であったが、対象者の事情を考えれば当然のことであった。まず対象者が滞在国で日本人学校や補習校に通ったこと、また独学で日本の勉強をしていたことなど、日本語を使う機会があったこと、それから最も関係があると思われることだが、ほとんどの対象者の滞在期間がおおよそ2・3年という比較的、短期間であったことである。今や滞在国でも日本の勉強が受けられるようになってきている。
 また日本の学校でいろいろなきまりごとがあることを不満に思っている答えがあった。帰国子女はきまりきった物事を与えられることよりも、自分のことは自分ですることの方を好んでいる。成績のつけ方を何かおかしいと感じている答えもあった。「関心・意欲・態度」といった項目は他人には評定できず、自分で自分を評価するしかないと言っている。これはアメリカ的な個人主義と思われるが、本人はそう言いつつも、「日本とアメリカの合わさったやり方がいい」と後で半々的な言い方をしている。
 また「英語の通訳ができて良かった。」と答えた人もいたが、この他で、帰国子女の特性を生かすような機会があると思われるような答えはなかった。それよりも、日本の学校より外国の学校の方がいいと感じていることから、外国語や外国文化を保持させにくい面の方が大きいかもしれない。
 外国人子女は「来日して困ったことは?」という質問に、「日本語がわからない」ことと友達関係に関することなどを挙げた。これは先述の帰国子女と大きく異なる点であった。日本語の勉強は補習としてクラスの人と違う教室で担当の先生に教わる。対象者のほとんどが日本が上達したため、日本語の勉強はもうやらなくなっていた。しかし、「授業で難しい所は?」「日本での嫌いな科目は?」という質問に国語や社会といった日本語の言葉で勉強をしていくような分野が挙がっていた。日本語の勉強以外の補習はないようである。外国人子女の中には、目先の日本語を理解すること、日本での勉強を理解すること、友達をつくることなど、まずは日本の生活に慣れることを重視し、母国語を忘れてしまう人がいたが、学校も日本語を指導し日本の生活に慣れてもらうことに手いっぱいなようである。
 また、給食に関することも話題になり、食べ物や味付けなどの違いに困ったという回答もあった。やはり食習慣はその人の生活の大きな部分をなすものだと感じた。

(3)友達関係
 帰国子女に「1ヵ月後またその国に行くことになったら」という質問をしたところ、「今だったらもううれしいけど。まだ友達あんまりできてないし。」と答えた人がいた。そして「1年経ったらもう友達できてるかもしれない」と言っている。今はあまり友達がいなくても時間が経てば友達ができるだろうと確信があるのか、友達があまりいないことをそれほど「困ったこと」としていなかった。その他で友達がいないというものはなく、それよりも友達がいて外国の友達との違いに不満を持っているようである。日本の友達は「うわさ(芸能人とか歌手とか)」を話すなど会話の話題が違うという回答があった。また他の人と違う格好をしたら「いじめられるって聞いた」とか、「『変』とか『ちょっと変わってるね』とか思われ」るという回答もあった。その他にも日本人は学年が違うと遊びに入れないという答えがあった。さらに、日本人は「えこひいきとか言う」といった回答があり、日本人は自分の気持ちを言わず、他人の気持ちをうかがっていることを指摘しているものがあった。これらに共通していえるのは異質なものが排除されるということである。「うわさ」を知っていることがその集団の一員になれる条件であり、「うわさ」は同質性の証になっている。そして周りの人と同じような格好をすることも同質性を主張することができる。
 外国人子女の方は、友達の違いを挙げた帰国子女と異なり、それ以前に日本の友達ができにくいのではと思われるような回答を得た。帰国子女が「帰国して困ったことは?」との質問に、友達関係について答えた人がいなかったのに対して、外国人子女は「来日して困ったことは?」との質問に友達関係について答えたというのも違う所である。日本の友達のグループに自分1人だけが入れないなどや、遊びに交ぜてもらうのにその友達全員の許可がないと交ぜてもらえないなどの答えがあった。また「日本人の友達多くしたかったから、日本人になりたかった。」という答えも外国人子女が日本人の友達の中に入っていけないことを示すものである。対象者に「なぜ日本人のグループに入れないか」「なぜ日本人と外国人が分かれるのか」と聞いたところ「わからない」と言った。母国ではある友達を仲間に入れないという友達のやり方はしてなかったからである。
 異文化体験という意味では帰国子女と外国人子女は似ている。しかし、帰国子女が異文化体験をしたからといって、友達の中に入っていけないということはなかった。しかし、異文化で育った外国人子女はたとえ日本語を覚えても日本人の友達の中に入っていけない。 今は「まだ友達ができてない」と答えた帰国子女も「1年経ったら友達ができてるかも」と言っている。このような確信があるのは日本人であることによるのではないだろうか。一方、外国人子女は、今は日本人の友達のグループに入れなくてもいずれはそのグループに入っていけるだろうというような回答は少しもなかった。
 それは外国人子女が「外国人」だからではないだろうか。さらに言えば、外国人子女が「日本人」という血統をひいていない、または「日本」という国籍を持ってないからといって、「外国人」としてよそ者扱いされるのではないだろうか。しかし、ここでいっている「日本人」もあいまいなもので、定義はできないのではないか。血統主義で考えてみるとすると、先祖代々をたどっていけば「日本」以外の場所から移住してきた人がいるかもしれない。また日本的な文化を身につけた人が「日本人」とすると考えてみても、日本的な文化の定義も困難ではないか。しかし、帰国子女が「日本人」として仲間に認められ、歴史的なしがらみを持った在住外国人、また帰化した者などが、「日本人」としてなかなか認められないことを考えると、日本では血統主義が強いようである。
 日本人は「外国人」である限り、排除する意識を持ち、外国人に対して壁を作っていると考えられないだろうか。

(4)外国文化および母国文化の評価と帰属感
 この項目で帰国子女と外国人子女と共通していたところは、滞在国や母国の話を「聞かれた時」に話したか、一度も話したことがないという回答だった。友達に積極的に話すことはないようである。友達に話すことが「自慢」になると感じて積極的に話すことを避けていることや、母国のことを話したら「笑われ」ると感じて「笑われ」ると思うようなことは話したことがないという答えがあった。
 一方、帰国子女と外国人子女と異なっていたところは、「友達が悪口を言ったら」というところであった。帰国子女の「日本の悪口を聞いたら」に対するものは、外国人子女の「母国の悪口を聞いたら」として両者の回答を比較すると、外国人子女の方が「怒る」「ちょっと悔しい」「無視」するなどという答えだったのに対して、帰国子女の方はそのような感情的な答えではなかった。外国人子女にとってこの質問は現在起こりうる事柄に対して、帰国子女は過去のことを思い出すなり想定するなりの事柄だったので、このような相違があるのかもしれない。マイノリティは自分の民族的アイデンティがマジョリティへの同化や変容によって脅かされそうになった時、それらを維持しようと努力する。外国人子女の感情的な答えはそのことを表していると思われる。
 外国人子女の答えを詳しくみていくと、(i)嫌だと思い何か言う (ii)嫌だと思うが何も思わない (iii)何も思わないというように分かれた。(ii)ではなんか言ったら友達が減るというように日本の友達とうまくやっていくための手段をとっていた。母国のことについて何も言わない方がいいということを言っている。上述した異質なものが排除されるということを知って、意識したことなのだろう。また、憶測にすぎないが(iii)の「何も思わない」という答えも実は日本で生活するために何も思わない方がいいと感じたうえでの回答かもしれない。
 外国人子女は同じ学校に同じ国の人あるいは同じ国でなくても外国人がいた方がいいと感じている。しかしその例外として外国人子女が外国人子女をいじめるというケースがある。同化という観点でみたら、いじめた外国人子女は日本人といっしょに新入りの外国人をいじめ、その外国人をよそ者扱いすることによって、日本人の友達の仲間入りができたのではないだろうか。いじめた外国人が「日本の友達と話したり遊んだりするようになったのはいつ頃から?」との質問に答えた時期と、いじめられた外国人が言ったいじめられた時期は同じ頃であった。外国人子女が日本人の友達と話しができるようになるのはある一定期間があり、そのような時期と偶然いじめた時期が重なっただけかもしれない。しかし新入りの外国人を日本人といっしょにいじめることが、いじめた外国人の友達関係の何かを変える要素があったと考えられないだろうか。もし新入りの外国人を日本人といっしょにいじめることで、その日本人と一体感が生まれ、ようやく同じ仲間と認められたとする。そうならば、外国人が新入りの外国人を排除するもともとの原因は、日本人が外国人を同じ仲間としてなかなか認めず、外国人に対して壁を作っているからである。そのような壁をこわし日本人に仲間として認められたかったこのケースの外国人子女は、結果として、同じ国の外国人をいじめてしまうということにつながってしまったのではないだろうか。

(5)まとめ
 4つの項目以外では、些細なことであるが、日本人が外国人に対して、白人志向でありそれ以外なら蔑視するような回答があったことである。「その国の人になりたいと思ったことがあるか」という質問に対し、アメリカから帰国したある人は「ある。なんか目が青くて、髪の毛が金髪できれいだから。きれいな人見た時に。」と答えている。またシンガポールから帰国した人は「ない。日本人で良かった。なんか色が黒かったりするから。金髪。色が白い方がきれい。」と答えている。
 アメリカに滞在していた人は映画が好きで滞在中は「1週間に2回ぐらい」の頻度で見ており、その内容は「あのミッション・イン・ポシブルとか。あのツイスターとか。ブラット・ピットとトム・クルーズがいっしょに出てるのは、インタビュー・ウィズ・ヴァンパイアが1番好き。」ということである。また好きな女優は「ジョディ・フォスター。目がすごく青い。(他には?)女優じゃないけどトム・クルーズ。」と言っている。このようなメディアの影響もあり、白人を美しいと思うようになったのではないだろうか。白人を美しいと思うということはそれ以外の人を蔑視していることにならないだろうか。
 またシンガポールに滞在していた人は、「プライベートでも日本人学校の人。」「テレビとかも全部英語だから、なんか、富山とかからビデオとか送ってもらった。」「(一人で買い物に行ったことあった?)ううん。なんかデパートとか遠いから。」「シンガポールのこともよくわかんないから。」と答えていたように、現地の人との交流もたいしてなく、ただイメージをふくらますだけであった。

 今日、多文化教育、異文化間教育、国際理解教育などさまざまな分野から帰国子女や外国人子女についてのアプローチが行われている。
 ところで帰国子女には、今回の親の海外赴任による帰国子女の他に、中国帰国孤児子女のような帰国子女もいる。一口に帰国子女と言ってもその背景は全く異なる。中国帰国孤児子女は中国で生まれ育ち中国に帰属意識を持ちながらも、今後「日本人」として生きていくことになる。そこには「日本人」という国籍を取得しても周囲の人々が「日本人」と認めない何かがあるのではないだろうか。
 帰国子女や外国人子女などに「日本的」「日本人」などというような一定方向の型をあてはめていくのではなくて、その人たちの多様性を認めていくことが必要ではないだろうか。また、教育は人々の意識を変えていくような力を持っており、近年の多文化教育、異文化間教育、国際理解教育などのアプローチにもそのような使命があるのではないだろうか。

謝辞
 インタビューなどに協力してくださった帰国子女と外国人子女のみなさんやその保護者、と学校の先生方に心から感謝しています。

参考文献
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 海外子女教育史編纂委員会編(1991)『海外子女教育史』海外子女教育振興財団
 海外子女教育振興財団編(1989)『帰国子女の外国語保持に関する調査研究報告書』海外子女教育振興財団
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 小林哲也(1983)『異文化に育つ子どもたち』有斐閣
 小林哲也 江渕一公編(1985)『多文化教育の比較研究』九州大学出版会
 ジョン・C・マーハ(1993)「多言語性と多文化性」中野秀一 今津孝次郎編『エスニシティの社会学』世界思想社
 東京学芸大学海外子女教育センター編(1993)「X帰国子女教育」『国際理解教育事典』創文社
 富山県教育委員会編(1994)『外国人児童生徒教育の手引』
 富山県教育委員会編(1996)『外国人児童生徒教育の手引bQ』
 富山県教育委員会「外国人児童生徒在籍実態状況 H.8.9.1現在」
 富山県教育委員会「平成8年度帰国児童生徒在籍状況等実態調査票」
 富山県教育委員会『平成8年度富山県高等学校入学者選抜実施要領』
 永井茂郎(1989)『国際理解教育』第一学習社
 松崎巌(監修)(1991)『国際教育事典』アルク
 丸山孝一(1994)「少数民族の教育」権藤與志夫編『21世紀をめざす世界の教育』九州大学出版会
 箕浦康子(1991)『子供の異文化体験』思索社
 文部省調査局(1996)「ますます増える日本語を学ぶ外国人子女」『文部時報』帝国地方行政学会
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