4章 おわりに

 ジェンダーと女性運動が新聞というマス・メディアのディスコースを通じてどのようにして構築されたかを、女性運動とメディアの記者が交錯する空間である「公共圏」の概念を念頭におきながら考察してきた。戦後の女性参政権運動では、新聞は女性運動家の声を政治のニュースとして新聞という公共領域に上げ、選挙前には女性運動を排除、周縁化するマイノリティ・ディスコースにすることはなかった。
 しかし、状況は選挙後一変する。「民主主義を発酵させるために」(『朝日』新聞百年史編修委員会,1994)などと「家庭の主婦に」社説や記事で女性参政権キャンペーンを繰り広げていた新聞が手のひらを返すように、離婚した女性政治家のスキャンダルをトップで扱い、棄権しなかった女性に「反省」を説き、多数の女性の当選は「春の晴れ着を買う」ような浮動な投票心理による「水物(偶然)」だったと語る。その後は、なぜか、多くの女性議員の選挙違反が女性と政治のニュースの主流となり、女性の議会での活動は公共言論には載らなくなる。
 翌1947年総選挙で女性の議員は一挙に衆議院15名、参議院19名に減少する。1946年の選挙結果が「連記制によるたなぼた」(もろさわようこ、1982)だった、とその退潮を片づけていいのだろうか。選挙後、こうしたニュースの流れとともに市川房枝や羽仁説子ら女性運動家が急に紙面から消えてしまう。それはなぜだろうか。
 当時のジェンダー認識に鍵がある。1946年4月10日の投票時、『朝日』『毎日』『読売報知』の各新聞は揃って「ねんねこ姿で投票する女性」の写真を掲載する。そこに表象されている女性と政治のイメージは、「家庭を背負った女性」の姿だ。「女性=家庭」責任を負ったまま、要請されれば社会参加もするというマルチ・ロール・モデルと、女性の力が必要という「参政権効用論」に則り、女性参政権運動が展開されている。いわば、女性は社会が必要とするときに限って政治に「パートタイマー」として参加するという認識が持たれていたのである。
 筆者には、こうした男と女を公/私の領域に振り分けられたジェンダー弁別システムに楔を入れない運動の限界を示唆すもののように思われる。スーザン・ファルーディは、アメリカでの女性参政権運動が「女性の参政という考え方が社会に違和感や恐怖感を与えないようにと配慮するあまり、女性の投票を「家事の延長」と主張し、運動はもたついた。迎合が裏目にでてしまった」(ファルーディ、1994, pp.311-312)と、アメリカでも参政権運動が途中で社会の圧力に屈して「女性=家庭」認識を強調する形で失敗した経緯を記す。
 日本の参政権運動は、戦争や占領といった女性の力を必要とする社会要因により最後の厚い壁を突破できたが、そのために社会システムと女性の参政に関するジェンダー弁別システムに関して厳密な定義を怠ってしまった。家庭役割をしっかり担ったままのパートタイマー的参政をよしとしたことがその後の急激な運動の退潮を招いた要因の一つではないだろうか。
 ちなみに、ファルーディが上げる女性運動が成功する3つの条件とは、「細工なしのきっぱりした課題と一般大衆の動員、それに物理的なレジスタンス」(ファルーディ,p.312)である。
 日本の参政権運動の最終段階のメディア表象を考察したが、女性の権利拡大に伴うせめぎあいの跡が見られなかった。公と私の領域区分とそれが性別により排他的に割り振られているこのジェンダー弁別システムの統合、再構築という目標を欠いた女性運動は一見成功したかに見えても、決して長期的な展望は期待できないということを示すものではなかっただろうか。
 一方、3章で展開した70年代のリブ運動のニュースは、van Dijkが示すマイノリティ・ディスコースのすべての条件を満たすものであった。リブ運動は、参政権運動とは異なり、公・私の区分領域のジェンダー弁別に異議申し立てをした。すると、メディアはそれを「政治」とは認めない。女性の活動を絵になる「ヘルメット姿」などに集中させ「闘う女」という新しいジェンダー・イメージを提示した。しかし、それは政治性をはぎ取り、紙面のアイキャッチャーとして用いるという形で女性が政治に参入することを拒否する「ワン・ロール・イデオロギー」でもあった。「政治に口を出す女」を「ヘルメット姿」として表象し、喜劇化したメディア表象の力は女性たちの状況の定義にどのような影響を及ぼしたのだろうか。
 ニュースのフレームは、何がニュースかというニュース・バリューと密接な関係を持つが、現行の社会を「対立や抗争」「支配/被支配」「戦い」の視点から斬ることに意味を見いだす従来の新聞のニュース・バリューが女性運動「男を敵対視する運動」という対立フレームで提示することになった。
 しかし、このリブ運動は、一方では、公共圏における記者との緊張に満ちた対話によって運動の「プロセス重視」、「異なる他者(多様性)との共存」という原理の重要性を社会に提起したように思う。その結果、記者クラブ所属の記者の発想には少ない、「プロセス重視型」「多様性型」のニュースの切り口を生み、ニュースの再定義を図っているように見える。
 これまでのリブ運動のメディア表象についての論考では、その改善策への探求が十分ではなかった。本稿では、ジェンダーや女性運動のメディア構築をニュースというディスコースの意味的、構造的特徴との関係から探った。その結果、メディアのニュース制作ルーティンとりわけ、記者がニュースに仕立て上げる際のフレーム、ニュースの切り口が女性運動をマイノリティ・ディスコースとすることに少なからぬ関与をしているように思われた。
 本稿では、ニュースのフレーム、切り口を手がかりとして、女性運動のニュース・ディスコースの分析したが、今後は、女性運動が公共圏から排除された明治期のニュース及び、70年以降現在までの女性運動の分析を通じて、メディアによる解釈はどう変化し、それに何が関係しているかを探りたい。また、女性運動以外にも公共圏を切り開く社会運動をディスコース分析によって考察し、ニュース・フレーム、ニュース・バリューとの関係をさらに探求したい。
 筆者は、本稿において女性運動を接合点とした民主的な市民社会およびそれを前提にした文化・政治的公共圏の構築プロセスを考察しようとした。しかし、公共圏というある意味では規範的概念を行為者の相互作用の分析においてうまく接合させることができなかった。メディアのジャーナリズム論との接合を今後の課題としたい。
 最後に、方法論としてvan Dijkのニュースのディスコース分析を用いた本稿では、ニュース・バリューがニュース制作過程でジェンダーの構築作業に重要な意味を持つことが理解された。今後、他の研究者の同様のフレーム分析の結果との異同を調べ、また、異なるディスコース分析の蓄積を渉猟し、日本のメディア研究への活用を検討していくことが筆者の課題と考えている。
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