3章 リブ運動とメディアの相互作用

 「日本における70年代前半のウーマン・リブ運動が様々な理由により大きく歪曲された形でしか社会的に報道されてこなかった」(江原、1985、p101)、「マスコミのリブ報道はかならずといっていいほど偏見、中傷、歪曲のトーンに裏打ちされていた」(藤枝、1990、p6)など日本のリブ運動を考察する際に必ずと言っていいほど言及されるのが、報道の歪曲を問題にする指摘である。しかし、意外なことに、運動と報道の関係を系統立てて跡づけ、どのように歪曲されたかを分析した研究は非常に少ない。新聞と雑誌に関する先行研究の井上輝子(1985)は、70年10月から71年末までを追跡した上で「ウーマンリブは持ち上げられ半ば評価され、揶揄されて終わった」とし、ウーマン・リブはマスコミにとって「認識不可能な対象なのではないか」という提起をしている。
 果たして、日本のメディアは70年代のリブ運動と女性をどのように構築したのだろうか。『朝日』を中心に、『読売』『毎日』をも参照しながら新聞のリブ運動ニュースの展開を押さえた上で、リブ運動のニュースのディスコース分析を行う。
 ディスコース分析以外に、当時『朝日新聞』でリブ報道に関係した社会部(首都部・都内版担当)蜷川真夫記者(現・電子電波メディア局インターネット・キャスター)、学芸部(家庭面担当)佐藤洋子記者(現在・東京都豊島区立男女平等推進センター所長)、社会部松井やより記者(現在・アジア女性資料センター代表)の方々に個別にインタビューを行い、ディスコースのコンテクストを最大限に補うようにした。
 メディアが女性運動と女性をどのように構築したかという点における検討課題としては、第一に、ジェンダーと女性の政治運動の構築はメディアのルーティンによってどのような影響を受けただろうか。とくに、ニュースのフレーム(枠組み)(1)、ニュースの類型(「政治ニュース」、「非・政治ニュース」(2))、ニュースのスピーカーなどに基づき処理されたジェンダーを分析することによって、そうしたニュース制作のルーティンの拘束性や制約を考察する。
 第二に、メディアと運動の相互作用についてアメリカの研究では、初期の報道は黙殺されたが、「1970年初め、女性運動が最新流行現象になり、主要メディアが女性解放問題を特集した。メディアは運動の存在について情報を提供し、運動を正当化した」( フリーマン、pp.212-215)というが、日本でのメディアと運動の相互作用はどのように展開されただろうか。また、アメリカの研究が指摘するような「女性記者と運動との同盟」(フリーマン、pp.163-165、タックマン、pp.179-209)は日本でも起きたのだろうか。
 最後に、女性記者のニュース制作は、従来の男性中心のニュース制作ルーティンに変化をもたらしただろうか。リブ運動のニュースの制作者とジェンダーについて、ニュースのフレームやニュース・バリュー(何がニュースか)に関してディスコース分析から考察する。
 対象とする時期を、第1期:1970年初め〜8月のアメリカの女性参政権50周年記念デモまでのアメリカの女性運動の報道が行われた時期、第2期:10月4日の『朝日新聞』の報道に始まる日本における「ウーマン・リブ」のアイデンティティ確立の時期(70年10月〜12月)、そして第3期:それ以降の報道の展開とした。これら3つの段階ごとに、新聞のリブ報道全体の流れと代表的なニュース・ディスコースの分析を行う。但し、『朝日新聞』のニュースを主に議論の対象とする(3)。
 また、参照したリブ運動に関するニュースは、「リブ運動に関する参照記事 『朝日新聞縮刷版』」(資料9)として添付した。

1 第1期:レディ・ファーストの国の「女性上位」運動

(1)リブ運動のニュース(1970年1月〜8月)

 1970年初頭のウイメンズ・リブ(女性解放)運動の記事の流れを見ると、「”女性の空手がなぜ悪い?!” 米加州大 授業締出しに猛然抗議」(1月11日社会面)、「ぶっつぶせ”男性社会”米でLIB運動 女らしさを拒否 ”ブラレス”や赤クツ下」(3月28日社会面)などアメリカのリブの目新しい現象を男と女に関わるフレームで紹介するものが目立つ。
 5月頃から全米女性ストを予告する記事が出る。「”造反”する米国の女性 強まる平等の要求 全国ストの計画発表」(5月22日家庭面)、「セックスはおあずけよ ★女のゼネスト...成果はいかに★」(7月16日国際面)。
 そして、8月26日のストに突入。「ウーマンパワー大行進 アメリカの婦人スト あたし達の天下を ”なにをこれ以上?”ー男達」をはじめとする5つの記事が27日(夕刊社会面)には大きく扱われている(ディスコース分析で詳述)。これらはレディ・ファーストの国の「女性上位の運動」というフレームであった。
 9月に入ると、「米解放運動の”毛語録”K・ミレットさんの「性の政治学」夫が語るその内容と生活」(2日)という家庭面の記事と、社会面の「米の婦人運動家 銀行強盗に”転身”」という社会面での報道が出てくる。リブ報道は、早くも、社会面は出来事中心、家庭面は思想中心という役割分担パターンを示す。

(2)アメリカでの女性運動とメディアの相互作用

 アメリカでは1970年8月26日、女性参政権50周年を記念して全米各地で平等を求める大規模なストライキとデモが行われた。全米でのデモ参加総数は「10万人近い」(『朝日』70年8月27日)と言われるほど大規模なものであった。フリーマンは、「この時に初めて、運動の潜在的な力が、一般の人々に明確な形で提示されたのであった」(フリーマン,p.124)とその明示的な行為がもたらす効果を指摘する。
 平等を求める女性運動とそれに対峙する社会の歴史をつづったスーザン・ファルーディの『バックラッシュ』は、この運動が女性と政治に関する歴史の大きな転換点であったと述べている。「この大規模な運動こそがフェミニスト組織の会員数を増やし、法制面での前進のきっかけをつくり、それまでの女性軽視の流れを変えた。それ以前はフェミニストを無視する傾向にあった政治家たちも、このストライキ直後から女性に目を向けるようになり、2〜3年という短期間で実に71件もの女性の権利法案が議会で承認された、その数はそれまでの法律の制定数の40%近くに当たる」(ファルーディ、p312)
 また、このストライキはフェミニスト・メディア研究においても記録に残る出来事であった。1966年から69年頃までのウイメンズ・リブとメディアの関係については、「大方のメディアは、初期の女性解放活動を、ユーモアと冷やかし、それに不信の混ぜ合わせでこの問題に対処した」(フリーマン、p162)、「排斥的で嘲りに満ちていた初期報道」(タックマン、p183)などとメディア批判は枚挙に暇がない(Morris 1973a, Morris 1973b , Cancian & Ross, 1981、タックマン、1991,Kahn and Goldenberg 1991,)。嘲りに満ちた報道の極めつけが、メディアがでっち上げた「ブラジャー(焼き捨て)事件」(フリーマン、p163)(4)であった。それ以来、「メディア批判は女性解放運動の中心テーマとなった」(Baehr & Gray, 1996,p ク)。そして、メディアが女性運動をどのように報道したかは、一時期女性とメディアに関する研究の中心テーマであった(Davis,J.,p456)。
 この8・26デモ&ストライキは、そうした嘲りがまじめな報道に変わった時というのが定説となっている(5)。「この時初めてジャーナリズムは、女性解放運動のデモに対して純粋に、厳正に報道した」(フリーマン、p124)と、女性運動が「真剣に取り組むべき問題」として示した歴史的な事件として位置づけられている。筆者がこの時期の『ニューヨーク・タイムズ・インデックス(索引集)』を調べたところでも、1965年から69年は、各1ページ程度にとどまっていた「女性」という項目(6)が、70年には一躍4ページに急増し、内容も広範な女性運動に関するものが大半を占めている。
 このデモを報道する『ニューヨーク・タイムズ』(70年8月27日)(7)は、1面中央及び30面に続いて、デモの報道を政治枠組みのニュースとして報道している(8)。Linda Charlton記者による「女性たちは平等に向けて五番街をデモ」というニュースは一面中央に、トップ記事となっている。リンゼー・ニューヨーク市長、ロックフェラー州知事、ニクソン大統領がこぞってその重要性を認める声明を出したことによって、「市、州、国レベルで公式に認知されたことになる」と行政の対応と評価を明記している。また、30面には「ニクソン大統領の女性参政権50周年を祝う声明」「議会で憲法修正のロビー活動開始」「ニューズウイーク社、女性の昇進のスピードアップに合意」など政界、経済界を含めた社会の影響を報道している。この30面は女性運動関連記事のみで構成されている(9)。また、政治的出来事を重視した政治ニュースの構造である。また、同紙は、同日「解放された女性たち」と題する社説でも女性運動を論じている。
 『ニューヨーク・タイムズ』では政治のニュースの枠組みでとらえられているこのデモは、アメリカのメディアが厳正な報道へとシフトした記念碑的出来事であった。次にこれが日本でどのようなディスコースで報道されるかを考察する。

(3)「ウーマンパワー大行進 アメリカの婦人スト」(『朝日』70.8.27)のディスコース

 8・26全米女性スト&デモは、日本でも『朝日』『読売』『毎日』各紙は、前触れ記事から「女性スト始まる」(『読売』8・27日)という中間報告、それにデモ翌日の事後報告まで何度も大きな紙面をさいている。新聞はこの女性の政治運動にどのような意味づけをして報道したのだろうか。『朝日』の70年8月27日夕刊・社会面での10段組みのニュース「ウーマンパワー大行進 アメリカの婦人スト」のディスコース(資料10)を詳しく分析する。なお、このニュースは、「”熱演”楽しむ男の群衆」「局を乗取り、”女性放送”ヒューストン 男性局員縛る」「ニクソンも「支持します」、「パリでも”同情デモ”」という4件の関連ニュースと並んで掲載されている。
 最初に、このニュースのスキーマ(ニュースの「語り」の形態)構造をみておくと、リードは、1メイン・イベント(婦人解放のデモや集会が米国で行われた)、2背景(参政権発効以後自由の進展がないと女性が立腹)から成る。次に、記事本文のスキーマ構造は、1主要イベント(ストの目的3点)、2結果(行政の反応:ニクソン大統領とロックフェラー州知事の支持表明)、3背景(満ち足りた女性の声。夫や子供からの解放)、4反応(男性の反発・危機感「女性は家庭を守れ」「これ以上尊大になられては大変」)、5評価(職場、家庭での全面スト不実行。中心はデモ都集会。規模は10万人。厳しさなし)、6評価(ベティ・フリーダンの活動、批判者の声、ケイト・ミレットの本と日本人の夫)という構成から成り立っている。
 以下、このディスコースをそのマクロ・マトラクチュア(テーマ)とニュース・フレーム、ジャンル(類型)、登場するスピーカーという順に分析を加える。

◇マクロストラクチュア

 このニュースのマクロストラクチュア(テーマ)は、「語り」を効果的に行う見出し、リードといったスキーマ構造から考察すると、最大活字の「ウーマンパワー大行進」であろう。さらに、マクロストラクチュアが表示されることが多い写真および写真のキャプションからもそう想定される。というのも、写真は、プラカードも掲げず何を求めて行進しているのかわからず、キャプションも「道いっぱいに」と書かれている。単に女性の熱気と行進の規模の大きさが「ウーマンパワー大行進」なのである。「道いっぱいに進む女性たちの行進」がこのニュースが女性たちのデモに対して付与した意味付けである。そこからは政治的な課題がまったく排除されている。

◇フレーム

 たての見出しには、「アメリカの婦人スト」という3段見出しと「あたし達の天下を ”なにをこれ以上?”ー男達」という4段見出しがある。これは、「婦人スト」が「私たちの天下」の要求を出し、一方の男性は、「なにをこれ以上?」と反発しているという男女の対立枠組みを利用している。Dijkのいう「われわれ/彼ら」フレームである。
 また、その対立は「天下とり」という「戦い」のメタファーを利用している。
 『朝日』が”Equality for Women(女性に平等を)”(『ニューヨーク・タイムズ』8月27日)という女性たちの主張を、「(あたし達の)天下」という「支配/被支配」を含意するメタファーに転換したため、この女性解放運動は「女性上位」の要求と表象される。アメリカの「レディ・ファースト」を想起させる「女の天下」レトリックは、後に「女性上位の運動」として理解されていくことになる(10)。
 「天下」というメタファーのもう一つの含意は、「非現実的」ということにある。「天下」「天国」レトリック(11)は、後に述べるように、メディアが女性運動を「非・政治ニュース」として扱っていることを象徴的に表象するレトリックである。こうした「政治ではない」ニュースの切り口がとられることで、女性運動の「平等」「解放」という大きな命題も、妊娠中絶や託児所、就職に関する平等といった具体的な目標も目立つところには表現されなくなる。
 アメリカの80年代以降にマスコミその他でよく使われた「女性上位の時代」(ファルーディ、p68)というレトリックも、「天下」同様、平等を求める女性を「男女の対立」、「支配/被支配」概念に置き換えて逆襲するレトリックである。反フェミニストによるバックラッシュは、「完全なる平等を女性が達成したことによって起こるのではなく、フェミニズムが勝つかもしれないという危惧から発生している」(ファルーディ、p20)と分析されている。

◇メタファー

 この見出しは、「喜劇」のメタファーとも読める。「あたし達の天下を」と道いっぱいの女性たちが腕を組んで「大行進」とある。この「あたし達」「天下」「大行進(強調は筆者)」という記事の隣が「”熱演”楽しむ男の群衆」という記事である。こうした大行進は”熱演”であって、現実ではないと示唆する効果がある。記事中に引用されているギリシャ喜劇「女の平和」のように、女たちの行動は非現実的な喜劇だから、楽しんで見ればよい、という枠組みへ読者を誘う。「”熱演”」の記事の末尾には、「一番フリーなのは私たちよ」を掲げているのはいかにも町かどの女とわかる数人だった」とある。女の政治運動が新聞によって「まじめにとることはない、熱演なのだから」と意味付けされているように思える。
 出来事を喜劇というフレームで見るなら、どれだけおもしろおかしくからかっても書き手が責任を問われることはない。「女は家庭を守れ」「ひまをもてあますな」「これ以上尊大になられては大変」といった男性の声が挙げられているが、おもしろおかしく書けばいいという記事フレームだから書ける文体のように思われる。
 「文体は記者とアクターとのコンテクストの痕跡をあらわす」(van Dijk、1988、p27)が、「あたし達」と「天下」という文体が、運動をからかうような見下した存在と見る記者の目を示しているように受けとめる人もいるだろう。

◇ジャンル

 夕刊社会面の掲載であるが、先に述べたような「あたし達」「天下」「大行進」という公的政治語彙ではない表現を持ち出し、運動の提起した「妊娠中絶の自由化」「託児所の建設」「就職や教育での完全平等」といった課題や主張を目立つところには載せない。
 また、ニュースの半分を占める特大の写真に注目してみよう。プラカードも何も持たない女性の群をとらえたもので、そのキャプションが「道いっぱいに」とある。この「道いっぱいに」という規模の大きさだけを示し政治課題を提示しないことと、提起しないにもかかわらずサイズだけは特大というその写真は(12)、「女性は人目を引くための紙面の彩り・アイキャッチャー」という伝統的な新聞の女性観の再現のように見える(13)。さらに、「あたし達」という(女にも男にも)政治(公)的な場では使われることのないスピーチ(話法)によって「非・政治ニュース」であることを示している(14)。
 そして、「厳密な数値により正確さを示し、事実性を示唆する」(Dijk, 1988,p87-88)という数字のレトリックはこのニュースでは重視されない。「計10万人近い婦人が集まったが、ベトナム反戦デモのような深刻さ、厳しさはどこにもなかった」と動員数をその影響力を否定するために引用しているかのようである。

◇スピーカー

 反応談話で、デモの中心的存在である「全国委員長ベティ・フリーダンさんのコメントはまったく引用されていない一方、デモ批判をする全米婦人有権者連盟会長ルシー・ベンソン夫人のコメントは引用している。この記事では背景のところでも男性達の反発の声を誰の声であるのか情報源もコンテクストも示さず載せている。記事全体として、当事者の女性運動家より、批判、反対論者の意見を多く代弁していることは、新聞がデモに批判的な立場であることを暗に示しているといえよう。この点では、隣に並んでいる「”熱演”楽しむ男の群衆」の記事は傍観者の声をより多く拾っている。   
 一方、『朝日』以外の新聞はこの歴史的な出来事をどのように扱っているだろうか。8.26全米女性デモの『毎日』と『読売』の記事見出しを以下に挙げる。
 『毎日新聞』は以下の4記事がある。

『読売新聞』も以下の4記事がある。


1 フレーム

 女性運動を男女の対立フレームでみるディスコース、「支配/被支配」「勝ち負け」を強調した「戦い」フレームでみるディスコースを以下に挙げる。この2つは重なる部分も多い。

◇「男女の対立」フレーム

 『朝日』(8.27夕)「あたし達/男達」「”熱演”楽しむ男の群衆」「”女性放送”/男性局員縛る」

 『毎日』(8.25夕)「男つるし上げ集会/女性ゼネスト」 (8.27夕)「野次馬男が圧倒/米の女性デモ」

 『読売』(8.26) 「女性ゼネスト/戦々恐々の亭主族」「もっと強くならなきゃ/赤ちゃん夫に押しつけてデモ

◇「支配/被支配」「勝ち/負け」「戦い」フレーム 

 『朝日』(8,26夕)「あたし達の天下を」「”なにをこれ以上?-男達」

 『毎日』(8.25夕)「男つるし上げ集会/ヒヤヒヤの男性」

 『毎日』(8.27夕)「全米で赤い気炎」

 『毎日』(827夕)「野次馬男が圧倒」

 『読売』(8.26) 「戦々恐々の亭主族・商店街/もっと強くならなくちゃ」

 『読売』(8.26夕)「女の戦い 早くも険悪」  

2 ジャンル

 「○○わよ」「○○しなくちゃ」「○○よ」など政治・公的な場では使われない語彙、文体、スピーチなど「政治ニュース」ではないことを表すレトリックには以下のものがある。これにより「リスクの少ない」ニュースとしている。

 『朝日』(8.27夕)「あたし達の天下を」「大行進」「道いっぱいに」

 『毎日』(8.25夕)「男つるし上げ」「まっぴらよ」「ヒヤヒヤの男性」 

    (8.27夕)「赤い気炎」「ベティ・フリーダンというおばあさん」「女同士は強いわよ」

 『読売』(8.26) 「もっと強くならなくちゃ」  

    (8.27夕)「五番街はちきれそう」

3 スピーカー

 女性運動家の発言は、単独で引用されることは少ない。『毎日』(8.27夕)では、フリーダンは「持論をぶちまくった」とキャプションにはあるが、発言内容はまったく紹介されていない。その一方で、野次馬や男性の発言は積極的に引用されている(『朝日』8.27夕)。その理由には、「急進派グループにインタビューを申し込んだら、男の記者なんてダメ」(『毎日』8.25夕)と運動側が男性記者を拒絶することもあるようだが。
 『読売』(8.26朝)では、フリードマン女史(フリーダンの誤り)の「ヒストリーは終わりを告げ、ハーストーリーが始まる」というコメントと影山裕子さんの「非常にまじめな運動。あと5年もすれば日本も似たような問題にぶつかる」などのコメントが載る。他紙よりは女性運動家のコメントを掲載している。
 これらの点から、アメリカの8.26女性のストライキの日本の全国紙三紙のニュース・ディスコースの共通点は、女性の政治行動を「非・政治ニュース」の類型で扱い、その切り口は「男との対立」「支配/被支配」「勝ち/負け」「戦い」とする。運動の発言は積極的には引用しないというマイノリティ・ディスコースのパターンである。これは、その後のリブ運動のニュース・ディスコースの原型となり、後に見るように、日本のリブ運動にも敷衍されていくことになる。

(4)構築されるジェンダー「ワンロール・イデオロギー」と「アイキャッチャー」にされる女性運動

 女性運動をマイノリティ扱いするメディアのジェンダー認識はどのようなものであろうか。「無料の妊娠中絶」「託児所の建設」「就職と教育の機会均等」という明確な政治課題を提起しつつ運動を進める女性達が、「あたし達」の「天下」とりという非・政治のレトリックによって、「政治ではない」という意味付けがされた。従って、これだけの規模のデモであっても一面に掲載された記事は『毎日』(8.27夕)1件しかない。
 一〇万人規模の政治運動が「熱演」や「天下」や「五番街はちきれそう」という表象に転換されてしまう含意は何なのだろうか。筆者にはそれが、「家庭にいて政治に介入しない女」いう近代のジェンダー弁別の認識の表れであり、「政治をする女の否定」のように思える。そうしたジェンダー関係から逸脱して行動する者は、喜劇の主人公として群衆や読者に楽しまれる、ということを示唆するディスコースではないだろうか。
 敗戦後の参政権運動の時には、女性が家庭に基盤を置いたままでで食糧問題や浮浪児、栄養不足など女性の力が要請されたために、女性が政治に一時的に参加することを認めた「マルチロール(多元役割)・モデル」がメディアには表象されていた。だが、15年後の70年の新聞のジェンダー・ディスコースは、女性が政治の領域に進出することを拒絶することによって、「女性は家庭」という「ワン・ロール・イデオロギー(良妻賢母主義)」を表象していると思われる。
 一方、女性運動の提起するジェンダー認識は、「アンチ・ロール・モデル」(性役割の見直し)である。それは、@無料の妊娠中絶 A公認の二四時間託児所の建設というこれまで「私領域=女性」(ワン・ロール)に割り振られてきた妊娠、育児の問題を公共領域(政治)に提起することによってロール・モデル自体に異議を申し立てているからである。また、B就職と教育に対する機会均等は、就職と教育(公領域)への完全参加の要求とみることができる。すなわち、公と私に分離されてきた女性と男性の性別を根拠とするジェンダー弁別に疑問を投げかけ、公・私の2元論の見直しをも迫るものである。女性に課せられたロール・モデルに初めて異議を申し立てた運動であり、「アンチ・ロールモデル」のジェンダー認識ということができる。
 さらに、新聞はこの女性運動をどのようなものと見て、どのように表象しているだろうか。運動家の顔写真程度でしか表象されなかった戦後の女性参政権運動とは異なり、リブ運動は、女性たちの大きな写真が使用されているのが特筆される。『朝日』8.27夕の写真は記事の半分を占めるが、『読売』8.27夕の写真も同じ写真がやはり記事の半分を占めている。『毎日』8.25の「あす全米で女性ゼネスト」という前触れ記事も「ニュージャージー州アトランティックで「すべての女性は美しい」というプラカードをかかげてノーブラ運動をする婦人」(44年9月オリオンプレス)という女性が2人写る写真がつけられている。1年前に撮影されたタイムリーではない写真であるにもかかわらず。
 これらの写真の共通点は、写真の扱いが記事に比して大きいこと、また、主張している政治課題より「女性であること」や「女の行動」をクローズアップしていることにある。新聞が女性を紙面の中で例外、特別な存在とするのは男のメディアとして始まった日本の新聞の歴史性によるもの(田中和子・女性と新聞メディア研究会、1994,p.169)というが、それらの写真は、女性運動を女性の「政治運動」ではなく、紙面の飾り、「アイキャッチャー」として利用しているように見える。女性がニュースになる時、その政治性や社会性、出来事の性格よりも「女であること」が優先されてニュースがつくられるように思われる。

2 第2期:日本の「ウーマン・リブ」

(1)リブ運動のニュース(70年10月〜12月)

 「新・女性解放運動」(『朝日』10月3日夕一面)というコラムは、フリーダンのマイホーム主義・批判は日本にも当てはまると、リブを排他的に見ない例外的な記事である。
 10月初めから都内版で「ウーマン・リブ ”男性天国”に上陸 各地にグループ続々と 超ミニ美人も勇ましく」(10月4日)「男の論理を告発する ウーマン・リブの弁」(6日)などと4回連続する「ウーマン・リブ」報道は、リブの活動家の声を座談会でニュースに仕立て上げている。日本のリブの初期報道は、数年のタイムラグがあったアメリカとは異なり大きな動きになる前の運動の声をすくい上げている。(ディスコース分析で後に詳述)。
 「やりますわよ ”おんな解放”ウーマン・リブ銀座に」(10月22日社会面)は国際反戦デーのデモ参加を報じる初めての全国ニュースである。ヘルメット姿でデモをする女性たちの写真がついている。都内版も同日、「ミニドキュメント 解放への”叫び”」を6段組みに写真2点というトップ記事として掲載。
 11月に入り、「ウーマンリブ14日にティーチ・イン」(11月2日)という予告。次いで4日、8日にもリブの活動家らの談話を座談会形式で掲載。この頃、文化欄の書評の「ウーマン・リブで新企画」は、「ウーマン・リブ」という呼称が定着したことを示す。一方、家庭面は、10月にアメリカの運動に参加した人の寄稿、11月には、ティーチ・インの司会をした樋口恵子の解説「ウーマン・リブ大会を司会して」(17日)など解説を継続的に載せている。さらに、11月の27日から市川房枝の「婦人の地位 日本とアメリカ」の連載が12月12日まで15回連続で掲載される。日本の女性運動の歴史を振り返り、アメリカのNOWについて論じるもの。
 12月1日には、「渦まく”おんなの論理”ウーマン・リブ運動の背景」が解説面で大きく掲載、『朝日』のリブ胎動期の集中報道はひと段落する。
 一方、『読売』『毎日』が日本のリブを報道するのは10月21日のデモが最初である。そのとき「ウーマン・リブ」という名称を初めて使う。『読売』は「”女性解放軍”も参加」の見出しの後「ウーマン・リブ(女性解放運動)のグループ約150人が便乗デモした」「黄色い声を張り上げてデモ」「機動隊員も激しいデモにタジタジだった」と「軍」になぞらえたり、機動隊を持ち出して過激さを強調する。
 他方、『毎日』は「”女解放”叫ぶ ウーマン・リブも」と見出し。「日本版のウーマン・リブ(女性解放運動)が旗あげ、銀ブラ族のドギモを抜いた」「「男は立入禁止」の立て看板を出して」「全学連ばりのうず巻きデモをした」など男との対立フレームで取り上げた。3紙に共通したのは、「日本版ウーマンリブ」(『朝日』『毎日』)、「男との対立」「戦い」という点である。写真があるのは『朝日』のみ。
 『読売』は、11月以降、集中的に「ウーマン・リブ」に取り組む。「ウーマン・リブ 女その性の解放 闘う女たちの叫びと24時間」と題し「ぐるーぷ・闘うおんな」の主張を社会面8段組みで紹介するのを皮切りに、「国王は男に限るか ウーマン・リブの一問題」(16日、婦人と生活面)、「広がるか日本のリブ運動」(20日婦人)、「”女性解放”を考える」(21日文化)、「ウーマン・リブの原点 目軍峻康隆」(23日婦人)。
 12月に入っても「ウーマン・リブというけど 戸川昌子」(2日文化)、「男、カメラお断り ウーマン・リブ200人気勢」(12月9日社会)で「12・8侵略と差別と闘う女集会」を写真付きで報道、29日にも「’70 人そのとき15 田中美津さん「”女性解放、理解して” セックス肯定が第1歩」と紹介する。
 一方『毎日』は、12月3日「’70のウーマン・リブをふりかえる」(毎日新聞社後援シンポジウムの報告)、1月9日の「リブ・渦の中で」などリブを生活領域を重視し、生産性論理を否定する新しい問題提起という受け止めをしている。12月9日に社説で「ウーマンリブの意味」を問い、リブ運動を女性の意識改革とするが、具体的運動はこれからと評している。しかし、記事数がはなはだ少ない。
 各紙時期的な差は多少あるが、「ウーマン・リブ」という名称が時代のトレンドと化し、12月頃にはその意味の拡大と転用が始まっていく。『朝日』は12月18日都内版で婦選25周年記念集会の記事で近藤会長を「オールドウーマン・リブ」と紹介、「ウーマン・リブ」の用語の意味を拡大する。『読売』も12月半ばに行われた参政権獲得25周年集会を「元祖ウーマン・リブが気炎」(18日)とするなど、「ウーマン・リブ」を新しい女性解放運動から広く女性解放運動へと転用していく。

(2)「ウーマン・リブ”男性天国”に上陸」(『朝日』70.10.4)のディスコース

 日本のリブ運動が初めて新聞に登場したのが、『朝日』70年10月4日の「ウーマン・リブ ”男性天国”に上陸」のニュースである。このディスコース(資料11)を分析する。

◇マクロストラクチュア

 このマクロストラクチュアは、「ウーマン・リブ ”男性天国”に上陸」である。英語のWomen's Liberationに「ウーマン・リブ」という和製英語の名付けをし、「上陸」という言葉を使っている。これが、「70年代リブは日本に上陸した」(女たちの現在を問う会、p277)という表現が後々まで流布し、「リブが「輸入品」と誤解された」(上野、1994、p10)という批判を生むことになる。
 台風や軍隊といった何か破壊的なものを連想させる「上陸」という言葉が「勇ましく」「続々と」と一緒になって「侵入」というイメージになる。但し、「超ミニ美人」を配しているので、本当に恐ろしいものとはみなしていない。加藤(1987)は、70年代初頭の日本の女性解放運動を「ウーマン・リブ」として報道したのはマスコミであり、そこには「侮りとからかいと「魔女」化のニュアンス」(加藤、1987,p208)が込められているという。「魔女」というニュアンスは、この時の「”男性天国”」と「上陸」というレトリックからも引き出されるように思われる。このマクロストラクチュアには、この運動が家族制度、結婚制度などの制度や意識の見直しという政治性を持つことはどこにも表されていない。

◇フレーム

 「ウーマン・リブ”男性天国”に上陸」というように「男女の対立」枠組みという点では、アメリカの8.26デモ報道と共通する。日本のリブ運動は、マスメディアに登場する最初の記事で「男に対立する運動」というフレームで報道され、定義を与えられていく。一方、リブ運動は、「おんな解放」を叫び、「平等」をスローガンにしないことが示唆するように、「男並みになることを目標に担われてきた女性解放運動」に違和感を持ち、「女から女へ訴える」(溝口、1992、p.195)というスローガンで運動を展開しており、運動には対立フレームはない。
 なぜ女性運動がこのように対立フレームのニュースになるのだろうか。北京世界女性会議の全国紙三紙の報道の分析でも、「新聞の主流のニュース・バリュー観が、まだまだ「トラブル・対立重視」である」(村松・藤原、1996,p199)と報告されている。日本の新聞のニュースバリューがもめ事・対立を重視しているのであろうか。
 日本の新聞のニュース・バリューについて入手できた中でもっとも詳しい日本新聞連盟(1977)を見ても、ニュースバリューには対立やもめ事という要素は見つからない。日本の新聞界のニュースバリューとして挙げられているのは、1新奇性 2人間性 3普遍性 4社会性 5影響性 6記録性 7国際性 8地域性(日本新聞連盟,1977p695-703)という8要素である。
 社会面で女性運動を対立フレームのニュースに仕立て上げる際のニュース・バリューを以上の要素から考えると、新聞メディアの歴史性から女性の活動を「女性」という「性」にまつわる事象として、新奇性と人間性から捉えるのではないだろうか。新奇性を男を基準として珍しさを強調するため、対立のフレームをとる。人間性を男の目で見たヒューマン・インタレスト(好奇心)に転化させ、女性運動をアイキャッチャー化するのではないだろうか。その結果、社会性、影響性、記録性でカバーされるはずの「政治性」「社会性」というニュース・バリューが落ちてしまうのではあるまいか。
 しかし、具体的なニュースに即してニュースバリューを論じた日本の論文、報告が少なく、女性運動だけの問題か否かも断定できない。この点は今後さらに考察を進めたい(15)。

◇スピーカー

 アクターとしての女性グループとその声を多く掲載している。この動向記事は、誕生したリブの運動体として「女性解放運動準備会」「女性解放連絡会議準備会呼びかけ人田中美津」「レディース・カルチャー・センター沢登信子」など著名人でなくとも個人名を挙げている。また、引用されているスピーカーとしては秋山洋子、樋口恵子の声がある。それらのグループや個人は、マイノリティであってもからかいのトーンはなく、厳正である。

◇ジャンル

 「”男性天国”」という現実の政治を表さない「超ミニ美人」「勇ましく」といった非・政治ディスコースを多用している。その結果、「非・政治ニュース」の類型となっている。
 この当時、『朝日』の都内版でも「タウン情報」のコーナーに名もない女性のちょっとした街角写真(16)をアイキャッチャー(紙面の飾り)として載せることが慣例となっている。日本最初のリブ運動のニュースを「超ミニ美人」という人目を引く見出しで紙面の「アイキャッチャー」として使い、女性運動の政治課題を全体のテーマとはしない。そうしてリブ運動は「政治」でなくなり、単なる人目を引くものというパブリック・アイデンティティがつくられることになる。

(3)「やりますわよ ”おんな解放”ウーマン・リブ銀座に (『朝日』70.10.22)のディスコース


◇マクロストラクチュア

 「やりますわよ”おんな解放”ウーマン・リブ銀座に 反戦デー ”男は締出せ 機動隊もタジタジ」」(『朝日』10月22日社会面)(資料12)は、「国際反戦デーに「ぐるーぷ・闘うおんな」の旗をかかげて女だけ50人がデモ行進したら、朝日新聞に写真入りで報じられ、この日が日本のウーマン・リブの旗揚げ日と記録されることになった」(溝口、1992、p209)と記録される記事である。
 マクロストラクチュアは、「ウーマン・リブ 反戦デーに 銀座に(出た)」であろう。写真が大きいのは、国際反戦デーに女性がヘルメット姿で買い物の街銀座に出た、という意外性を意味づけているように思われる。

◇フレーム

 このニュースも、これまでの日米のリブ報道と同様の「男は締出せ」「機動隊もタジタジ」といった「男との対立フレーム」をとっている。隣の「学生、乗用車に放火」と比較するとその差異が際立つ。対立フレームをとらずに、学生の行為の中でもっとも社会性が高いと思われる「放火」をテーマにっしている。では、「放火」より「ウーマン・リブ」を大きなニュースにするニュース・バリューはいったい何か。それは、「「ウーマン・リブ」の日本版が初めて街頭に進出した」ことを示すヘルメットの女性たちの写真にあるように思われる。『毎日』『読売』の写真なし記事がベタ記事で、『朝日』が大きな記事になっている。また、リブ運動のニュースにはいつも映像がイメージされる。デモをする写真やヘルメット姿でデモに出る、厚生省職員ともみ合うなどといった家庭や子どもと一体であったこれまでの女性像とは異なる「闘う女性」像がそこには表象されている。それがリブニュースのニュース・バリューを作り出しているのではないだろうか。

◇ジャンル

 また、「やりますわよ」という非・政治的話法や、4段組みの大きな写真と「思いもよらぬ激しいウーマン・パワーに機動隊員もびっくり」といった写真のキャプションによって政治性や社会性を抜かれた「非・政治ニュース」とされている。この写真を伴ったニュースは、日本の女性運動を「闘う女たち」ではあるが、「政治」ではないというパブリック・アイデンティティをつくる。
 一方、E. van Zoonen (1992)は、オランダのウーマン・リブのパブリック・アイデンティティとして「解放は正しいが、フェミニズムは逸脱」「運動家は普通の女性ではない」「運動は男を敵視対する」という3つを挙げている。「男との敵対」「機動隊員もびっくりするような過激な女性」とする日本のリブ運動との共通点が見られる。Zoonenはそれらのアイデンティティが、運動家と記者双方の、イデオロギーの衝突や組織のルーティン、個人的な傾向や好みなどの複雑な相互作用によるものとしている(Zoonen, 1992,pp.464-474)が、日本での相互作用を以下で検討したい。

(4)運動とメディアの相互作用

 マスメディアと女性運動の進展に関しては、諸外国ではフェミニスト・メディア研究の一大テーマ領域となるほど関心が高い。マスメディアの「女性」報道(17)と「女性運動」との相関関係については、1900年から1977年の期間の『ニューヨーク・タイムズ』及び『リーダーズ・ガイド』誌に載っている雑誌、及びテレビ報道を対象にFrancesca M. Cancian & Bonnie L. Rossが調査したところによると、女性がニュースに多く報道されるのは女性運動の盛んな時と時期的に一致しているという(18)。しかし、もっとも報道が多い1910〜20年頃でもその割合は1.1%程度にしか達せず、女性がメディアで周縁化されている(Cancian & Ross,1981)。
 メディアと女性運動との相互作用の要因については、公民権運動や女性運動など従来の組織ルーティンに変化を要するような新しいタイプの出来事(公民権運動のすわり込み)などは報道されにくいことを指摘している(Cancian & Ross,1981,pp24-25)。
 メディアと運動の相互作用に関するアメリカの研究では、初期の報道は黙殺され、「ある時一斉に(メディアが)出来事を追いかけた」(フリーマン、p212-215)というのが定説となっている。その理由を「記者たちが横のつながりで知り」(タックマン,1991)ニュースになったと、パック(群衆)・ジャーナリズムに帰しているが、日本のメディアと運動の相互作用はどのように展開されただろうか。また、そこには何が影響しているのだろうか。
 日本では、70年10月4日「ウーマン・リブ”男性天国”に上陸」から『朝日』が他紙に先駆けて「ウーマン・リブ」のニュースを継続して展開する。「男の論理を告発する ウーマン・リブの弁」(10月6日)、「”本場の”ウーマン・リブ 意識革命がネライ」(10月8日)、「ウーマン・リブ オレたちにもいわせてくれ」(10月10日)「Women's Liberation 三十代女性の弁」(11月4日)、「ウーマン・リブ裁判所の場合」(11月8日)というニュースは、東京都内版(社会面)に掲載されている。島田とみ子記者の署名入りの10月8日の記事を除いて、これらは当時首都部(都内版)の遊軍であった蜷川真夫記者がすべて書いたという(19)。どうして誰もニュースにしないこの運動をニュースにしようと思ったか、という筆者の質問に蜷川記者は、次のように答えた。「60年代に広範な文化人を巻き込んだ性解放・性教育の運動があり、学生時代からその運動に関わっていた。リブの運動もそれを底流とする運動として理解した。潜在化したものも含め、一つの潮流をうまく事象で説明するのがジャーナリストだ。実際報道した後は読者の反応が大きく、数多くの集会が開かれ、よい論文が書かれ、運動は盛り上がった。そういう反応の大きさがウーマン・リブという一つの潮流の存在を示している」
 実際、『朝日』の記事が運動の接着剤になったという証言が多く見られる。女たちの現在を問う会編(1996)、溝口・佐伯・三木編(1992)、秋山(1994)などリブ運動当事者の記録には、リブを『朝日』都内版で知り(溝口、1992、P4,329)、連絡先を都内版担当記者に問い合わせ、リブ運動のグループに連絡をとった(女たちの現在を問う会、P208,210)と証言する人たちが多数いる。『朝日』都内版が多くの女性たちをリブ運動に参加させる資源として機能したようだ(20)。蜷川記者も当時記事を書くと反応が大きかったことを記憶している。
 また「ウーマンリブ」の名付けの必然性について蜷川記者は次のように語る。「「女性解放運動」というと古いたての関係というイメージなので、新しい運動のコンセプトを伝えるために、アメリカの資料も読み、当時「ウイメンズ・リブ」というニックネームが使われていることを知って、日本語として落ちつきのよい「ウーマン・リブ」という言葉をつくった。一つのコンセプトを知らせ、ニュースにするにはわかりやすいキーワードが必要です」(21)
 また、このリブ報道は、「一定の期間に起こる出来事に基づく同一の主題に関する一連の記事」という「継続ニュース」(22)として扱われている。すなわち、社会面ではあるが、このリブ運動報道は、出来事ではなく、ひとつの新しい動向を報道したキャンペーンであった。その新しいコンセプトを新たに「ウーマン・リブ」という「わかりやすいキーワードで事象化」(蜷川証言)したものである。しかし、それは、後々まで外来思想という制約とその名称が出てきた時のインパクトやイメージ(デモのヘルメット)を引きずる結果となり、その後、運動が一部の「勇ましい女性たち」のものという制約を与えることにもなった。
 一方、「女性運動がメディアにより歪曲されるのは、メディアによってラディカルなものが奇矯とされるため」(Morris、1974、p539, 藤枝1990、p9)という見方がある。この点を蜷川真夫、佐藤洋子記者に尋ねると両氏とも、当時、安保反対運動、ベトナム反戦運動、学園闘争など激しい運動が展開されていたことを挙げて「決してラディカルなものという認識はなかった」と否定する。佐藤は「むしろ、リブが言っていることは、自分がこれまで婦人問題だと思っていたこととまったく違うので、何を言っているのか聴こうとした」(23)と述べている。
 見出しでは対立が強調されているが、蜷川記者の記事は座談会では著名人や権威あるニュースソースを使うという手法をとらず、無名の運動家個人をスピーカーとして積極的に新聞の声にしている。当時の都内版デスク涌井昭二(現・九州テレビ朝日社長)が「おもしろければ何でもよし」とする「社会面のノリ」(佐藤記者)のデスクだったためか、蜷川記者の原稿はすべて記事になった。
 メディアの初期報道は運動を嘲りの的にしたが、それはニュース制作者(男性)の男性の関心事が重要なニュースという職業上のイデオロギーによる(タックマン、p183ー186)という見方がある。否定するものではないが、もう少し複雑な要素が絡むように思われる。例えば、蜷川真夫記者は女性運動を自分も参加していた性解放運動の枠組みでとらえ、新しい社会運動ととらえた。だが、ニュースとして新聞の紙面に上げる際のニュース・バリューのルーティンにより、蜷川記者あるいは見出しをつける整理部が男女の対立という切り口を活用したのではないだろうか。「渦巻く”おんなの論理” ウーマン・リブ運動の背景 ぐちの中に問題点」(『朝日』70.12.1解説面)で、蜷川記者はマスコミにのったのは「ウーマン・リブのほんの一面にすぎない」とし、従来の「婦人運動とどう違うのか」「なぜ今の時期に起きたか」などと、支配/被支配、男女の対立といった枠組みとは一線を画した解説記事を書いている。あるいは、社会面と解説面という面による記事の制作ルーティンの差なのだろうか。
 また、日本の報道の流れを見ると、アメリカのように「記者達が横のつながりで知り、ある時一斉にニュースになった」(タックマン、1991)という見方には同調できない。10.21デモの報道は一斉だったが、その前後関心を示さない『毎日』、遅れはしたが婦人面を中心にねばり強くニュースをつくる『読売』など各社の差異が目立つ。「『朝日』という大きな組織ですが、たまたま社会部に蜷川記者、学芸部に佐藤がいたというそれだけのことです」と佐藤記者が述べるように、外からはシステマティックな組織のように見えるが、案外記者個々人の職業意識によるニュース・バリューの選択に左右されているのであろう。但し、そうした「何がニュースになるか」について大枠は決まっていると蜷川記者は言う。「ニュースの選択については社内で協議したりしない。しかし、社内、あるいは部内で書くものの領域は大体決められてくる。性表現のように時代によって変化もする。個人の記者はその範囲を知っていてその中で自分の触覚によってネタを探す。ただ、個人差もある程度あるし、技術によってその幅を広げることもできる」(24)

3 第3期:運動の伴走者としての女性記者

(1)リブ運動のニュース(1971年以降)

 1971年1月以降の『朝日』は、「性 家庭 女性 男性中心社会に反発 村松博雄」(13日)と「リブの波に押され女性の入会認める ワシントンのナショナル・プレス・クラブ」(17日社会面)など社会面での新たな現象の報道、と家庭面でのリブ思想の解説的記事との2本建てが続く。
 「セックス・リブ”政府を動かす 5月ごろ、初の青少年意識調査」(2月22日社会)や「リブの”闘志”も献花 サヨウナラらいてうさん」(5月31日社会)などのように、「○○リブ」という転用や「リブ」をアイキャッチャーに使うなど早くもリブの意味の拡散が始まる。。
 一方、報道が多いのは『読売』である。1月1日に女性の職場進出の結果、主婦の自信や発言力が強くなり、「ウーマンリブの”おんな闘士たち”がいよいよ実力行使に入る年」とする「ウーマンこわい パワーアップ」と題する記事を載せている。イラストは、「ウーマンリブ反対」のプラカードを持つ男を甲板に上がったミニスカートの「おんな闘士」がつまみ上げるという「女性上位」の図を示す。
 また、1月23日夕刊の「よみうり寸評」は、「中年の女房が旅行マニアとなって、カネをヘソくっては全部旅行に使う」という投書を引用し、「日本の男にとって恐るべきはウーマン・リブではない。ウーマン・トリップだ」とする。1月28日都民版の「”離婚度”診断します」という離婚相談所繁盛期といった報道で、「女性上位、ウーマンリブという世相なんでしょうか」と女性の忍耐が足りないという相談員の声を載せている。「ウーマンリブ=女性上位」というとらえ方が見られる。
 「リブ」や「ウーマン」「パワー」という用語は、意味の拡大、転用をもたらしながら時代のトレンドと化していく。「ソ連版ウーマン・リブ」(12月16日)、「”元祖ウーマン・リブ”が気炎」(12月18日)、「ウーマンこわい パワーアップ」(1月1日)、「”尼さんリブ”に揺らぐ法灯」(2月18日婦人と生活)、「公害にウーマン・ピケ」(2月9日)、「団地パワー 女の”公害退治”」(3月7日)などに見られる。
 『読売』はこうしたリブ批判も多い一方、リブ運動を考える報道も長期的に継続しているのが目立つ。「ウーマン・リブの条件」という瀬戸内晴美、磯野富士子の対談は1月18日の「71年の対話B」で1ページを使う、22日の婦人と生活面での「ウーマン・リブへの道遠し」を取り上げる。読売には、息長くリブ運動をとらえニュースにする一方、批判も混在する。
 一方、『朝日』の4月からの東京版で松井やより前特派員の「少数派」の連載が始まる。第1回で「リブとKARATE 男性社会をくつがえそう」(4月2日)を取り上げる。参政権25年の女性座談会でもリブ運動がテーマとなるなど、紙面からはリブ運動への一定の関心が認められる。5月には平塚らいてうの葬儀に「リブの”闘士”も献花」と麻川ゆきのコメントが載る。
 以後、主なできごとからニュースを追っていくと、71年8月21日から24日にはリブ合宿が開催され、『朝日』『毎日』は合宿報道を社会面に載せる。「意欲とグチとゴロ寝と ウーマン・リブ大合宿」(『朝日』8月25日社会)、「「リブってなにサ」「男ってかわいそう」合宿女館」(『毎日』8月23日夕)は、いずれも参加者の語りをそのまま生かすルポ形式である。男との対立フレームというリブ運動報道のパターンを踏襲する。8月27日には「ウーマン・リブ大行進」で、アメリカの婦人参政権51周年記念のデモをノー・ブラジャーのグラマーたちがなごやかなデモをしたと書く。
 9月には、『朝日』家庭面が「ウーマン・リブの一年アメリカと日本」上・下(22日、23日、後にディスコース分析で詳述)を報道。ウーマン・リブの持続的な報道はこの辺が最後となる。その後は、リブ運動が集会やデモを行った時ぽつりっぽつりと報道がされる。
 そうした例は、72年5月の「全国リブ合宿」に関する「男をむしるリブ集会」(8日社会)、「”おんな解放”なにを求めて? 「全国リブ大会」から」(10日家庭)。さらに、72年10月16日リブグループの主催する「優性保護法改正に反対する全国同時デモ」を「性の国家管理イヤ 広がる女性デモ」と小さい記事にする。
 その後73年5月12日「厚生省へリブ旋風 優生保護法改正案反対で”直訴”」、5月16日「リブさん失礼 厚生省すわり込みを実力排除」がいずれも、厚生省職員と激しくもみ合う写真を添えて報道されている。リブは次第に新聞記事で目立つ扱いをされることは少なくなっていく。リブの活動は、未婚の母差別のK子さん支援活動や蓮見さん支援運動、キーセン観光反対運動など地道に展開されたが、社会部松井やより記者が報じたそれらの記事はリブ運動というフレームで報じられるておらず、ここでは対象としない。
 「リブに否定的なイメージを持つ」「リブの代名詞」(上野、1994、p15)が中ピ連という認識は浸透している。そこで、中ピ連の報道を追ってみたが、新聞に出た中ピ連はそう多くはなかった。74年7月に中ピ連有志で結成された「女を泣寝入りさせない会」の活動は、『毎日』が74年8月20日「亭主の会社へ”女ヘル団”中ピ連新戦術」、同10月9日「女を泣寝入りさせない会 また亭主の会社へ押しかける」などヘルメット姿の写真とともに掲載している。だが、巷間言われているような「ウーマン・リブ」という名付けでキャンペーンがされているのではない。これまでのウーマン・リブ運動報道が「男を敵対視する」運動という意味付けがなされていたので、「女を泣寝入りさせない会」の「女の敵」(男)をやっつけるという主張がそのままリブの流れとして理解されたのだろう。ここでは新聞だけを対象としてきたが、テレビや雑誌の報道を含め、リブ運動のトータルなパブリック・アイデンティティの検討が必要と思われる。
 これ以後、女性運動や女性たちの問題提起が大きく紙面に掲載されるのは、1975年の「国際婦人年」まで待たねばならない。『朝日』は75年1月から家庭面で「男女平等考 国際婦人年に寄せて」や「わたしの男女平等論 国際婦人年に寄せて」を開始している。「リブ運動」が提起した「おんな解放」が国際婦人年を契機に「男女平等」というキーワードにかわる。70年初頭に展開された世界のリブ運動が新たなステージに達したことを知らせている。

(2)「ウーマン・リブの一年 アメリカと日本 上・下」(『朝日』71.9.22&23家庭面)「おんな解放、何をもとめて? 全国リブ大会から」(『朝日』72.5.10家庭面)のディスコース

 社会面ニュースが登場する女性をワン・ロール・イデオロギーにより政治参加を拒否するディスコースを使って構築し、女性運動を写真などでアイキャッチャーにする中で、それとは異なる報道を展開するのが家庭面である。家庭面は、当初から「ヘルメットの社会面とは違うリブの思想を伝えたい」(佐藤記者)という方針で取り組む。
 また、リブの思想的解説とは別に、家庭面はリブが提起した女性問題を生む社会システム全体を視野に入れた以下の企画を連載していることを付記しておきたい。70年秋からは15回連続で「婦人の地位 日本とアメリカ」という市川房枝による寄稿記事が掲載される。71年に入り、1月からは10回シリーズの「働く夫婦’71」、2月からは「男と女」シリーズが週1回程度のペースで71年12月まで長期連載される。8月から9月10日までもろさわようこの「おんなの戦後史」の18回連載が続く。
 第3期の代表的なリブ報道として家庭面のニュース(25)のディスコースの中から、「ウーマンリブの一年 上下」と「”おんな解放”何を求めて?」の三つのニュース・ディスコースを分析する。

 @「ウーマン・リブの一年 アメリカと日本・上 理論模索する時代へ 既成の理論に疑いの目」(『朝日』71年9月22日)(資料13) 

 A「ウーマン・リブの一年 アメリカと日本・下 各地にぞくぞく「核」が誕生「まだ観念的との批判も」(『朝日』71年9月23日)(資料14)

 B「おんな解放、何を求めて?」全国リブ大会から”差別と抑圧”から出発 具体行動問われる段階」(『朝日』72年5月10日)(資料15)

 これらの家庭面のリブ運動のディスコースをこれまで考察した社会面のディスコースとどのように違うか、に留意しながらディスコース分析を行う。

◇マクロストラクチュアとフレーム

 まず、これら家庭面のディスコースのマクロストラクチュアを見ると、社会面で見られた男女の対立フレームもない。ことさら私的なレベルの話法を使ってリスクの少ない文化や生活の話題に仕立て上げることもしていない。
 このマクロストラクチュアでテーマとされていることを見てみよう。「核が誕生」(A)、”差別と抑圧”から出発」(B)とその出発点を確認したうえで、現状を「まだ観念的との批判も」(A)、「具体行動問われる段階」(B)と位置づける。そしてさらに、「理論模索する時代へ」(@)「何を求めて?」(B)と、どの方向へ向かっていくのかを問うている。
 社会面のディスコースが「ウーマンパワー大行進」「ウーマン・リブ”男性天国”に上陸」「ウーマン・リブ銀座に」といったある出来事の結果だけを取り出したテーマ設定であるのに対し、家庭面のマクロストラクチュアやフレームには、リブ運動の展開をその発生から将来の方向性まで断片的ではない流れのプロセスとしてとらえる視点がある。
 社会面を「結果型」と呼ぶなら、家庭面は「プロセス型」のニュースのフレームということができよう。

◇ジャンル

 リブ運動のニュースは、家庭面では私的話法の形態をとったり、喜劇のメタファーを使ったりせず、政治的課題はそのまま「政治ニュース」として扱うものである。「模索」「疑い」「批判」「問われる」などのレトリックから、「リスクが少ない」ジャンルの生活や文化に重点をシフトさせるディスコースの特徴は見られない。

◇スピーカー

 @は、アメリカのリブ運動に関するニュースであるため、マリーン・ディクソン、ケート・ミレット、ベティ・フリーダンなどアメリカのリブ運動家の主張を文献を通して紹介している。そこでもことさら対立フレームはとらない。Aでは、日本のリブ運動家の主張を酒井はるみの論文、田中美津、小沢遼子らのコメントを通じて紹介する。Bも同様に、全国リブ大会の出席者の発言および、田中美津、小沢遼子のコメントを運動の主張だけではなく、具体的行動が求められるという問題提起を含め紹介する分析、解説記事である。
 これらのディスコース分析から言えることは、家庭面のニュース・ディスコースが男女の対立フレームや、非・政治のディスコースはとらず、「政治ニュース」で分析や解説をし、運動家をスピーカーにするといったマイノリティ・ディスコースの特徴をまったく持たないディスコースである。
 それにつけ加えて、「結果型」の社会面のニュース・ディスコースとは異なり、なぜ起きるのか、どのように展開しているか、といった「プロセス重視型」である。
 新聞連盟(1970)の見出しのつけ方の項には、「新聞記者はまず「疑え」と教えられる」「近代ジャーナリズムは、さらに一歩をすすめ、「原因の追究」に力を注げと教える。いわゆる「ホワイのジャーナリズム」と呼ばれるものがそれである」と説いている。
 原寿雄は、ニュースバリューの見直しが必要という主張の中でwhyのジャーナリズムこそが新しいニュース・バリューであることを示唆する。「ニュースバリューの見直しは5W1H方式についても言える。いつ、どこで、誰が、何を、どんなふうに、何故 - のうち「なぜ」を重視するジャーナリズムが強調されながら実現していない」(原1987、p152)。家庭面にこうした「プロセス重視型」で「なぜ」を追求するディスコースが目立つのは偶然なのだろうか。
 一般に家庭面というと、そのスタートが家庭運営の実用情報中心であったため、社会面のほうが社会事象に迫っているように考えがちだが、時代とともに家庭面が「「社会生活の価値観を見直す」ヒントを提供する」(北村・福士,1996,p.263)紙面としても機能するように質的変化をしているのだという。他のトピックについて調べていないので断定できないが、リブ運動に関して家庭面は、「プロセス型」により、原のいうところの「whyのジャーナリズム」を追求する場として機能しているのではあるまいか。
 平和、環境、福祉など他のトピックについても家庭面のニュースのフレームとそのジャーナリズムの機能について他の面と比較、検討する必要があると思われる。

4 ジェンダーとニュース・バリューの再定義

 リブ運動とメディアの相互作用については、女性運動と女性記者との同盟があったというアメリカの報告(タックマン,p.197-202、Barker-Plummer,p313-315)があるが、日本では女性記者と女性運動の関係はどうだったのだろうか。当時の日本の女性記者数については、74年で261人で、0.9%に満たない少数であった。「ぐるーぷ・闘うおんなの田中美津さんは『朝日』が報道することを知って10.21デモをかけた」(蜷川記者)というように、当初からメディアとの相互作用を戦略に入れて対応していたことがうかがわれる。
 71年8月のリブ合宿の際には、「孤軍奮闘する女のジャーナリストへのささやかな援護射撃の意味と、とにかく女の記者、カメラマンの数増やさせようというコンタンをこめて」(溝口、1992、p.324)女性記者だけに参加を限るという方針を出してもいる。
 但し、女性記者との相互作用は、順風ばかりではない。『朝日』学芸部の佐藤記者は、「リブの集会には個人として参加した。記者として参加すると、”ブル新のエリート”といって批判されるのがこわかった」と述懐するように、学生運動を経過したリブのスタンスは体制・権力批判が強く、女性とはいえ、新聞社の女性記者との連携がスムーズにいった訳ではない。しかし、女性記者のほうは、「リブの主張がぴったり胸に落ちていく。その主張、イデオロギーを伝えたい」(佐藤記者)と自ら積極的に担当する家庭面でリブを取り上げる。
 ただ、女性記者が取材したものでも、71年8月のリブ合宿は、『朝日』社会面も『毎日』社会面も(1)リブ運動のニュースで記したように非・政治のニュースとして報じられているなど属性だけの問題に収斂させることはできない。面ごとのニュースの切り口やニュース・バリューなど編集方針が関係していると思われる。
 女性記者は、ニュースをどのように報道するかより何をニュースとするか、が男性記者とは異なるという指摘がある(Kay Mills, 1997,pp.41-55)しかし、日本の女性記者の参入は8.6%(1996年度)とわずかで、35、0%(1993年度、村松1995,p245)というアメリカの参入度とは単純な比較ができないだろう。
 全国紙のある記者が「どのような切り口で記事を書くか」が重要と言っていたが、リブ運動のニュースのディスコースを分析した結果からは、どのようなニュース・フレームでニュースをつくるか、に家庭面の女性記者と社会面の男性記者に違いがあるように見えた。具体的に言うと、社会面の男性記者は、「対立フレーム」「戦いフレーム」を使って出来事の結果だけを報じる「結果型」のニュース・フレームで、家庭面の女性記者は「なぜ起きて、どこへ向かうか、どんな展開をするか」といった「プロセス型」のニュース・フレームを用いていた。女性記者が「プロセス型」をとった理由として、「社会面の記事では自分の知りたいことが書かれていない。自分もリブ運動が何を言っているのか知りたいので、市川房枝、もろさわようこなど専門家に寄稿してもらった」(佐藤記者)と述べる。
 それは社会面と家庭面のニュースのフレームの違い、ひいてはニュース・バリューの違いということになるかもしれない。その点は検討したディスコースが非常に限定されているので結論を急ぐことはできない。今後、他の時期の女性運動のニュース、例えば、世界女性会議のように特派員の派遣により、全記事が署名入りの時期などを抽出し、また女性運動以外の社会運動について分析することにしたい。
 一方、社会部記者であった松井やより記者は雑誌で読んだアメリカのリブに衝撃を受け、いったいなにが起きているのか、知りたいとアメリカのリブ運動の文献を翻訳するグループをつくる。その後、環境問題で半年の海外出張の際にリブの取材も同時に行い、帰国後、都内版で「少数派」というタイトルの連載を始めた。
 この「少数派」というニュースの切り口が示すのは、新聞社のニュース・バリューである誰かが勝って、誰かが負けるという「支配/非支配」の「戦いフレーム」とは相いれない、異なる他者を同様に認めるという「多様性」「共存」フレームにである。彼女は「リブ運動に触れるまで女性ということを出さないで実績をつくる方針で来た」が、その後は社内の批判を浴びながらも女性、エスニシティなど少数派の視点を貫いたニュースを送り続けた。
 こうした女性記者の発言からは、ニュースの切り口、ニュースを書く視点がジェンダーに関しては男女で異なる可能性があるよううにも思える。社内で少数派として働く女性記者の意識を調査した影山礼子は、「弱者からの視点も、メディアへの女性参加により促進される」(影山、1991,p170)と指摘する。但し、諸外国のメディアで働く女性の現状と問題点を報告している堀川恵子は、女性が35%に達しているアメリカの例を引き、「数の増加だけでは不十分で、女性とマイノリティが社会の一部であることを認めるよう、ニュースの定義そのものを拡大する必要がある」とミズーリ大学J・ウィルソンを引用して述べている。同様にvan Zoonen , L.も、女性の記者が書いても女性像は変化しないというギャラハーの報告を引いて、ニュース内容だけではなく、ニュース制作との2つの軸を視野に入れた研究の必要を指摘する。
 さらに、記者から研究職に転身したMaurine Beasleyは、「女性記者:男性の経験に貢献するか、女性の新たな声となるか」という論文で、内容分析、社会・経済的研究、伝記などを駆使したスーザン・ヘンリーの仕事を紹介し、ニュースの選択を決定する男性記者、女性記者の個人的生活に研究の関心を向ける必要を説く(Beasley,1990,p.53)。女性記者、男性記者というジェンダーとニュース選択やニュース・バリューを考察する際には、ジェンダー弁別に深く関与している私領域の生活へ踏み込んだ検討も必要かもしれないと思わされる。表面に見える記者の性別十言う属性とニュース選択、ニュース・バリューが一直線のものでないことだけは確かである。
 一方、家庭面という面特有の性格はどのように係わっているのだろうか。家庭面は、「女性の立場に立って、女性の権利を守り、男女平等をかかげて編集されるページ」というのが「長い歴史で神聖な不文律となっているといっていい」(北村・福士、1996,p268)という。一方、タックマンは、「同じ出来事でも異なる解説で書かれたり、異なる筋書きでかかれ足り、異なる扱いを受ける。つまり異なる語り口になる可能性が高い」(タックマン、p.205)とのべ、その理由として「長年関わっている情報源の見方を取り入れるようになるからだ」とする。
 「記者生活の中でもっとも衝撃を受けたのはやはりウーマン・リブの運動」「日々取材しながら自分の物の見方が毎日変化していくような気持ちでした」(女性ジャーナリスト・ペン検証と研究の会編、1996の佐藤洋子の「あとがき」より)に如実に示されている問題意識は、それを反映させることが他の面よりは容易な家庭面の紙面的な位置づけによって実現したのだろう。
 一方、女性運動はニュースとの相互作用により、ニュースやニュースのルーティンを変化させることができるか、という点について考察してみたい。3章を通して、公共圏をめぐるジャーナリストと運動との交渉、闘争を見てきて注目されるのは、佐藤、松井両記者がリブ運動から物の見方を変えるほどの衝撃を受けたと証言していることである。リブ運動からの記者への影響の強さを明示するものである。
 さらに、朝日新聞社で働く女性が労働基準法の深夜の女子禁止条項改案をめぐって集まったことがきっかけでつくられた『おんなの叛逆』という冊子が71年1月に出されてもいる。71年1月に書かれた『おんなの叛逆』への原稿届け先には、下村満子、佐田智子、大熊由紀子など『朝日』の現役記者の名が連ねられている(溝口、1992、p380)。こうしたリブ運動と女性記者たちの相互作用が彼女らのニュースという日々の活動に少なからぬ影響を与えたことをうかがわせる。
 「なぜ、どうして、どこへ」という「プロセス型」および少数派の意見を共存させる「多様性型」のニュース・フレームはいずれも、「対立や抗争」「支配/被支配」「戦い」という権力と支配の価値観に基づく事件の「結果型」ニュースを再定義したものである。70年代リブ運動は、少数ではあるが、その主張に強く影響を受けた女性記者を通じて、ニュースの切り口やニュース・バリューなどに「プロセス型」「多様性型」などのモデルを提示したと思われる。
 そして、その後の佐藤洋子・松井やより両記者は、それぞれの持ち場で少数派の視点から「プロセス」と「多様性」を重視したニュースを継続して送り出していった。
 こうした記者の運動が相互に異なる他者として出会い、緊張に満ちた対話を繰り広げ、相互に影響を与えあうことが公共圏をめぐる女性運動と記者との闘争、交渉である。リブ運動は、一般の紙面ではマイノリティ・ディスコースとして扱われたが、一部の記者と紙面を資源としてその後も社会に一定の主張を展開していく足場を作った運動と位置づけることができるのではないだろうか。

<注>


1:ニュース・フレームについては、1章2研究方法に説明を加えた。
2:「政治ニュース」とは、女性運動が提起している政治課題を政治の問題として公開された言説空間である公共圏に上げたニュースを指し、「非・政治ニュース」とは、政治課題を非・公的文体や語彙などを用いて文化や生活の話題といった「リスクの少ないジャンル」(van Dijk)のニュースに転換したものを指す。
3:『朝日新聞』を主対象にした理由の一つには、縮刷版に索引がつけられているため、見落としがないという実務的な点がある。
4:1968年のミス・アメリカコンテストに際して「自由のためのごみ箱」に女性を抑圧する道具を投げ入れるということは行われた(フリーマン、1978,p162)が、焼き捨てではない。
5:タックマン、Cancian & Rossが同様の指摘をしている。
6:ニューヨークタイムズ社『ニューヨーク・タイムズ・インデックス(索引集)』のWomenの項は「一般的なデータと普通ではない活動」を収載しているとある。
7:なお、『ニューヨーク・タイムズ』紙を参照したのは、運動が展開された都市圏の新聞であることと、先行研究が多く言及していることによる。なお、『ニューヨーク・タイムズ』は、「他の新聞より完全である、他の都市新聞と偏向傾向は一致している」(Cancian & Rossが Jenkins& Perrow,Insurgency of the powerless:Farm worker movements(1946-1972).American Sociological Review ,1977, 42,249-268.から引用)と評価されている。
8:「フェミニストにとってもまず美容室」という、このストの全国委員長であるフリーダンが美容室に立ち寄ったために20分遅れてきたというからかい気味の記事も、決して消えたわけではない。同日の社説「解放された女性(Liberated Women)」の含意も検討に値するだろう。
9:30面の記事の見出しは以下の通り。「1万人がデモに参加し通りを埋める」「フェミニストにとっても美容室が先」「ニクソン大統領の女性参政権50周年を祝う声明」「議会で憲法修正のロビー活動開始」「フェミニスト哲学者キャサリン・ムレー・ミレット」「ニューズウイーク社、女性の昇進のスピードアップに合意」「多くの女性たちの間でこの日のことは話題になった 軽く、また真剣に」
 なお、家庭面に該当する”Food,Fashion,Family,Furnishings"欄でも、著名な女性50人に女性の平等権について聞く、料理が得意な男性医師の記事など女性の権利関連の記事が目立つ。但し、「○○嬢が○○男性と結婚した」という女性の大きな顔写真を添えた社交界の結婚情報も日曜日には掲載されている。
10:例えば、71年1月28日『読売』「珍商売繁盛期”離婚度診断します」に「女性上位、ウーマンリブという世相なんでしょうか」というコメントが見られる」。また、日本のリブ運動家はこの報道の直後から「マスコミが支配体制の要請にこたえてデッチあげた昨日今日の軽薄な<女性上位>」(溝口、1992,p198)とそのレトリックがマスコミによって構築されたものであることを見破っている。
11:後に見るように、日本で最初に「ウーマン・リブ」を報じる『朝日』の10月4日の記事でも、同様に「天」の一字を用いた「男性天国」を使っていることは「天」に共通の「想像上の」「現実ではない」という意味付けをしているようだ。
12:70年代初頭の「ウーマン・リブ」が一面に掲載された例外的記事が『毎日』70.8.27の「全米で赤い気炎 三要求掲げ女性だけのデモ」である。この時使用された写真は、「女たちは平等を要求する」などプラカードが大きいワシントンのデモ風景(AP=共同 )である。政治的主張を明示的に示す写真の使用や見出し・キャプションが「三要求掲げ」など政治課題を示していることは、一面の政治ニュースになったことと関係していると思われる。但し、「赤い気炎」という見出しや「女同士は強いわよ」「ベティ・フリーダンというおばあさんを総元締め(強調は筆者による)」などという政治ニュースでは使われない文体が使われていることも事実である。『ニューヨーク・タイムズ』8.27デモの写真は『朝日』と同じUPIサンの写真である。
13:新聞、テレビの記者、編集者との学習会で若手の記者が、おじいちゃんを撮ってきた後輩に「朝からこんなおじいちゃん見たないでぇー、やっぱり若い女性の方がいい」というのが自分自身を含めた現場の声だと語った。こうしたニュースバリュー観が最近でも(1991年当時)制作現場であることを示す発言である。そして、「要するに新聞は男が作っているからです。男の視点で見ているからなんです」と男が作る新聞の反映という見方を示している(メディアの中の性差別を考える会編、1993、p175)。
14:新聞が「○○わ」「○○よ」などの「女性が話すはずの言葉」(規範的言語)を外国の政治家や日本の警察署長の発言として使った例はすでに報告した(上野千鶴子+メディアの中の性差別を考える会編、1996、p126−127)。これほど多数ではないが、現在でもこのようなコンテクスト無視の話法の乱用はなくなっていない。
15:一方、欧米のGaltung & Ruge、Gans, Tuckmanなどにより蓄積されたニュースバリューの研究では、ネガティブ性(negativity)をニュース・バリューの1要素として挙げている(Dijk, 1988,p123, Bell,1991,p156)。Bellは、なぜという理由を示すのは難しいが、人間に損害や傷害、死をもたらすネガティブ性は事件や災害をニュース価値があるとみなされる、と記している。
16:例えば、「土曜日の午後」というハトと戯れる女性の写真(70年11月29日、「選ばれたことの恍惚と不安と」というミスに選ばれた女性のアップ(70年10月10日)など慣例的に掲載されている。
17:「女性の報道」の数値化は、『ニューヨーク・タイムズ・インデックス』の”Woman ”,” Women”の項と”see also(の項も参照)”の欄の女性ニュースもカウントし、記事全体量からその割合を出したもの。この方法の問題点としては、フェミニズムの主張と反フェミニズムと区別できないこと、及び時期により"women"というカテゴリーの編集が変化してきていることを著者は挙げている。
18:但し、運動の強さが測定不能なために、報道量の増減と運動の強弱との相互作用について著者らは 結論づけてはいない。その報道内容は、女性運動が進展し、報道量も多い1911、70年には、女性の権利が大半を占める一方、女性運動が活発でない1940、50年には伝統的な女性の関心事が多く報道され、運動が瀕死の1925年には伝統的な性役割イデオロギー支持がもっとも多かったという。
19:1996年10月17日、筆者とのインタビューでの蜷川真夫記者の発言。断りがない引用はすべて筆者とのインタビュー時のもの。
20:女たちの現在を問う会の座談会「リブセンをたぐりよせてみる」で若林、遠藤、米津さんが10月の新聞を見て連絡をとったことが書かれている。また、秋山(1994)によると、榎美沙子さん(後に中ピ連代表)から新聞を見てアクセスがあったと述べているなど「新聞」を情報源としてという声が多く収録されている。
21:1996年10月17日、筆者とのインタビューにおける蜷川真夫記者の発言。
22:タックマン、1991,p65-66
23:1996年11月11日、筆者とのインタビューにおける佐藤洋子元記者の発言。断りがない佐藤記者の引用はすべて筆者とのインタビュー時のもの。
24:1996年10月17日、筆者とのインタビューにおける蜷川真夫記者の発言。
25:何がニュースかという定義は、難しい。Dijkは、狭義のニュースとして、過去の政治、社会、文化的出来事に関するニュースとしている。広告やテレビ・ラジオ欄、天気予報、株式、通貨などの実用的情報を除しているが、情報と評価を区別するのは問題であるとし、社説や文化評論はかならずしも除外していない。「ニュース記事は事実のみを報道し、意見を差し挟まないというのが多くのジャーナリストのイデオロギーであるけれども、真のニュースは意見を盛り込んでいるものである、情報と評価を区別するのは問題があって、評判が悪い」とDijkは言う。こうした定義によると、評論を除外して事実の報道のみをニュースとするという定義は、もはや一般的とはいえないようだ。
26:1996年10月24日、筆者とのインタビューにおける松井やより元記者の発言。
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