<第5章 これまでの分析のまとめ・考察>


 以上、今まで様々な「諸要因」と本人たちの「行動・意識」の関係を調べてきたわけだが、それらを通して分かったことは、
  1. 「勉強とはしなけらばならないもの」や「テスト前は他のものはがまんするべきだ」といったような、私が「意識」として定義付けてきたものは、すべて(どちらかというと)「マイナス」の外的要因(親から何か言われる)、あるいは「マイナス」の内的要因(成績が下がることに対する「不安」、「他人からの評価が気になる度合い」など)が働いた結果、生まれやすいものであり、
  2. 反対に「勉強する」という「行動」の方は、「プラス」の外的要因(親、教師にほめられる・はげまされる)や、「プラス」の内的要因(積極性・負けず嫌い)などが働いた結果生まれやすいもの
ということであった。(もちろん例外もあるのだが、大まかに見るとこのような傾向が表れていたように思う。)
 とにかくこのように、生徒たちが様々な「外的要因」・「内的要因」をうけて、自らの「行動」や「意識」を形成していっているということは確かなことのように思われた。そしてまた私はこの調査を通して、私の調査の中で重要だったのは「行動」の方ではなく「意識」の方だということにもあらためて気付かされた。
 なぜなら、私は最初、「行動」と「意識」とは「連動」しているはずだと思っていたのだが、意識が強いからといって、「行動」の方をちゃんとしているかといえばそうではなく、行動をちゃんとしているからといって、「勉強とはしなければならないもの」という強い「意識」を持っているというわけではないということがこの調査を通して分かったからである。(もちろん相関はあるのだが。)
 このように「行動」と「意識」とは別問題として考えることができそうである。そして、私が「問題」として扱っていきたかったのは、みんなが「勉強しなければ」という、そういう「追い立てられるような」意識を持っているというそのことの方であったのである。(みんなが「がんばって勉強している」という、「行動」の方が問題ではなかったのである。)
 「勉強しなければ」「そのためには他のものはがまんしなければ」、そのような「義務感」を、大部分の生徒が感じているというそのこと自体が、実際の行動とは別にして問題なのだと思う。そしてそういった「意識」に影響を与えているのは「マイナス」の外的要因・内的要因であった。
 ここで当初の「問題意識」の方に立ち返ってみよう。なぜ人々は「勉強しなければ」「いい高校にいかなければ」と思ってしまう、(そういう「意識」をもってしまう)のだろうか。恐らく中学生に「なぜ勉強するのか」とたずねれば、「いい高校に行きたいから」といった答えが返ってくるだろう。「勉強するのは、高校にいくため。」では、なぜ高校に行きたいのか。その答えは質問紙の問8(「あなたはなぜ高校に行きたいのか」)の結果によると、そのほとんど(約6割)が「高校ぐらい出ていないと就職の時に不利だと思うから」であった。(表5−1参照)

表5−1


 この答えからだけ判断すると「高校にいくのは、将来(就職等で)困らないようにするため」というふうに「将来のことを考えた結果」つまり「合理的選択の結果」ということになってしまいそうである。問16「家の人からどんな言葉をかけてもらったときに学習意欲が出たか」の答えにおいても「就職できないよ」「将来困るよ」などといった言葉によって学習意欲が出てきたと答える生徒がかなりいた。(表5−2参照)
 しかしながら前に見てきたように、「親の言葉」や「ばくぜんとした不安」「他人からの評価が気になる」などといったような諸要因が、彼らの「進路決定」や「勉強「意識」」に影響を与えているということも、また確かなのである。
 例えば、「問16(家の人からどんな言葉をかけてもらった時に学習意欲がでたか)」あるいは「問21(学校の先生からどんな言葉をかけてもらった時に学習意欲がでたか)」の結果(表5−2・5−3参照)からは、「がんばったね」あるいは「やればできる」といったような「周りからの肯定的言葉」「自分のがんばり(あるいは努力)を認めてくれたような言葉」をかけてもらった時に「学習意欲が出た」という答えが、多いことが分かる。これは「他人からの評価を得た」という「確かな実感」が、「他人からの評価を気にしがちな」彼らを安心させ、より「やる気」にさせたということを意味していると思われる。
 また、「がんばれ」や「自分のできる範囲でがんばれ」といった言葉も、かなり多くの生徒たちを「やる気」にさせている言葉なのだが、これはこういった言葉によって、生徒たちが「不安」を和らげられ、そういった気持ちが、一層彼らを「やる気」にさせたということを意味しているのではと思われる。

 いずれにせよ、これらはひとえに、「勉強に対して不安を感じやすいから」、あるいは「他人の評価を気にしがちだから」こそ、効果を発揮しているものだと思われる。やはりこういった要因(「不安」や「他人の評価気にしやすい」)が「勉強とはしなければいけないもの意識」に関わっていると言えそうである。
 ではこの「不安」や「他人の評価を気にしやすい」という感情は、いったいどういうふうに「勉強とはしなければならないもの意識」に関わっているのだろうか。私はこれを、1章においても少し述べた「アイデンティティ−」という言葉、あるいは「人間の評価と誇りの問題」という観点から説明できるのではと思う。
 私の説明に入る前に、石川准氏の言葉を紹介しておきたい。氏は著書「アイデンティティ−ゲ−ム 存在証明の社会学」の中で以下のように述べている。
 「われわれは(・・・)自分のアイデンティティ−を操作することに対して実に意欲的だ。望ましいアイデンティティ−を獲得し、望ましくないアイデンティティ−を返上しようと日夜あらゆる方法を駆使する。これを存在証明あるいはアイデンティティ−管理と呼ぶ。(・・・)いったいわれわれは何を証明したいのか。(・・・)われわれが躍起になって証明したがっているのは、「自分がいかに価値ある人間であるか」ということだ。われわれは「わたし」の価値を人や自分に対して証明せずにはいられない。」(p15)
 また、こうも述べている。
 「われわれはいつも同じ熱心さで存在証明に没頭しているわけではない。人生にはアイデンティティ−が大きく変化する節目のようなものがある。入学、卒業、入社、昇進、定年退職、結婚、(・・・)などがそうだ。こうしたときには、(・・・)われわれは以前にもまして存在証明に忙しくなる。」(p17)
 このようにわれわれは、日々自分の価値を証明すること(アイデンティティ−を管理すること)に躍起となっている。そしてその意識はアイデンティティ−が変化する「節目」において、より一層強くなる。
 私は、今のこの世の中では、「勉強ができない」ということが、非常に本人のアイデンティティ−をおびやかす要因となっているように思う。特に「人種」によるアイデンティティ−の違いや、「身分・階級」によるアイデンティティ−の違いなどがほとんどない「日本」という社会では、「能力」の違い、あるいは「どういった集団(学校・会社など)に所属しているか」という違いが、その人のアイデンティティ−を大きく左右する要因となっているように思う。
 このように、日本では「勉強できない」ということが、強く本人のアイデンティティ−(価値証明)をおびやかすものであるからこそ、彼ら生徒たちは自らの「価値」を証明するため、「頭のでき」による存在証明に日々躍起になるのであると思う。そして、そのような彼らの激しい存在証明活動を持続させるパワ−の「源」となっているのが「不安」あるいは「他人の評価を気にする」という感情なのではないだろうか。
 彼らはまた、「受験」という、その後の自身のアイデンティティ−を大きく変えてしまうような「節目」に、直面している。しかもこれは彼らの人生の中で「初めて」「自分自身の力で」アイデンティティ−を大きく変えるという経験だ。そういった人生の大きな「節目」に際して、彼らはできるかぎり自己の「評価」を誇れるものに(あるいはできるかぎり恥ずかしくないものに)する必要と「不安」とを感じ、その結果今までよりも「さらに」存在証明に躍起になっていくのであると思われる。
 また「能力」というものは普段「目に見えにくい」もの(他人にあまり知られにくいもの)であるが、「どこの高校に入学したか」は、客観的に、はっきりと周囲に自分の能力を知らしめてしまう(「証明」してしまう)ものである。だからこそ受験というものに、「より一層躍起になる」ということも考えられそうである。
 とにかく、このように私は、「生徒たちが勉強や受験といったことに躍起になっていく」理由を、「高校ぐらい出ていないと就職の時に困るから」という将来を見越した「合理的」選択理由からばかりではなく、「親(あるいは教師)の言葉」といった「周囲からのはたらきかけ」や「(漠然とした)不安」「他人からの評価を気にする」といった彼らの「アイデンティティ−問題(評価と誇りの問題)」といった「情動的」理由からも説明できるのではないかと考えるのである。

 「学歴主義の発展構造」の最後を、著者岩田龍子氏は、このような言葉でしめくくっている。
「最後に一言つけくわえるならば、学歴社会問題の重点は、社会上昇の問題から誇りと自信の問題に移行しつつあるということである。この問題をぬきにしては、現代の学歴主義の問題をとらえることはできないと思うのだが、いかかがであろうか。」(岩田、1988、p242)と。
 私も全く同感である。「評価と誇り」そして「自信」。こういった「アイデンティティ−」に深く関わった諸要素が、現代の学歴主義を考える上での、非常に重要なポイントとなっているように思うのである。

表5-2「家族」からどんな言葉言われたときに「学習意欲」がでたか(自由回答)
具体的な勉強の仕方6.1%(9)
「がんばれ」12.2%(18)
「がんばってるね」8.1%(12)
「やればできる」9.5%(14)
「自分のできる範囲でがんばれ」6.8%(10)
「自分のためにしなさい」6.1%(9)
「今しか頑張る時がないんだから頑張れ」1.4%(2)
「高校いけんよ」13.5%(20)
「就職の時困るよ」3.4%(5)
「今頑張ったら将来楽だよ」3.4%(5)
「将来困るよ」3.4%(5)
お金または者で釣る言葉9.5%(14)
「勉強しなさい」8.1%(12)
まわりとの比較2.7%(4)
あきれられた言葉2.7%(2)
「お母さんのためにもがんばって」2.7%(4)
その他2.0%(3)

表5-3「教師」からどんな言葉を言われたときに「学習意欲」がでたか(自由回答)
具体的な勉強の仕方20.0%(20)
「がんばれ」15.0%(15)
「がんばってるね」19.0%(19)
「やればできる」18.0%(18)
「自分のできる範囲でがんばれ」1.0%(1)
「自分のためにしなさい」3.0%(3)
「高校いけんぞ」7.0%(7)
「今やらないと後悔するぞ」2.0%(2)
「勉強しなさい」3.0%(3)
まわりとの比較5.0%(5)
あきれられた言葉4.0%(4)
その他3.0%(3)

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