第三章 先行研究


ウェルテル効果(または誘発効果)

 「ドイツの詩人・文豪のゲ−テは1774年に『若きウェルテルの悩み』を出版、一世を風靡した。その物語を要約すると、若きウェルテルが旅先でロッテという美しい女性に恋をするが彼女にはすでに婚約者がいた。そこでウェルテルは恋をあきらめ、公使の秘書となって遠国に赴任するが因習に反抗したため職を失い、社交会からもはじき出されて、再びロッテの町に戻ってくる。その時、すでに結婚していたロッテは、再びウェルテルをやさしくいたわる。人妻となったロッテの優しい態度は、ウェルテルの孤独感をますますつのらせ、遂に彼は自殺にかりたてられていった。時代との断絶に悩みならぬ恋に苦しむ青年を描いたこの不朽の名作は、当時のドイツ文学に新風を吹き込み、共感したヨ−ロッパの若い世代に自殺が流行し、多感な青年の間に自殺をロマン化、美化する風潮をかもし出した。
このように青少年層のアイドル、マスコミをにぎわすタレント、社会的有名人、または衆目を引く奇異な自殺に続く「後追い自殺や」「誘発自殺」を触発したり、引き金となる原因のことを、自殺学では「ウェルテル効果」という。日本でも、明治の末期に旧姓第一学校生の藤村操が弱冠19歳で、「人生不可解なり」との厳頭の辞を残して、華厳の滝に飛び込み自殺をとげた事件があったが、藤村の哲学的自殺にあやかる青少年の誘発自殺が続出して社会的大問題となったことがあり、これも「ウェルテル効果」の良い例である。岡田有希子の死に続く誘発自殺も、もちろんウェルテル効果といえる。」(布施、1990、p136ー137)
以上が布施豊正さんが『自殺学入門』のなかでウェルテル効果を説明したものです。次は『犯罪とメディアと文化』より、記憶にも残っている岡田有希子さんの自殺でウェルテル効果の先行研究を紹介します。
 「1986年(昭和61年)4月8日アイドル歌手の岡田有希子さん18歳が所属プロダクションのビルの屋上から飛び降り自殺した。写真週刊誌は路上にうつ伏せに横たわる彼女の写真を掲載し、芸能ニュ−スが大きなウエイトを占めているテレビのニュ−スショ−やワイドショ−は連日、岡田有希子さんの自殺を取り上げ、泣きぬれたり現場に花束を捧げたりするファンの姿が報道された。そのなかで、彼女の自殺は、かつてテレビドラマで共演した年上の男優(独身だが離婚歴があり、子供もいた)に憧れ、食事をともにしたり電話でおしゃべりをしていたのだが、愛情を告白してより深い交際を申し込んだところ受け入れてももらえず悩んでいたことが原因であったと結論づけた。岡田有希子さんのファンだった少年たちは、彼女の自殺だけでもショックであったろう。しかしここにおいてさらに、岡田有希子さんは自らの愛に殉じた可憐な乙女として神格化されるとともに、自殺が崇高なイメ−ジをおびて神秘化されて、数多くの少年たちに印象づけられることになった。
 ところで、年齢階層別にみた少年の自殺はけっして多いとはいえない。例えば、1985年(昭和60年)の自殺死亡者総数は23383人で、人口10万人当たりの自殺率は19・4であるのに対して、20歳未満の少年の自殺率は、5歳ごとの年齢階層で最も高い15歳以上20歳未満においてさえ、5・1というように低い。いうまでもなく自殺率が最も高い年齢階層は70歳以上の高齢者層である。平均余命も少なく、有病率も高く、数多くの先輩や友人を失っている彼らにとって、死はいやおうなく身近に逃れられないものとしてある。それに較べて、身体的にも精神的にも成長期にある少年たちにとって、死との距離ははるかに遠い。まして自殺は、たとえそれが想起されることがあっても、自らが重大な困難に遭遇したり、身近なあるいは親近感を抱く誰かが自殺したという経験でもないかぎり、具体的に採るべき行為の選択肢として眼前に立ち現れてくることは、多くはないと考えられる。
 1986年(昭和61)から過去2年間の少年の自殺者数は、1984年(昭和59)に572人、1985年(昭和60)に557人であった。ところが1986年(昭和61)には少年の自殺者数は前年を245人、44%も上回る802人に増加した。もちろん、この激増ぶりだけでは、1986年(昭和61)にそれ以外に要因として考えられるものがないとはいえ、岡田有希子さんの自殺とその報道による影響が作用した結果であるとはいいがたい。しかし、過去3年間の少年の自殺者数の月別グラフを見てみると、1986年(昭和61)がいかに特異な推移を示していたが明かとなる(図表10)。すなわち、1月から3月までは過去2年間と変わりがないのに対して、月初めに岡田有希子さんの自殺があった4月に少年の自殺者は急増し、それ以降年末に至るまで高水準で推移することになったのである。
 年間件数、月別推移よりも何より影響を与えたのは自殺の手段である。前年の1985年(昭和60)と86年(昭和61)を少年の手段別自殺者数について比較してみよう。岡田有希子さんのとった手段である飛び降りが86年(昭和61)には、前年よりも151人、率にして125%増加するという異常な増加ぶりとなった。手段として最もよく選ばれる首吊りと飛び降りとの比は、1985年(昭和60)には269人対121人であ
ったが、1986年(昭和61)は337人対273人にまでなり差が縮小した。とりわけ女子少年の飛び降り自殺者は、1985年(昭和60)に49人であったものが、86年(昭和61)には161人へと3倍以上に激増した。
 さらに、1986年(昭和61)の首吊りと飛び降りの手段別にみた月別推移は、図表11のように、1月から3月までは圧倒的に首吊りが多かったのに、4月に飛び降りが急増し、3月の約4倍にまでなる。しかも7月以降は、ほぼ同数あるいは飛び降りのほうが首吊りをしのぐようになった。
 マスメディアは岡田有希子さんの自殺を美化し、岡田有希子さんの自殺をきっかけとして少年の自殺の報道を増加させたが、とりわけ飛び降り自殺を好んで報道したということができる。
 こうした報道の姿勢は、少年たちをして一層自殺、なかでも飛び降りという手段に親しませ、それを選択せしめるに至った、あるいは少なくともその傾向を増幅させたのではないかと考えられる。」(鮎川、1988、p99ー103)
 このアイドルの自殺によるウェルテル効果を参考に、『完全自殺マニュアル』について考察していきます。
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