序章 ヒーローの研究について

 日本という社会にアプローチして何かを知ろうとする際のキーワードは当然のことだが山のようにある。そしてキーワードが何であれ一つ一つに何らかの研究に値する意味が含まれていると考えている。
 私は無限に存在するキーワードの中から「ヒーロー」を拾い上げた。そのきっかけは本当にちょっとしたことで、後に詳しく書くことになるだろうが、単に多くの人が「現代はヒーローがいない」、「現代人にはヒーローが必要ない」などとヒーローという存在に疑問を投げかけていたからだった。
 しかし私自身はヒーローは今現在も存在すると思い、ヒーローを必要として生きているし、周りの人達も自分と同じだと思っていたためにこれらの「ヒーロー不在論」に対して不快感を感じた。そこで私自身が調査することで何か新しい現代のヒーロー論を作ろうと考えたのがこの調査研究の始まりとなった。 
 しかし、社会学が扱うべきだと思われるような山積みになっている社会問題ではなくなぜこのキーワードを選び出したのか理解できない方も多いかと思う。環境問題や政治の堕落、エスニシティに医療制度の行き詰まり等マスコミに取り上げられていて重大と思しき課題があるのに、と。
 実際、今回卒論の調査として行われたアンケートでもヒーローについて何を知りたいのかが良く分からない、こんなテーマで卒業論文を書いているようでは程度が知れる、などという厳しいお言葉を頂くことがあった。これらは恐らく、こんなことよりもっと重大な問題があるだろうという考えも含みながら出てきた言葉だと思う。
 しかし、私は社会問題といわれているもののうち、ヒーローでその一端をつかむことができるものも研究を進めていくうえで出てくると思っている。ヒーロー研究で問題の解決はできないが、人々が最も深刻に問題視していることは何なのか、虚しい時代と言われる現代でヒーローによって人々のわずかな生きがいができるのではないか、といったことが調査の結果として書き綴ることができるのではないだろうか、と期待している。

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